中山道は近江鉄道の踏切を渡るが、
その手前の右側に石材店があり、
「中山道 高宮宿」の大きな案内と常夜灯がある。
ここから高宮宿に入って行く。
踏切を越えて、最初の信号(高宮町大北)があり、
右向こう側に地蔵堂がある。
「木之本分身地蔵尊」通称(大北の地蔵さん)と呼ばれる地蔵尊がある。
(高宮町)の説明によると、
(普通、地蔵様は石造りが一般的であるが、
この地蔵は珍しく木彫りに彩色されたものである。
側には明治三十三年四月の記で、
「木之本分身地蔵菩薩」と書かれた石柱があり、
木之本浄信寺にある眼病のご利益で名高い、
木之本地蔵の分身といわれている。
しかしその由来等についての古文書は
残念ながら不明である。)とある。
つまり言い伝えで、
「木之本分身地蔵尊」ということになっていると言うことだ。
唯一証拠になっているのは石柱だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/e3/fe11fa5ee03a10a5e922289d013e589a.jpg)
(高宮町大北)信号の右角にある地蔵堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/73/00dc62d5f64cd59c2e5cb86a400416bc.jpg)
(地蔵堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a4/48363cb1e99ffc00445b25ebe78b2058.jpg)
(木之本分身地蔵の碑)
高宮宿の家並みは、軒うだつが上がっている家が目に付く。
それなりに功成り、名を挙げた人たちが多かったということになる。
その先右手に「高宮神社」の鳥居が見える。
左手には(旧庄屋 布惣跡)の建物がある。
(宿駅 座・楽庵)の看板が架かっており、
(高宮布 布惣跡)としての説明がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/bb/8548d0ceac98bb09b2786b6a8072afc5.jpg)
(軒卯建のある家々)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/d6/23adaeae39d0fbda9929f488adae6eca.jpg)
(高宮神社の鳥居)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/1f/1c292a7e36f0b67f551c5f0be06fb51b.jpg)
(旧庄屋 布惣跡の建物、左に一つ残る蔵)
(高宮布は、高宮の周辺で産出された麻布のことで、
室町時代から貴族や上流階級の贈答品として珍重されていました。
高宮細美とも、近江上布とも呼ばれ、
江戸時代になってからも、高宮は麻布の集散地として栄えました。
「布惣」では、七つの蔵にいっぱい集荷された高宮布が全部出荷され、
それが年に十二回繰り返されなければ平年でない、といわれたと言います。
その七つの蔵の内、現在五つの蔵が残っており、
当時の高宮嶋の看板も現存しています。)とある。
つまり七つの蔵に上布がいっぱい集荷されて出荷される、
この繰り返しが年に十二回繰り返されれば普通で、それ以上繰り返された。
残っている五つの蔵は建物の左横に一つ、あとは建物の裏側に残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/38/cd93d7b548b27bfe72aa8db7c8cf32fa.jpg)
(四つ全部は見えないが残っている蔵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/aa/db53dfb2f95d9491085b8058479d97b7.jpg)
(布屋 惣平の描かれた建物、蔵が五つ見える)
この地方の麻の布は全国的に有名で、
伊藤忠、丸紅の創業者もこの高宮宿の出身である。
(これについては後述する。)
高宮神社に入っていくと、神門の手前右手の小公園内に、
芭蕉句碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/f1/b20bec321efb9ff36b42d7e547bbd7f3.jpg)
(高宮神社の神門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/6f/2cd8b97c55e1b1456be1007348f98935.jpg)
(神門右横の笠砂苑、この中にある芭焦句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/54/7f36a47671836d8f3f31344e60779943.jpg)
(芭蕉句碑)
・をりをりに 伊吹を見てや 冬篭り はせお(芭蕉)
この句碑は、神門左手にあったものを右に移したという。
神社を出て、街道を行く。
宿場らしい風情が残っている建物が目につく。
しばらくして左手に高宮郵便局があり、
その先に石の大鳥居とこれまた異様に背の高い常夜灯がある。
多賀大社の(一の鳥居)である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/f8/a13d2d3dc6c3103f5be8d1080bb2f91b.jpg)
(宿場らしい風情のまち)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/11/c11e4c274d9dfd2e35c71fe6602e137f.jpg)
(高宮郵便局)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/b1/70cabb8f54649da2994c057752095532.jpg)
(鳥居と常夜灯)
高宮町の説明では、
(寛永十二年(1635)の建立されたもの。
柱間は約8メートル、高さ11メートルあり、
県の文化財に指定されている。
――後略。)とある。
また、常夜灯については、
(大鳥居の脇に高さ6メートル、
底辺の一辺3・3メートルの正方形をなす大きな石造りの常夜灯である。
灯明をともす小窓までは、石造りで十三段の階段が付いている。
古くは一対で建立されていた。――後略)
こんな大きな常夜灯を見るのもはじめてである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/99/2ba7b3d4d1abdf26f669fb745c86a406.jpg)
(大きな常夜灯、後ろに見える階段は十三段あるそうな)
その手前の右側に石材店があり、
「中山道 高宮宿」の大きな案内と常夜灯がある。
