(筋違御門、湯島聖堂、神田明神、かねやす)
(神田明神の扁額)
中山道は国道17号としばらく同じ道である。
国道17号(中山道)へ戻って歩くと、神田駅のガードをくぐり、
やがて須田町交差点へ出る。
(須田町交差点の案内看板。左側の道を行く)
交差点はY字路になっており、ここで17号と旧中山道が分かれる。
国道17号は直進するが、旧中山道は、Y字路を左の方へ進む。
右側に交通博物館(今は大宮に移転)を見ながら進むと、
中央線のガードの赤レンガに突き当たる。
昌平橋の手前である。
(赤レンガ塀)
その赤レンガに「御成道」の由来を書いた
案内看板を見ることが出来る。
徳川将軍が上野寛永寺に墓参のために、
この道を通ったので御成道という。
(映画や芝居の殿様が出てくる場面で、
「殿様のおなり~」と小姓がいうと、
家臣一同が平伏する、あの「御成り」である。
将軍が通る道を御成り道という。
日光街道は、庶民は旅籠、
(神田明神の扁額)
中山道は国道17号としばらく同じ道である。
国道17号(中山道)へ戻って歩くと、神田駅のガードをくぐり、
やがて須田町交差点へ出る。
(須田町交差点の案内看板。左側の道を行く)
交差点はY字路になっており、ここで17号と旧中山道が分かれる。
国道17号は直進するが、旧中山道は、Y字路を左の方へ進む。
右側に交通博物館(今は大宮に移転)を見ながら進むと、
中央線のガードの赤レンガに突き当たる。
昌平橋の手前である。
(赤レンガ塀)
その赤レンガに「御成道」の由来を書いた
案内看板を見ることが出来る。
徳川将軍が上野寛永寺に墓参のために、
この道を通ったので御成道という。
(映画や芝居の殿様が出てくる場面で、
「殿様のおなり~」と小姓がいうと、
家臣一同が平伏する、あの「御成り」である。
将軍が通る道を御成り道という。
日光街道は、庶民は旅籠、
大名やその家臣は本陣脇本陣で宿泊した。
しかし将軍の道中は城に宿泊した。
しかし将軍の道中は城に宿泊した。
そのため道路は別になった。その道を「御成道」といった。)
千代田区教育委員会の説明によれば、
「御成道、筋違外広小路(すじちがいそとひろこうじ)の
東より、上野広小路に至る道をいう。
筋違は筋違い御門のあった所で、現在の昌平橋の
下流50mのところ辺りに見附橋が、
架かっていました。
御成道の名は、将軍が上野寛永寺に墓参のため、
江戸城から神田橋(神田御門)を渡り、
この道を通っていったからです。
見付内の広場は八つ小路といい、筋違、昌平橋、
駿河台、小川町、連雀町、日本橋通り、小柳町(須田町)、
柳原の各口に通じており、江戸時代で最も賑やかな場所で、
明治時代まで続きました。
また、御成道の道筋には、武家屋敷が多くありました。
江戸時代筋違の北詰めに高砂屋があり
千代田区教育委員会の説明によれば、
「御成道、筋違外広小路(すじちがいそとひろこうじ)の
東より、上野広小路に至る道をいう。
筋違は筋違い御門のあった所で、現在の昌平橋の
下流50mのところ辺りに見附橋が、
架かっていました。
御成道の名は、将軍が上野寛永寺に墓参のため、
江戸城から神田橋(神田御門)を渡り、
この道を通っていったからです。
見付内の広場は八つ小路といい、筋違、昌平橋、
駿河台、小川町、連雀町、日本橋通り、小柳町(須田町)、
柳原の各口に通じており、江戸時代で最も賑やかな場所で、
明治時代まで続きました。
また、御成道の道筋には、武家屋敷が多くありました。
江戸時代筋違の北詰めに高砂屋があり
庭の松が評判であったと言います。
明治時代には御成道の京屋の大時計は人目を引き、
太太餅(だいだいもち)で売り出した
明治時代には御成道の京屋の大時計は人目を引き、
太太餅(だいだいもち)で売り出した
店もあったということです。」とある。
(昌平橋)
現在では、昌平橋の向こうは、電気街となっており、
賑やかさでは、昔に引けをとらない。
中央線の昌平橋ガードに沿って歩くと、
(昌平橋)
現在では、昌平橋の向こうは、電気街となっており、
賑やかさでは、昔に引けをとらない。
中央線の昌平橋ガードに沿って歩くと、
右側に昌平橋が見えてくる。
中央線ガードを右折し、昌平橋を渡ると、
中央線ガードを右折し、昌平橋を渡ると、
総武線の鉄橋が見える。
総武線をくぐり昌平橋交差点を直進すると
総武線をくぐり昌平橋交差点を直進すると
国道17号であるが、旧中山道はここで左折し、
最初の道を右折し国道17号に合流する。
合流して左折するとすぐ左が湯島聖堂、
右に神田明神がある。
ここで湯島聖堂のトイレの案内が目に付くので、
用がある人はここで済ましておくことをお勧めする。
(湯島聖堂入り口)
入り口を入って、突き当たりに「楷の木」があり、
その右横に孔子像がある。
「楷の木」は孔子の墓所の前に植えられた木で、
最初の道を右折し国道17号に合流する。
合流して左折するとすぐ左が湯島聖堂、
右に神田明神がある。
