中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

塩尻峠(旧中山道を歩く150)

2008年09月11日 07時31分09秒 | 4信濃(長野県)の.旧中山道を歩く(110~1

(56番目の一里塚)
 
(下諏訪宿6)
「旧中山道を歩く」も150回になった。
まだ、中山道の中間地点にさえ来ていない。
いったい何回連載すると京都にたどり着けるのか、
考えるだけで恐ろしくなってきた。
歩いた日程は、まだ24日間。
京都までは50日くらい掛かるのであろうか?

昔(江戸時代には)15泊16日が平均歩行日数であったようであるが、
ただ目的地に到着するだけが目標であるから、
そんな日程で歩けたのであろう。

さて、現実に戻って、
56番目の一里塚を過ぎると道路は緩やかな登り道となる。
少し歩くと左側に「今井番所跡」の石碑があり、
その後ろに黒のいかめしそうな番所(関所)がある。
石碑も番所もまだ新しく、最近造ったものであろうか。
(今井番所跡)

石碑の左横に次のように刻まれている。
「今井地区は往古より道の存在が想定される。
古くは史実に出てくる鎌倉時代の街道があり、
戦国時代武将兵が往来した道があり、江戸時代の中山道がある。
徳川家康は関が原戦勝後、全国統治のため街道を制定した。
慶長6年(1601)に東海道を開削して、
よく慶長7年(1602)本州中部を横断する中山道を開削した。
中山道は当初ここから東方の東掘から川岸を経て木曽に通じる道であったが
防衛上の事情により12年後の慶長19年に塩尻峠越えの道を開削した。
この碑の前の道がその中山道である。道幅2間2尺――中略――
そして防備のため多くの関所を設け、
特に入鉄砲・出女を取り締まった。」と刻んである。

なるほど刻まれているように、街道は中山道の雰囲気である。
(今井茶屋本陣跡。明治天皇小休所の碑も見える)

(国の有形文化財らしく整った姿の門構え)

すぐ右側に今井茶屋本陣跡に着く。
黒い門構えの立派な茶屋で、
門前に「明治天皇御小休所跡」の石碑がある。
江戸時代の姿を残していると言うことで、
国の有形文化財に指定されている。

この茶屋本陣跡を過ぎると
坂は少し急になりすぐ先に石の道標が右上に建っている。
(道標)

「右しもすは 中山道 左しほじり峠」とある。
坂を上ると高速道路の上に出る。

高速道路の開通により、
道路は今までの中山道とは少し変わっており、
高速道路を橋で渡ると突き当たり、
左に折れるとさらに二股に分かれる。
一方は下り坂で一方は上り坂になるが、
この後塩尻峠に向かうので登り坂のほうへ向かう。
(振りかって見たらあった道路案内)

振り返ると上り坂の方角へ矢印で石船観音を指しているので、
間違いが無いことを確認して坂を登る。
間もなく道路は左に広い対抗車線の道、
右に狭い道路に分かれるY字路にでる。
(急な階段と道案内板)

(案内看板)

その右角に急な階段があり、階段の前に案内看板がある。
看板によれば、階段の上が石船観音、
先に進むと右側に金名水、
さらに先の左側に「大石」があり、
その先が塩尻峠で旧中山道の案内がある。

(階段の途中にあった石船馬頭観音の額)

せっかく来たのだから、石船観音の階段を登る。
かなり急な階段で「行きは好い良い帰りが怖い」と感じながら、石段の数を数える。
うろ覚えであるが、石船観音と書いた額がある途中まで31段、
さらに上方に奥の院の如くお宮はあり、そこまで34段ある。
(石船観音の奥の院)

一番上から下界を眺めるときっと眺望はよいのであろうが、
あいにくボクは高所恐怖症のため観ることができない。
これからの道中の安全を祈り、
お参りを済まして恐る恐る階段を降りる。

