(鏡島弘法「乙津寺」)
(加納宿3)
岐阜市の歴史的建造物として残されている旧加納町役場を過ぎ、
中山道は西に向うと、右側に「中山道加納宿当分本陣跡」の碑がある。
当分ということは間に合わせで、補助的なに置かれた本陣のこと。
それにしても脇本陣もあることなのに・・・
その碑の左横には(明治天皇御小休所跡)と書かれている。
何か事情があって、天皇がお休みになる場所を造って、
本陣とし、本来の本陣の補助的役割を果たしたのであろう。
加納宿には本陣も脇本陣も残っていない。
残っているのは、標柱だけである。
しばらくして加納宿西問屋跡、脇本陣跡があり、
JR岐阜駅から伸びてきた道路と交差する。
(当分本陣跡)
(加納宿問屋跡)
(脇本陣跡)
(岐阜駅から来た広い道)
考えたら、お昼弁当を出発前に駅で買うところ、買うのを忘れていた。
丁度お昼でもあり、お手洗いにも寄りたいので岐阜駅に向う。
駅には岐阜観光案内所もあることだから、
西の番所跡のあり場所も聞いておきたい。
食事とお手洗いを済ませて、観光案内所を訪ねる。
西番所跡は駅から伸びた広い通りより西にあり、
しかも行く手の左側にあることが解った。
旧中山道に戻って駅から来た道から右折するも、
西番所跡はなかなか見つからない。
左手に秋葉神社はある。
余り見つからないので、秋葉神社を振り返ると、
中山道加納宿西番所跡の石柱が見えるではないか。
(秋葉神社、手前の後ろ向き西番所跡標柱)
(西番所跡)
何のことはない秋葉神社の敷地内に西番所跡の碑はあるが、
その碑が西向きになっているから、
江戸方面から来た人には背面しか見えないため、
なかなか見つからないのだ。
これが京都方面から来れば、何の苦もなく見つかるであろうに・・・
ここが加納宿西の入り口であろう。
東の番所跡からおよそ2kmあるという。
先に進むと左手に阿賀多神社があり、
その先に(中山道)の案内がある。
この辺りに一里塚があったものと思われる。
(阿賀多神社)
(中山道の案内、この辺りにあった一里塚)
先に進むと東海道線の高架と交差する場所に出る。
(清水町2)の信号である。
中山道はどちらなのか、ここではたと困った。
直進した所には目印となるものはどこにも見当たらない。
高架をくぐって向こう側へ出てみると、
左手の金網のフェンスに
(本荘まちづくり協議会)作成の案内があることが解った。
(清水2の信号)
(中山道の道案内地図)
(東海道線の高架をくぐった先)
案内によれば、高架をくぐって向こう側に出て、
道路は二手に分かれるが、
手前の道を進むのが中山道であると示してある。
手前の道を十数歩進むと、
右側の金網に(中山道)の案内がありホッとする。
その道路を出たところが、また変形の交叉点になっていて、
道路向こう側にある「いちだクリニック」脇の道路の、
その向こう側の道路を行くように案内がある。
(手前の道路を十数歩進むと見える中山道の案内)
(ワンブロック進むと変則交差点、いちだクリニックのビルが見える)
(ここにもフェンスに本荘まちづくり協議会の案内がある)
案内どおり進むと、進んだ先の右側に本荘小学校があり、
道路際に学校のお手洗いがある。
必要の方は是非ご利用をお勧めする。この先田舎道には
W.C.はない。
この先に進むとまた厄介な道路に出るが、
親切にも本荘まちづくり協議会の丁寧な案内に沿って進めばよい。
やがて広い交叉点に出る。
道路向こう側に八幡神社が見える。
道路を渡ると「中山道の案内」があるので、
この地図に従って進む。
(反対側に八幡神社が見える、森医院の間の道路を進む)
(八幡神社にある案内)
次の信号が(鏡島大橋南)で広い通りを横切り進む。
地図の通りT字路に出てこれを左折すると、
左手に(鏡島弘法前)のバス停があり、その先右側に
「瑞甲山 乙津寺」の石碑があり。
中山道はこの石碑を右手に見ながら、
道なりに進むと長良川に掛かる河渡橋へ出る。
橋を渡ってすぐ左折し土手沿いに歩けば中山道である。
しかし、鏡島弘法の乙津寺の裏手に、
長良川を渡す「小紅の渡し(おべにのわたし)」が今でもまだ健在ということを聞いて、
どうしても舟で長良川を越えたい。
せっかくここまで来たから、鏡島の乙津寺へ寄って、
その裏手の渡しへ行きたいものである。
「乙津寺」の石碑のある場所の左横の道路を覘くと
奥に赤い鳥居が見え、
その横に「弘法入り口」の案内看板が見えるので進む。
赤い鳥居まで来ると、
右横方向に山門があり手前に(弘法大師)の石柱が見える。
(鏡島大橋南の信号)
(T字路を左へ)
(左にある鏡島弘法前のバス停)
(右手の乙津寺の石柱)
(奥を覘くと弘法入り口と赤い鳥居が見える)
(山門の弘法大師の石柱)
ここが鏡島弘法 「乙津寺」である。
門をくぐると、左手に工事中の金網があり、
正面に本堂らしきものが見える。
その手前に御神木と書いた大楠の木があり、
およそ400年経っているらしいが、
相当な大きさである。
正面にある真新しい建物は本殿(?)なのかよく解らない。
この真新しい本殿の左横に、
四国八十八箇所の南無弘法大師の旗がはためいている。
その旗のほうへ行くと、八十八個の大師像が並んでいる。
カタカナのコの字がたに並んでいる八十八個の像の前で、
手を合わせ進むと、乙津寺の裏手へでる。
出たところに「小紅の渡し右」の看板がある。
(山門をくぐると本殿?)
(手前のご神木、樹齢400年)
(こちらへ遷宮?)
(四国八十八箇所)
(四国八十八箇所2)
(小紅の渡しの案内看板)
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