(バルト三国の内、エストニアの世界遺産に指定された旧市街2005.May.14撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c8/0b2ea9becfd21fd4c099e9442617589e.jpg)
(北本宿)
中山道を進むと、左手に北本宿の碑が建っている。
その碑によれば
(今日の北本の元となる街並みが作られたのは、
江戸時代の初期に元宿村が中山道の宿駅として
整えられたのが始まりで、現在の本宿付近は、
その頃、本鴻巣村と呼ばれていたが、
その宿駅も中山道が整備された頃には、
現在の鴻巣に移されました。
宿場のあった頃は本宿村と呼ばれ、これが北本市の
地名の起こりとなっています。街道沿いに旅館や
店はなかったが、本宿村の下茶屋と東間村の三軒茶屋の
二箇所には立場が置かれていた。人や馬はそこで
喉を潤し旅の疲れを癒し、次の宿場へ向かった。)
と言う。(北本市教育委員会)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/62/aeea6037120b25f9e4b902397e314b69.jpg)
(北本宿の碑)
桶川宿の次は鴻巣宿であるが、この辺り昔は、
本鴻巣村といい、鴻巣宿はここ北本市本宿に
あったが、中山道が整備されて、今の鴻巣に
鴻巣宿として移っていった。
その後、元の宿というので、元宿とよばれ、
桶川と鴻巣の「間の宿」として賑わった。
次の信号右に真言宗のお寺「多聞寺」がある。
ここの山門の後ろに埼玉県指定の天然記念物の
ムクロジの木がある。樹齢200年という。
地続きに天神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/d7/80513c069dae3b884dbec16fb56123ca.jpg)
(多聞寺と門の後ろにある天然記念物のムクロジ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/78/fbc484fcd223bb702f86d077ad8bd029.jpg)
(天神社)
高崎線の向こう側に古い一里塚があるので、
寄り道をしていくことにする。
JR北本駅前の信号を過ぎて、二つ目の信号を左折し、
JRの踏切を渡ると線路沿いに右の折れる道がある。
線路に沿って約20メートル歩くと、左側に畑がある。
その畑を2,3メートル過ぎて振り向くと、
生垣に埋もれるような形で、「一里塚」の木の
道標が見えるので、畑の中へ入っていこう。
突き当り左手が「一里塚」で、これが「原馬室一里塚」である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a6/e270fba16c1ef3773abb4eb4c2180993.jpg)
(見落としそうな一里塚の木の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/c8/90342c00d77ddf131f34c5005742ceb6.jpg)
(今にもなくなりそうな一里塚跡)
鴻巣市教育委員会の案内板が設置されている。
(――前略―― 街道一里ごと、道路の両側に五間
(約10m)四方の塚が築かれ、頂上に榎が植えられた。
中山道の一里塚は慶長17年(1612)に構築された。
明治維新後は交通事情の変化に伴い、一里塚の大部分は
取り除かれて現存するのは少ない。この一里塚は
当時の中山道をはさみ両側に築いたものの内の西側のもの。
東側は高崎線施設の際取り壊されてしまった。)
一里塚の様子がわかるが、板橋区志村の一里塚程
保存状態は良くない。
中山道の桶川から鴻巣に入る途中の北本市を歩いていく。
地名は「東間」。
地名ほど読みにくいものはない。
この「東間」という地名が延々と続いていた。
1丁目から2,3,4,5・・・確か7丁目まで
続いていたように思う。
一丁は約110mだから、
「東間」の町は770mあったということか?
特に見るべき史跡もなかったことも手伝い、
電柱に書かれている町名「東間」繰り返し見ることになった。
つい読み方について、あれこれ考えてみる。
「とうま」「ひがしま」「あずまま」「あずまあいだ」
「ひがしあいだ」など。
ボクは馬鹿だから、「とんま」も考えた。
どうも今一つ、しっくりしない。
歩いて電柱が近づくたびに、ドレだろうと思い悩む。
ちょうど〒ポストがあり、郵便局の方が郵便物を
集めているのに出会ったので聞くことにした。
この辺りの「東間」と書いて何と読むのですか?とボク。
郵便局の方答えていわく「(あずま)といいます」と。
一字でアズマならボクにも読める。わざわざ「間」をつけて、
念を押すように「ま」と読ませるとは…
「間」が入るのに間抜けといおうか?
「とんま」といおうか?
