中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

本田(ほんでん)代官所跡(旧中山道を歩く 255)

2011年07月22日 09時43分23秒 | 6.美濃(岐阜県)の旧中山道を歩く(210~2


(「馬頭観世音菩薩」のお堂)

(河渡宿2)
合渡小学校を右に見て土手の下の道を、
前方に見える河渡橋に向って歩く。

200m先の河渡橋の下をくぐると、
右手に「馬頭観世音菩薩」のお堂(愛染堂)があり、
少し先に「祭りに いこまい 河渡宿」
と書いた大きな黒い常夜灯が目に付く。
「いこまい」というのは、岐阜の(名古屋?の)言葉で(いきましょう)という意味だ。
だから「祭りに行きましょう河渡宿」という意味である。


(祭りにいこまい河渡宿の常夜灯)

さらに進むと右側に「中山道河渡宿」と書いた黒い小さな常夜灯がある。
常夜灯の脇に小さな祠があるが、なんだか解らない。
ここで右折すると右奥に同じような小さな木製の常夜灯が見える。
これが河渡宿だと安心して右折する。

少し歩くと右側に「中山道 河渡宿」の石柱が建っている。
少し奥まった所にやはり黒の小さな常夜灯が見られる。
その奥には祠がある。


(道路右角にある「中山道河渡宿」の常夜灯と祠)


(少し奥に見える黒い常夜灯)


(中山道河渡宿の石碑)

石柱の横に一里塚跡と刻んであり、
前には中山道河渡宿文化保存会が作った石碑がある。
それによれば、
(江戸時代、江戸と京都を結ぶ重要な街道として中山道が整備され、
六十九の宿場が設けられた。
河渡宿は江戸から百六里二十七町、五十五番目の宿場であった。
加納宿へ一里半、美江寺宿へは一里六町を隔て、
長良川の渡しを東に臨み、
大名行列や旅人が往来宿泊して大いに反映しました。
ここはかって一里塚のあった場所である。
塚は道の両側に夫々あり榎が植えられて、
塚の大きさは五間四方であった。)とある。(河渡宿文化保存会)


(石碑横に一里塚跡とある)

河渡宿には特筆するものはほとんど無い。
慶応橋を渡り、生津(なまづ=地名)を抜けて田園地帯を進む。
糸貫川を渡ると左手に延命地蔵尊を祀る地蔵堂がある。
僅かに残る旧家が昔を偲ばせる中山道の街並みで、
やがて右側に本田(ほんでん)代官所跡がある。

瑞穂市教育委員会の説明よれば、
(江戸時代の一時期、このあたりに幕府直轄地の代官所があったが、
詳細は定かではない。
しかし、古文書等から推測すると、寛文十年(1670)
野田三郎左衛門が初代代官に任じられ、この地に陣屋を設けたと思われる。
本田代官は後に川崎平衛門定孝(十一年間在任)という名代官を
迎えるなど、この地の人々の大きくかかわった。
明和七年(1770)大垣藩に預けられるまで続いた。
今も「代官跡」「お屋敷跡」「牢屋敷跡」という地所が残っている。)という。
(瑞穂市教育委員会)


(慶応橋)


(糸貫川)


(「生津/なまづ」のバス停)


(延命地蔵尊)


(中山道の旧家)


(「本田(ほんでん)代官所跡)

その先に高札場跡の案内看板があり、
さらに先の道路端には、中山道の案内があるだけで、
田園地帯をどこまでも進む。
やがて電車の線路をまたぐが、単線のレールの右奥に美江寺駅が見える。
樽見鉄道樽見線の「美江寺駅」である。


(高札場跡)


(中山道の案内が時々あるが周りは田畑)


(樽見線の単線踏み切り)

電車は一時間に一本だけで、時刻表を見ると16:25大垣行きがある。
今、16:10で運良く電車にありつくことが出来た。
今日はこれで終り、帰京することにする。

駅には誰もいないどころか切符売り場もない。
単線運転で掲示板によるとワンマンカーである。
電車のワンマンカーは始めてである。

時間だけは正確に、電車はやってきた。
ドアーが開いて乗ろうとすると、
(乗車の方は後ろから乗ってください)と運転手さんが大声で言っている。
誰も降りないんだから、
開いているドアーから乗せてくれても良さそうなものを、そうも行かないらしい。
後ろのドアーまで走って乗り込んだ。

乗ったらスピーカーが「券を取ってください」とわめいている。
うろうろしていると乗客が近くにある券を取ってくれた。
(これで美江寺駅から乗ったことが分かる)
終点の大垣駅までおよそ20分。
ワンマンの運転手さんが何か大声で独り言を言っている。
興味を持って電車の前の方へ行くと、
「出発進行」とか「信号注意」とか言っている。
単線運転でレールの上を走っているのに、
何か注意しながら走らなければならない規則も可笑しい。

バスの運転手でワンマンカーが沢山都内を走っているが、
出発しますとか、信号注意とか、ブレーキ掛けますとか、
大声で話しているのを聞いたことがない。
レールの上を走っている訳ではないので、
電車より余ほど注意が必要なのに・・・

終点の大垣駅に着いた。

運転手さんが運転席から立ち上がって、
乗客に券はこちらの箱へ、料金は運転手さんに渡す。
乗った場所によって料金が違うので、勘定が大変である。
ボクは300円で簡単だが、780円や880円もある。
お釣りや時には、運転手さんに料金を訊いてから、
やおら財布を取り出す人もいる。

つり銭が要らぬように細かいお金を出そうとするが、
860円まで来て、あと20円が無くて、結局千円札を出す人もいる。
すると120円のお釣りが必要になり出口は大混乱。
最後に改札を通過するのに必要な切符を渡される。
あまりお客さんが居ないから良いようなものだが、
大垣駅で乗り換えの人はどうするのだろう。

ボクも大垣で乗り換え名古屋へ行くのだが、
もたもたしていて、「特別快速」に乗りそこねて、
10分後の「快速」に乗った。
通学時間で、座席一杯の電車になった。

ナゴヤ発17:33東京行きに飛び乗り、21時近くに家に帰る。
本日歩いた距離、56825歩=約34km、足の裏に肉刺(まめ)が出来た。
次は関が原まで行けるか?
そして岐阜県を終了して、滋賀県へいけるか?

どんどん歳はとり、カタツムリとは言わないが、
牛歩であることには違いない。
この後は、番場の忠太郎、信長、秀吉、お茶茶、お江に関わる、
長浜、彦根、安土、琵琶湖が続き、瀬田の唐橋、などなど、
歴史・物語も多くなりそう。
楽しみではあるが、京都三条大橋に到着するのは、
何時のことになるやら思いやられる。


(美江寺駅が左に見える)


(美江寺駅)







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2 コメント

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6万近い歩数、肉刺もできるでしょうが、痛くあり... (salasala)
2011-07-25 10:37:53
6万近い歩数、肉刺もできるでしょうが、痛くありませんか?
もう驚きです。
残りあと6分の1、頑張りに感動しています。
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salasalaさん コメント有難うございます。 (hide-san)
2011-07-25 20:53:45
salasalaさん コメント有難うございます。
よせばよいのに、今回で捨てようと思っていた靴を履いていて罰が当りました。
靴底に足が蒸れないように、米粒ほどの空気穴が開いていて、古くなってその穴が拡大しているのに気が付かなかったので、肉刺になってしまい足の裏の皮がむけるのに10日ほどかかりました。
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