(これは2006/03/01 に作成した記事であることを
頭に入れてお読みください。)
(インドの紅茶)
インドの南端のスリランカをはじめ
インドの南端のスリランカをはじめ
インドの紅茶は有名である。
イギリス領であったインドからイギリスに紅茶は輸出され、
英国でティータイムが発達した。
イギリスではお茶(Tea)と言えば紅茶(red tea)を指し、
イギリスではお茶(Tea)と言えば紅茶(red tea)を指し、
日本では緑茶(green tea)をさす。
紅茶を緑茶と区別して、
日本人に分かりやすいように
「English tea or Japanese tea ?」
あるいは
あるいは
「Red tea or Green tea ?」
「紅茶、緑茶、どちらにしますか?」とCA(キャビン・アテンダント)に英語で訊かれる。
違いは、紅茶は発酵させて作るのにたいして緑茶は蒸して作る。
インドの紅茶は産出する地名により名前がつけられているが、
香りが異なり人によって好き好きがある。
ダージリンはヒマラヤ山脈の麓にあるダージリン地方で取れる紅茶を指し、
ボクはこの紅茶はレモンティーにしていただくのが好きである。
もう一つはアッサム州で採れる紅茶をアッサムティーと呼び、
もう一つはアッサム州で採れる紅茶をアッサムティーと呼び、
この紅茶は香りが強くミルクティーでいただくのが、
ボクは好きだ。
インドでは上質の紅茶はすべて英国に持っていかれるので、
インドでは上質の紅茶はすべて英国に持っていかれるので、
残りもののくず紅茶をインド人は戴く。
お茶の入れ方を工夫していただくが、
これをチャイと呼んでいる。
最初にチャイをいただいたのが、
観光名所での土産物屋さんの中であった。
やや大振りのぐい飲み様の器にミルクティーが入っており、
少し甘味が入っていて生姜の味がして美味しい。
ちょうど喉が渇いていた時間帯でもあったので、
美味しくいただいた。
ぐい飲みのような、土器を返そうとすると差し上げますというので、
ぐい飲みのような、土器を返そうとすると差し上げますというので、
日本に持って帰り、お酒を飲むのにちょうど良いと思い、
ティッシュペーパーに包んでバッグに入れた。
プロフィールページに書いてあるが、
ボクは焼き物に大変興味がある。
蔵書の中で、一冊で一番高価な本が焼き物(陶器)の本であるし、
蔵書の中で、一冊で一番高価な本が焼き物(陶器)の本であるし、
各窯場の焼き物(陶器)を収集する悪趣味も持っている。
お茶碗では高価すぎるし、置場所をとるので、
もっぱらぐい飲みを買い集めている。
それぞれ違った窯場のものが、70個前後あると思う。
それぞれ違った窯場のものが、70個前後あると思う。
また、外国では、陶器でなく磁器(ボーン・チャイナ)になるが、
コーヒーカップかティーカップを買ってしまう癖がある。
高価なものは、
デンマークのロイヤル・コペンハーゲンのティーカップは数種類あるし、
イギリスのウェッジ・ウッドや
ドイツのマイセン、
オランダのデルフト焼き、
ハンガリーのヘレンドなどなど。
一客でうん万円するものばかり。
これらの器で紅茶をいただき、至福の時間を過ごす。
これらの器で紅茶をいただき、至福の時間を過ごす。
話がそれてしまった。
焼き物についてはまたの機会にお話したい。
元に戻して、
チャイは強い紅茶の香りのする牛乳であることを知ったのは、
インド旅行中、トイレ休憩のときであった。
インド人のトラック運転手が一休みするという、
いなかの茶店に寄った。
用を早めに済ませて茶店でうろうろしていたら、
厨房らしきところで小さな鍋に
牛乳をタップリ入れたところから見ることになった。
牛乳を火にかけ煮立てると、紅茶の葉をタップリ入れる。
その後お砂糖を適宜入れて終わり。
チャイの出来上がり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/6c/23eb0ecd85bed6af2f0f126bd1f3903d.jpg)
(チャイ作りのインド人)
そこからが問題である。
そばにいた少年にあごをしゃくって、
そばにいた少年にあごをしゃくって、
土間に重ねて置いてあったドロだらけの土器
(ボクがぐい飲みと思った)を持ってこさせた。
汚れているので洗うのかと思ったら、
汚れているので洗うのかと思ったら、
少年が汚れた指先で、その土器をこすり始めた。
土器からはドロやほこりがぱらぱら落ちていく。
これで清めたつもりなのだ。
15個ほどをお盆の上に並べると、
15個ほどをお盆の上に並べると、
鍋に作ったチャイを次々と注いでいった。
注ぎ終わるや、少年が汚れた手で一個ずつお客に配っていく。
ボク達夫婦と若い添乗員さんとインド人のガイドがこれを見ていた。
添乗員さんがガイドになにやら聞いていた、
きっと(これ飲んでおなか壊さないだろうか?)
であったに違いない。
ガイドさんが首を縦に振るのが見えた。
添乗員さんが、
「チャイはいったん煮立ててありますので大丈夫です」と言う。
それを聞いてボクは飲んでしまったが、
カミさんは捨ててしまった。
さて、そのときも器は差し上げますと言う。
そんなに沢山いらないから返すと、
少年がそれをどんどん地面にたたきつけて壊して捨てている。
チャイの土器はそんな値打ちであったが、
この土器もやがて自然に帰る、
そんな仕組みになっているのかと感心した。
インドでは、排泄物も野外で、
これは鳥や動物の餌になり、あるいは植物の肥料になり、
やがて循環してまた人の役に立つことになっている。
ヒンズー教の教えの中に、
自然への回帰という教えでもあるのだろうか?
貧しい人たちが多いのに、盗まれないように鞄に気をつけろとか、
変な人に声をかけられたら注意してくれとか、
荷物を手から離さないようにとか、
治安にかかわる注意は何一つなかった。
インドでは子供のころから、
インドでは子供のころから、
物乞いすることはあっても盗むことは恥辱とでも
教えられているのであろうか?
日本の中学までの年齢までは義務教育であるというから、
日本の中学までの年齢までは義務教育であるというから、
貧しさから抜け出そうとする若い人たちが、
懸命に勉強し仕事をして、近い将来のうちに、
ニートが多い日本を凌駕する日が
ニートが多い日本を凌駕する日が
やってくるように思えてならない。
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