そんなことを考えて歩く間に、人形の街らしい
看板が街道を飾って鴻巣に入ってきたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/10/cdbdfaaa7fc4e47c27782a730dde3add.jpg)
(町の名も「人形」)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/9e/e0cdd99f115fdf0187e2ddbebadd04af.jpg)
(人形屋さんの店先に作られた長寿橋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c8/0b2ea9becfd21fd4c099e9442617589e.jpg)
(北本宿)
中山道を進むと、左手に北本宿の碑が建っている。
その碑によれば
(今日の北本の元となる街並みが作られたのは、
江戸時代の初期に元宿村が中山道の宿駅として
整えられたのが始まりで、現在の本宿付近は、
その頃、本鴻巣村と呼ばれていたが、
その宿駅も中山道が整備された頃には、
現在の鴻巣に移されました。
宿場のあった頃は本宿村と呼ばれ、これが北本市の
地名の起こりとなっています。街道沿いに旅館や
店はなかったが、本宿村の下茶屋と東間村の三軒茶屋の
二箇所には立場が置かれていた。人や馬はそこで
喉を潤し旅の疲れを癒し、次の宿場へ向かった。)
と言う。(北本市教育委員会)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/62/aeea6037120b25f9e4b902397e314b69.jpg)
(北本宿の碑)
桶川宿の次は鴻巣宿であるが、この辺り昔は、
本鴻巣村といい、鴻巣宿はここ北本市本宿に
あったが、中山道が整備されて、今の鴻巣に
鴻巣宿として移っていった。
その後、元の宿というので、元宿とよばれ、
桶川と鴻巣の「間の宿」として賑わった。
次の信号右に真言宗のお寺「多聞寺」がある。
ここの山門の後ろに埼玉県指定の天然記念物の
ムクロジの木がある。樹齢200年という。
地続きに天神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/d7/80513c069dae3b884dbec16fb56123ca.jpg)
(多聞寺と門の後ろにある天然記念物のムクロジ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/78/fbc484fcd223bb702f86d077ad8bd029.jpg)
(天神社)
高崎線の向こう側に古い一里塚があるので、
寄り道をしていくことにする。
JR北本駅前の信号を過ぎて、二つ目の信号を左折し、
JRの踏切を渡ると線路沿いに右の折れる道がある。
線路に沿って約20メートル歩くと、左側に畑がある。
その畑を2,3メートル過ぎて振り向くと、
生垣に埋もれるような形で、「一里塚」の木の
道標が見えるので、畑の中へ入っていこう。
突き当り左手が「一里塚」で、これが「原馬室一里塚」である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a6/e270fba16c1ef3773abb4eb4c2180993.jpg)
(見落としそうな一里塚の木の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/c8/90342c00d77ddf131f34c5005742ceb6.jpg)
(今にもなくなりそうな一里塚跡)
鴻巣市教育委員会の案内板が設置されている。
(――前略―― 街道一里ごと、道路の両側に五間
(約10m)四方の塚が築かれ、頂上に榎が植えられた。
中山道の一里塚は慶長17年(1612)に構築された。
明治維新後は交通事情の変化に伴い、一里塚の大部分は
取り除かれて現存するのは少ない。この一里塚は
当時の中山道をはさみ両側に築いたものの内の西側のもの。
東側は高崎線施設の際取り壊されてしまった。)
一里塚の様子がわかるが、板橋区志村の一里塚程
保存状態は良くない。
中山道の桶川から鴻巣に入る途中の北本市を歩いていく。
地名は「東間」。
地名ほど読みにくいものはない。
この「東間」という地名が延々と続いていた。
1丁目から2,3,4,5・・・確か7丁目まで
続いていたように思う。
一丁は約110mだから、
「東間」の町は770mあったということか?
特に見るべき史跡もなかったことも手伝い、
電柱に書かれている町名「東間」繰り返し見ることになった。
つい読み方について、あれこれ考えてみる。
「とうま」「ひがしま」「あずまま」「あずまあいだ」
「ひがしあいだ」など。
ボクは馬鹿だから、「とんま」も考えた。
どうも今一つ、しっくりしない。
歩いて電柱が近づくたびに、ドレだろうと思い悩む。
ちょうど〒ポストがあり、郵便局の方が郵便物を
集めているのに出会ったので聞くことにした。
この辺りの「東間」と書いて何と読むのですか?とボク。
郵便局の方答えていわく「(あずま)といいます」と。
一字でアズマならボクにも読める。わざわざ「間」をつけて、
念を押すように「ま」と読ませるとは…
「間」が入るのに間抜けといおうか?
「とんま」といおうか?
そんなことを考えて歩く間に、人形の街らしい
看板が街道を飾って鴻巣に入ってきたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/10/cdbdfaaa7fc4e47c27782a730dde3add.jpg)
(町の名も「人形」)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/9e/e0cdd99f115fdf0187e2ddbebadd04af.jpg)
(人形屋さんの店先に作られた長寿橋)
見るもの聞くものすべてが新しい思いで目を輝かせています。