ここで湯島聖堂のトイレの案内が目に付くので、
用がある人はここで済ましておくことをお勧めする。
(湯島聖堂入り口)
入り口を入って、突き当たりに「楷の木」があり、
その右横に孔子像がある。
「楷の木」は孔子の墓所の前に植えられた木で、
葉が整然と並んでいるので、
書道の楷書の語源になったといわれる。
お墓がある中国の曲阜から、
書道の楷書の語源になったといわれる。
お墓がある中国の曲阜から、
種を持ち帰り苗をこの聖堂に植えられた。
生来雌雄異株である上、
花が咲くまで30年位かかるため、
わが国では種子を得ることは出来なかったが、
幸い数年前より数箇所で結実を見るにいたった。
貴重な木である。
(楷の木)
(孔子像)
(孔子廟)
花が咲くまで30年位かかるため、
わが国では種子を得ることは出来なかったが、
幸い数年前より数箇所で結実を見るにいたった。
貴重な木である。
(楷の木)
(孔子像)
(孔子廟)
湯島聖堂は、幕府の昌平坂学問所の跡であり、
学問の神様として孔子が祀られており、
木々がうっそうとしており、
厳かな雰囲気につつまれている。
神田明神は、平将門が祭られており、
江戸庶民には人気があったそうであるが、
今は、銭形平次の方が知られていて、人気が高い。
(神田明神)
神田明神、湯島聖堂の間の旧街道を進むと、
カレーライスで有名な「御茶ノ水小川軒」が右手に見える。
土日でなければ営業しているので、
ここで昼食というのも良い。カレーライスの
1600円は高いか、安いかは懐具合による。
やがて本郷に入り、本郷三丁目の交差点手前左側に、
「かねやす」がある。休日にはシャッターが下りており、
大きく「かねやす」と書いてあるから判りやすい。
(かねやす)
その壁に、「本郷もかねやすまでは江戸の内」と川柳の表示がある。
案内板によれば、
「兼安祐悦という口中医師(歯科医)が、
乳香散というは磨き粉を売り出し、評判になり、
客が多数集まり祭りのように賑わった。」
とある。(文京区教育委員会)
余談になるが、
NHKの「金曜時代劇 慶次郎縁側日記」
(2004年放映)北原亞以子著に
(本郷の「かねやす」までは瓦屋根が続いたが、
この先はわらぶき屋根が多く見られる。)とあるが、
この「かねやす」の史実をさらっと書き込み
江戸時代をうまく表現している。
享保15年大火があり、防災上本郷三丁目から
江戸城にかけて、土蔵造りを奨励し、
屋根は萱葺を禁じ瓦にすることを許可した。
江戸の町並みは、本郷までは瓦葺がつづき、
それからの中山道は板や茅葺の家が続いたという。
その境目が「かねやす」であった。そこで
「本郷もかねやすまでは江戸の内」と川柳が出来た。
なお、
「かねやす」は芝神明の兼安と本郷の兼安があり、
よくある元祖争いが起きて、
(本郷は仮名で、芝は漢字で表示)と、
奉行所は粋な判決をくだした。
さすが大岡越前守というところか。
(文京区教育委員会)
学問の神様として孔子が祀られており、
木々がうっそうとしており、
厳かな雰囲気につつまれている。
神田明神は、平将門が祭られており、
江戸庶民には人気があったそうであるが、
今は、銭形平次の方が知られていて、人気が高い。
(神田明神)
神田明神、湯島聖堂の間の旧街道を進むと、
カレーライスで有名な「御茶ノ水小川軒」が右手に見える。
土日でなければ営業しているので、
ここで昼食というのも良い。カレーライスの
1600円は高いか、安いかは懐具合による。
やがて本郷に入り、本郷三丁目の交差点手前左側に、
「かねやす」がある。休日にはシャッターが下りており、
大きく「かねやす」と書いてあるから判りやすい。
(かねやす)
その壁に、「本郷もかねやすまでは江戸の内」と川柳の表示がある。
案内板によれば、
「兼安祐悦という口中医師(歯科医)が、
乳香散というは磨き粉を売り出し、評判になり、
客が多数集まり祭りのように賑わった。」
とある。(文京区教育委員会)
余談になるが、
NHKの「金曜時代劇 慶次郎縁側日記」
(2004年放映)北原亞以子著に
(本郷の「かねやす」までは瓦屋根が続いたが、
この先はわらぶき屋根が多く見られる。)とあるが、
この「かねやす」の史実をさらっと書き込み
江戸時代をうまく表現している。
享保15年大火があり、防災上本郷三丁目から
江戸城にかけて、土蔵造りを奨励し、
屋根は萱葺を禁じ瓦にすることを許可した。
江戸の町並みは、本郷までは瓦葺がつづき、
それからの中山道は板や茅葺の家が続いたという。
その境目が「かねやす」であった。そこで
「本郷もかねやすまでは江戸の内」と川柳が出来た。
なお、
「かねやす」は芝神明の兼安と本郷の兼安があり、
よくある元祖争いが起きて、
(本郷は仮名で、芝は漢字で表示)と、
奉行所は粋な判決をくだした。
さすが大岡越前守というところか。
(文京区教育委員会)
「かねやす」は老舗のようですが、何屋さんですか。
一階は雑貨でしょうか、バッグなども売っていました。