(縁切り榎の迂回路)
皇女「和宮」が降嫁されるとき、「縁切り榎」は不吉として、
榎に布を巻いて見えないようにして、通過したという。
「和宮」以前に降嫁された皇女「五十宮(いそのみや)」、
「樂宮(ささのみや)」の折には「縁切り榎」を避けて
迂回路が整備された。そんな記録があるという。
その迂回路を通って見る。
「縁切り榎」の手前50mほど右側に原木歯科医院があり、
その前がT字路になっている。
これが迂回路である。
左に折れて、国道17号を渡ると「愛染通り」で、
すぐ右側に智清寺がある。
(ここは浄土宗のお寺で、室町時代初期に創建されたと伝えられる。
境内には、板橋上宿の名主、板橋市左衛門の家歴代の墓碑がある。)
(板橋区教育委員会)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/92/5d341540579516f2dee80450b5bbef9a.jpg)
(智清寺と山門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/2d/d57544603223f7dcde04c90a11fa0888.jpg)
(上宿の名主 板橋家の墓、本堂左手より、
墓地に通じる道を奥に突き当たる手前の左側に並ぶ)
山門前にある石橋は、史跡として認定され
以下のように記されている。
(山門前にある石橋は、江戸時代に使用された中用水に架けられたもの。
中用水は、農業用水として石神井川の水を分水したもの。
明治五年板橋町と下流の上十条村以下 七ヶ村との間で
配水を巡って争い、板橋の農民が当寺に立てこもった。
同石橋は、昭和60年板橋区登録文化財に認定された。)
(板橋区教育委員会)
山門前にある石橋は、史跡として認定され
以下のように記されている。
(山門前にある石橋は、江戸時代に使用された中用水に架けられたもの。
中用水は、農業用水として石神井川の水を分水したもの。
明治五年板橋町と下流の上十条村以下 七ヶ村との間で
配水を巡って争い、板橋の農民が当寺に立てこもった。
同石橋は、昭和60年板橋区登録文化財に認定された。)
(板橋区教育委員会)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/da/06d4ae0bb05662147dec81e524f15ee2.jpg)
(文化財となった石橋)
![1512471](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/4c/37dab81369232f4aa2efb08bc18d3442.jpg)
(歴史を感じさせる阿弥陀堂の扁額)
この智清寺前を通り過ぎると、すぐ斜め右に入る道があるので、
その道に沿って入ると、日曜寺という面白い名前のお寺がある。
正式には真言宗霊雲寺派、光明山愛染院日曜寺といい、
御本尊は寺の名前とおり、愛染明王。
山門にかかる「日曜寺」と揮毫された扁額が太平洋戦争で
唯一残された1815年より伝わる宝。(板橋教育委員会)
境内には梅ノ木が植えてあり、春先には見事に花を咲かす。
近くには「愛染通り」の名前の通りがあるが、
川口松太郎原作の小説「愛染かつら」とは縁もゆかりもない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/50/213620e8f8c6d5746c30fcfec7a52f03.jpg)
(日曜寺山門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/3e/279e9508769f3e5b6a2bc2ee1abacf95.jpg)
(文化12年松平定信が奉納した日曜寺の扁額)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/17/cb010d28dd47d9addf0d8fbca3ceaa04.jpg)
(平尾町内の幟旗の支え石)
山門を出る手前に、幟旗を立てる際に必要な支え石があるが、
脇に「平尾町内」の文字が刻まれている。
板橋宿は、先に述べたが、上宿、仲宿、平尾宿に分かれているが、
平尾宿だけは地名にも無く、平尾宿の名残としては、
旧中山道と国道17号線が交差する角にある交番「平尾派出所」と
この石に刻まれた「平尾町内」の文字くらいしか見当たらない。
愛染が藍染に通じ染色組合や、板橋芸妓組合の
寄進による玉垣が奉納されている。藍染組合はともかく、
芸妓組合が奉納しているところを見ると、板橋宿が遊興の里として
繁盛していたことが伺える。
(愛染明王は遊女の守り神である「芭蕉の恋句(岩波新書91参照)」ことが後で解った。
これで芸妓組合が玉垣を奉納する意味が納得できる。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/74/a872a9d17fc5b720bfee9500cea05aac.jpg)
(芸妓組合と藍染組合寄贈の玉垣)
日曜寺を左に見て進むと、すこし広い道路「愛染通り」に出て右折。
しばらくすると、環状七号線の交差点にでる。
富士街道入り口交差点。
信号を渡るとマンションがあり、左が富士街道で、
マンションに沿って右に入る一方通行の狭い路地があるが、
ここを進むと国道17号にでる。
「清水町」の信号である。
17号を横断して、自動車道ではなく右側に、
今までと同じ如何にも人道らしい路地があるので、
そこを入ると旧中山道に出る。
出た所には園芸用品を扱う店がある。
ここまでが「縁きり榎」の迂回路である。
左折して旧中山道である。
ここまでの迂回路を根村道(ねむらみち)と言う。
根村(ねむら)は板橋区上宿の元になった村である。
昭和22年に板橋区から分かれて練馬区が出来たが、
練馬と根村、(ねりまとねむら)
発音が練馬に似通っており、この村が分岐点となる練馬への
富士街道があるのは面白い。
「縁切り榎」を避ける根村道は約一キロある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/c4/4312aa00a6ceebc59e74a7aa89740166.jpg)
(富士街道入り口信号)
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