(道路脇スーパー駐車場にある本陣跡の碑)
(倉賀野宿2)
旧中山道に戻り進むと、左側のスーパーの駐車場の道路脇に
「中山道倉賀野宿本陣跡」の石碑がある。
小さくて注意しないと見落としそうである。
かって勅使河原本陣家があったところという。
(格子造りの脇本陣家)
(脇本陣家の石碑)
(駐車場脇の高札)
少し先の右側にいかにも古めかしい格子造りの二階家が見えてくる。
裏庭に良く茂った大木があり、旧家だとすぐわかる。
これが須賀脇本陣家である。家の前にはコンクリート作りの
脇本陣家跡の石碑がある。左隣には須賀医院があり、
広大な敷地から容易に、脇本陣家の末裔と想像できる。
医院の駐車場道路脇に高札があり、元高札場であったことがわかる。
高札が新旧復元されており、昔をしのばせる。
(新旧高札が並んでいるが旧高札は文字の判読が靴かしい)
新高札には
「 定
きりしたん宗門ハ累年のご禁制たり
自然不審の者あらば申出べし
御ほうびとして
ばてれんの訴人 銀五百枚
いるまんの訴人 銀三百枚
立かヘリ者訴人 同断
同宿並、宗門の訴人銀百枚
右之通り下さるべしたとひ同宿宗門
之内たりと云う共申出る品により
銀五百枚下さるべしかくし置き他所より
あらわるるに於いてハ其所の名主五人組迄
一類共ニ罪科おこなハるべき者也
正徳元年五月 日 奉行
右の通り被仰出候畢領内之輩
可相守もの也 越前」
とある。
また、もう一つの高札には
「 定
一、人たる者五倫の道を
正しくすべき事
二、衆寡孤独廃疾之
者を憫むべき事
三、人を殺し家を焼財
を盗等悪行ある
まじき事
太政官」とある。
人倫に悖(もと)るような行いはこれを許さず、
弱いものを助け悪行は断罪に処する内容である。
道路を挟んだ反対側にも同じ「脇本陣跡」の石碑があり、
ここにも脇本陣家があったと思われる。
なお、JR倉賀野駅に入る道路の右側に九品寺があるが、
そこに須賀家のお墓があるが、脇本陣家のものと思われる。
(道路反対側にある脇本陣家の石碑)
(九品寺)
(須賀家の墓)
(倉賀野宿2)
旧中山道に戻り進むと、左側のスーパーの駐車場の道路脇に
「中山道倉賀野宿本陣跡」の石碑がある。
小さくて注意しないと見落としそうである。
かって勅使河原本陣家があったところという。
(格子造りの脇本陣家)
(脇本陣家の石碑)
(駐車場脇の高札)
少し先の右側にいかにも古めかしい格子造りの二階家が見えてくる。
裏庭に良く茂った大木があり、旧家だとすぐわかる。
これが須賀脇本陣家である。家の前にはコンクリート作りの
脇本陣家跡の石碑がある。左隣には須賀医院があり、
広大な敷地から容易に、脇本陣家の末裔と想像できる。
医院の駐車場道路脇に高札があり、元高札場であったことがわかる。
高札が新旧復元されており、昔をしのばせる。
(新旧高札が並んでいるが旧高札は文字の判読が靴かしい)
新高札には
「 定
きりしたん宗門ハ累年のご禁制たり
自然不審の者あらば申出べし
御ほうびとして
ばてれんの訴人 銀五百枚
いるまんの訴人 銀三百枚
立かヘリ者訴人 同断
同宿並、宗門の訴人銀百枚
右之通り下さるべしたとひ同宿宗門
之内たりと云う共申出る品により
銀五百枚下さるべしかくし置き他所より
あらわるるに於いてハ其所の名主五人組迄
一類共ニ罪科おこなハるべき者也
正徳元年五月 日 奉行
右の通り被仰出候畢領内之輩
可相守もの也 越前」
とある。
また、もう一つの高札には
「 定
一、人たる者五倫の道を
正しくすべき事
二、衆寡孤独廃疾之
者を憫むべき事
三、人を殺し家を焼財
を盗等悪行ある
まじき事
太政官」とある。
人倫に悖(もと)るような行いはこれを許さず、
弱いものを助け悪行は断罪に処する内容である。
道路を挟んだ反対側にも同じ「脇本陣跡」の石碑があり、
ここにも脇本陣家があったと思われる。
なお、JR倉賀野駅に入る道路の右側に九品寺があるが、
そこに須賀家のお墓があるが、脇本陣家のものと思われる。
(道路反対側にある脇本陣家の石碑)
(九品寺)
(須賀家の墓)
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