さて、いよいよ塩尻峠である。
脇にある清水でのどを潤し、急な坂を50mほど昇り、
(山賊が隠れたと言う「大石」)

左側の「大石」に着く。
この石の後ろに隠れて昔は旅人を襲う山賊が出没した、と説明にある。
なるほどと考え込んだときに
(そうだペットボトルにさっきの清水を入れてこようと)思いついた。
振り返ると急坂はかなり先まで降りないと清水が出ているところまで行けない。
それでも思い切って戻ることにした。

今まで持ってきたスポーツドリンクが暑さで生ぬるくなっており、
尚且つ三分の一くらいになっていたので、これを捨てて、
冷たい清水をペットボトルに詰め込んだ。
そして先程の「大石」のある場所を見ると、
ずいぶん先の上の方にある。
(塩尻峠の急坂)

案内書によれば、塩尻峠は石船観音より標高差230m、
道行800mとあるから、およそ3m進むと高さ1mを登ることになる。

それが800m続くと考えただけで進むのが嫌になったが、
進むも地獄なら、退くのも地獄、ここまで来たからやっぱり進もうと、

歩を進める。

200mも進むともう足が動いてくれない。
碓氷峠で山登りは懲りたが、中山道はすべて山の中である、
とは「夜明け前」の藤村の書き出しにある。
少し休憩してまた進む。

そして休憩。

半分も登ったかと思われるころ、
山の上から結構年配の男性が降りて来た。
挨拶をしてこの上はどのくらいあるかと聞くと、もうすぐ峠ですよという。
山家の人がもうすぐといっても、
相当あるんだろうなと訝しがっていると、
その先を左に行ったところにカーブミラーがあるが、
そこから右に曲がって二百歩程度です、という。

見えないカーブミラーまで2百歩はあるかな?
と思いながら、重い足を動かす。
50mも進むとカーブミラーが見えてきた。
あれを越えればあと二百歩か、
ボクの足は一歩が70cmあるが山道では20cmだから
400mもまだあるのかと思うと足はどんどん重くなる。

それでもやっとの思いでカーブミラーのところへ着く。
右に回って二百歩と覚悟を決めて50歩ほど歩くと、
木の枝に覆われていた道が急に開け、広場に出た。
右を見ると記念碑が建っている。馬頭観音、道祖神、など石造群があり、
ひと山向こうに展望台が見える。

どうやら峠に着たか?

と前方を見ると旧中山道はこちらの矢印が見え、道路は下リ坂になっている。
喜びの気持ちを抑え、展望台のほうへ向かう。

英泉画く浮世絵の「木曽街道塩尻嶺 諏訪湖水眺望」にあったような景色が見える。

山間の向こうに諏訪の人家が見え、先に諏訪湖が光っている。

まさに絶景!

撮った写真家(ボクのこと)が下手で、
この気持ちをご覧いただけないのが残念です。
(峠から見た下諏訪。諏訪湖が見え英泉画く浮世絵に似ている?)

山登りはもうこりごりとは言いながら、
この景色を見ると来た甲斐があったと思うのは、
登山家のようないっぱしの感想でしょうか?
(英泉画く浮世絵「木曽街道塩尻嶺諏訪湖水眺望」蕨宿にあったタイル)

浮世絵は諏訪湖を望み、湖面は氷に覆われ左端から氷に亀裂が入っている。
御神渡りであろうか、この亀裂が入るときは轟音が響くと言う。

一度は聞いてみたいものである。




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1 コメント

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苦労して峠に登り、撮られた絶景の写真を、楽して... (salasala)
2008-09-14 11:11:42
苦労して峠に登り、撮られた絶景の写真を、楽して見せていただくのは、申し訳ないような気がしますo(^▽^)o
150回掲載、本当に素晴らしいことです。
この先、ご無理なさらないで、ゆっくりとしてくださいね。
諏訪湖の氷の亀裂音、私も聴いてみたいです。どんな音が、想像がつきません。
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