(弁財天の池)
(大湫宿 3)
焼坂の馬頭観音を右に見て、
次は左に「旧中山道 細くて宿」は直進の案内看板を見て、
道順が正しいことを知る。
やがて右手に大きな池が見えてくる。
「弁財天の池」である。
ひょうたん池のようになっており、
真ん中のくびれた部分に石橋が掛かっており、
その先に石祠がある。
弁財天の祠である。
石祠の中には、元文五年(1740)の彫られた弁財天が祀ってある。
池の水面には枯葉が落ちている。
(山上にありながら、いつも水をたたえているこの池は、
古くから旅人に愛されていました。
大田蜀山人も「左の方に小さな池あり、
杜若(カキツバタ)生い茂れり、
池の中に弁財天の宮あり」と旅日記に書いています。)と説明がある。
夏場には、花菖蒲が満開になると想像される枯れた茎が
一面に池の中に残っている。
普通、弁天さまは手に琵琶を持った天女像であるが、
ここでは八臂の立像が祀られている。
・(注)八臂=八本の手を言う。
八臂かどうか、わざわざ狭い橋を渡って確かめた。
(池の中央にある祠)
(祠の弁財天は八臂であった)
すこし歩くと左手に「女男松の碑」とあり、
少し先に枯葉にうずもれた石碑がある。
そしてその先に「奥乃田一里塚」が両端に建っており、
両塚ともほぼ元の姿を留めている。
山の中の道は、どこまでも同じような道が続いており、
馬頭観音や旧中山道の立て看板を見て広い道路に出る。
(女男松の碑跡)
(奥之田の一里塚)
(左右に一対ある一里塚)
正面に「日吉第二小学校跡」の新しい石碑がある。
道路の両側には、まばらに古い家が見えるが、
過疎の土地になったのは、何時のことだろうと、
思いやられる。
その先に旗がひらめき、馬頭観音堂が見られる。
ここから細久手宿である。
(この先細久手宿の看板)
(中央に日吉小学校の碑がある)
(日吉小の碑)
(馬頭観音堂の旗がひらめく)
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