ここから高宮宿に入って行く。
踏切を越えて、最初の信号(高宮町大北)があり、
右向こう側に地蔵堂がある。
「木之本分身地蔵尊」通称(大北の地蔵さん)と呼ばれる地蔵尊がある。
(高宮町)の説明によると、
(普通、地蔵様は石造りが一般的であるが、
この地蔵は珍しく木彫りに彩色されたものである。
側には明治三十三年四月の記で、
「木之本分身地蔵菩薩」と書かれた石柱があり、
木之本浄信寺にある眼病のご利益で名高い、
木之本地蔵の分身といわれている。
しかしその由来等についての古文書は
残念ながら不明である。)とある。
つまり言い伝えで、
「木之本分身地蔵尊」ということになっていると言うことだ。
唯一証拠になっているのは石柱だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/e3/fe11fa5ee03a10a5e922289d013e589a.jpg)
(高宮町大北)信号の右角にある地蔵堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/73/00dc62d5f64cd59c2e5cb86a400416bc.jpg)
(地蔵堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a4/48363cb1e99ffc00445b25ebe78b2058.jpg)
(木之本分身地蔵の碑)
高宮宿の家並みは、軒うだつが上がっている家が目に付く。
それなりに功成り、名を挙げた人たちが多かったということになる。
その先右手に「高宮神社」の鳥居が見える。
左手には(旧庄屋 布惣跡)の建物がある。
(宿駅 座・楽庵)の看板が架かっており、
(高宮布 布惣跡)としての説明がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/bb/8548d0ceac98bb09b2786b6a8072afc5.jpg)
(軒卯建のある家々)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/d6/23adaeae39d0fbda9929f488adae6eca.jpg)
(高宮神社の鳥居)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/1f/1c292a7e36f0b67f551c5f0be06fb51b.jpg)
(旧庄屋 布惣跡の建物、左に一つ残る蔵)
(高宮布は、高宮の周辺で産出された麻布のことで、
室町時代から貴族や上流階級の贈答品として珍重されていました。
高宮細美とも、近江上布とも呼ばれ、
江戸時代になってからも、高宮は麻布の集散地として栄えました。
「布惣」では、七つの蔵にいっぱい集荷された高宮布が全部出荷され、
それが年に十二回繰り返されなければ平年でない、といわれたと言います。
その七つの蔵の内、現在五つの蔵が残っており、
当時の高宮嶋の看板も現存しています。)とある。
つまり七つの蔵に上布がいっぱい集荷されて出荷される、
この繰り返しが年に十二回繰り返されれば普通で、それ以上繰り返された。
残っている五つの蔵は建物の左横に一つ、あとは建物の裏側に残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/38/cd93d7b548b27bfe72aa8db7c8cf32fa.jpg)
(四つ全部は見えないが残っている蔵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/aa/db53dfb2f95d9491085b8058479d97b7.jpg)
(布屋 惣平の描かれた建物、蔵が五つ見える)
この地方の麻の布は全国的に有名で、
伊藤忠、丸紅の創業者もこの高宮宿の出身である。
(これについては後述する。)
高宮神社に入っていくと、神門の手前右手の小公園内に、
芭蕉句碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/f1/b20bec321efb9ff36b42d7e547bbd7f3.jpg)
(高宮神社の神門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/6f/2cd8b97c55e1b1456be1007348f98935.jpg)
(神門右横の笠砂苑、この中にある芭焦句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/54/7f36a47671836d8f3f31344e60779943.jpg)
(芭蕉句碑)
・をりをりに 伊吹を見てや 冬篭り はせお(芭蕉)
この句碑は、神門左手にあったものを右に移したという。
神社を出て、街道を行く。
宿場らしい風情が残っている建物が目につく。
しばらくして左手に高宮郵便局があり、
その先に石の大鳥居とこれまた異様に背の高い常夜灯がある。
多賀大社の(一の鳥居)である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/f8/a13d2d3dc6c3103f5be8d1080bb2f91b.jpg)
(宿場らしい風情のまち)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/11/c11e4c274d9dfd2e35c71fe6602e137f.jpg)
(高宮郵便局)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/b1/70cabb8f54649da2994c057752095532.jpg)
(鳥居と常夜灯)
高宮町の説明では、
(寛永十二年(1635)の建立されたもの。
柱間は約8メートル、高さ11メートルあり、
県の文化財に指定されている。
――後略。)とある。
また、常夜灯については、
(大鳥居の脇に高さ6メートル、
底辺の一辺3・3メートルの正方形をなす大きな石造りの常夜灯である。
灯明をともす小窓までは、石造りで十三段の階段が付いている。
古くは一対で建立されていた。――後略)
こんな大きな常夜灯を見るのもはじめてである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/99/2ba7b3d4d1abdf26f669fb745c86a406.jpg)
(大きな常夜灯、後ろに見える階段は十三段あるそうな)
都会に近いほうだし?
山があり湖があり
街が人工的に手がはいってなさそうな
ところがいいわ♪
コメント有難うございます。
確かに高宮宿は、旧家が多く、
気持ちがゆったりしますね。