![1057051](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/ab/9eafdf0d1d7605af1807947e0839e4f0.jpg)
(中山道松井田宿の案内)
(松井田宿2)
松井田の町に沿って、中山道を西に進む.
街路灯には「中山道松井田宿」の小さな看板が打ち付けてあり、
「ここは中山道旧街道です」と案内してくれる。
すこし進むと道路の南側、すこし奥まったところに、村社の八幡宮がある。
鳥居をくぐったすぐ左側にある石造群には万延元年(1860)の庚申塔や二十二夜塔、
また、石段を登った上のほうには、
群馬県重要指定文化財になっている本殿が、村人の安寧を願っている。
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(八幡宮)
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(石像群)
「建久8年(1197)鎌倉右大将頼朝が立ち寄った記録がある。また、
慶安元年(1648)に徳川将軍家光より朱印地13石6斗を賜った。
本殿の建立は寛永年間(1624~1644)と伝えられている。
三間社流造りで正面は三間(2.55m)側面二間(1.6m)の
銅板葺きで幣殿と拝殿と連結している。――以下省略」(松井田町教育委員会)
階段を登った先の本殿にたたずむと、そんな説明より
(百聞は一見に如かず)の言葉が妙に身に迫る雰囲気の神社で、
静かで厳かなたたずまいのする神社である。
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(階段の上に本殿が)
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(本殿)
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(本殿を背に階段を見下ろす古刹の雰囲気)
中山道をなお西に進む。西松井田駅に入る「駅前」信号の北側に、
補陀寺がある。ここは曹洞宗 大泉山補陀寺と云い、後北条氏の臣
大道寺政繁の菩提寺で、今は廃城となったこの寺の北側にある
松井田城の最後の城主を祀っている。大道寺駿河守政繁は秀吉の
東山軍に破れ、天正18年(1590)川越城に送られ自刃した。
本堂裏手にある政繁のお墓を見ていると、鐘楼から鐘の音が聞こえてきた。
時計を見ると、どうやらお昼を知らせる鐘だ。
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(門前にある大道寺駿河守政繁の墓の石柱)
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(大道寺駿河守政繁の墓)
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(補陀寺の東入り口、鐘楼が見える)
![1149321](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/de/291bc3d437a23cf2d0bdce50c10bf21c.jpg)
(鐘楼と本堂)
誰が鐘を撞くのかと本堂前の鐘楼に戻るが、鐘楼には誰も居ない。
しばらくするとまた鐘をつく音がした。鐘を撞く人はいないが、
撞木がひとりで動いて鐘を撞いている。どうやら電気仕掛けで、
時間が来ると自動的に撞木が動くらしい。
人手不足はここまで来ているのであろうか?
それにしても電気仕掛けでは有り難みも無い。
ひょっとしてお寺の坊さん、鐘の撞き方を知らないのであろうか?
先日、中国の寒山寺に立ち寄った。
鐘楼に登り、鐘を撞くと十年長生きが出来るというご利益があるというので、
観光客が鐘を撞いた。
一人づつ撞くのであるが、「ご~~ん」と上手につける人は一人としていなかった。
ボクは子供の頃、腕白のあまり近所のお寺さんの日曜学校に入れられ、
すこしは腕白も良くなるだろうという親の願いから、
毎週日曜日にお経を読み、時間が来ると鐘つきをさせられた。
12時には、12回鐘を撞くのである。
ボクは鐘の撞き方を知っている。
撞木を二~三回振り、力を貯めてから「ご~~ん」と撞くのである。
年の暮れの除夜の鐘を撞くシーンが放映されるが、あの要領である。
でも経験がないと、にわかには出来ないものである。
そんなことを思い出しながら、本堂前の鐘楼を離れた。
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(補陀禅林の扁額)
本堂の扁額には「補陀禅林」山門には関東一の道場という意味の
「関左法窟」という扁額がある。
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(関左法窟の扁額)
補陀寺を出て中山道を進む。
正面に安中警察署を見て、左に入る細い道路があるが、これが旧中山道である。
左に入る右角には田舎には珍しい瀟洒な家がある。
住人が親切で、土地柄が穏やかで、空気がきれいな松井田に、
都会から移り住んできた人の住居かと思われるほど垢抜けている。
その家の前を左折する。
道路は右にゆっくりカーブしているが、回り終わったところの右側、
土手の上に道祖神が二基立っている。土手の向こうはため池になっていて
当時は農業用の水を貯めておいた場所と思われる。
すこし先の左側、民家の端の茂みに一里塚跡の立て札が立っている。
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(左に入る旧中山道の道)
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(旧中山道へ左折する箇所の右側にある瀟洒な家)
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(ため池の土手にある道祖神)
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(一里塚の案内)
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(一里塚の案内は車の先の人家の間にある)
「一里塚(江戸より32里目)
この場所は、松井田町大字新堀字漆原一里山という。
明治20年代まで、この中山道の南側と北側に一里塚がありました。
この立て札のおよそ南方10m先に南側の一里塚が、
その跡をとどめています。」(松井田町教育委員会)
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(人家の間を縫ってその先にある一里塚跡、すこし盛り上がっている)
他人の敷地の中、恐る恐る、生垣に沿って10mほど奥に進むと、
なるほど土まんじゅうの形をした一里塚が見える。
他人の敷地内であるので、そっと帰る。
中山道へ出ると、すぐ先に左折できる道路(私道かもしれない)があるので、
思い切って入ってみると小屋の後ろに元一里塚の土まんじゅうが見えた。
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(不法侵入?して見た一里塚)
中山道をさらに進むと信越線に突き当たる。
昔は信越線を越えて道路があったようだが、今は消失しているので、信越線に沿って進む。
よく晴れた日で、南側に妙義山が、西方正面に浅間山が美しかった。
やがて信越線と道路は交差し、踏切を渡る。
踏切には(第十中仙道踏切)とかいた看板があるので判りやすい。
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(第十中山道踏切)
今度は信越線の南側をしばらく歩くと、やがて国道18号と並行するようになる。
そして国道と交差するかと思われるころ、
「旧中山道⇔」の案内標識があり、中山道はここで国道18号を突き切っているが、
自動車道を横断できず、先の信号まで歩く。
信号で国道18号を北に横断し、旧中山道に出たら左折する。
すこし進むと五料茶屋本陣に出る。
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(旧中山道の道路案内、自動車道を渡ると危険なので先に見える信号を北へ渡る)
微細な記録。素晴らしいですね。
史跡めぐり大変です。拝見させていただいてます。