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(JR中津川駅)
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(正面屋根の上に、まっすぐの軒ウダツが見える)
(中津川宿 3)
ここは中津川宿のはずれに造り酒屋がある。
軒卯建(のきうだつ)が上がるこの造り酒屋で、
京都側の枡形になり右に曲がる。
その造り酒屋の道路を挟んで左側に石標があり、
「式内恵奈山上道」と書かれている。
恵那山上へ通じる路になっているらしい。
恵那山頂上にはこの辺りの産土神であり延喜式内神社がある。
祭神はイザナギノミコト・イザナミノミコトの二神で、
恵那山の「えな」は「胞衣(えな=胎児を包む膜、胎盤の事。)」を埋めた山を指す。
つまりこの地が二人の神の子 天照大神の生誕地を示している。
またこの石標の手前左角の屋上には「く」の字に曲がった軒卯建がある。
軒卯建は防火壁で幅20cmほどの厚い壁で、
隣家への類焼を防ぐ壁であるが、
普通はすべて直線で出来ており、
このように曲がっている軒卯建を見るのは初めてだ。
大変珍しい。
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(恵那山上道の石標)
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(正面の屋根の上に「く」の字に曲がったウダツが見える)
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(常夜灯)
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(旧中山道を表わす石垣、この先突き当たりになっている)
中山道を枡形に沿って右に曲がった右先に常夜灯があり、
中津川(川上川)までの旧中山道は消えている。
その名残はこの常夜灯の裏側にある石垣が当時のままで、
石垣の前の狭い道が旧中山道であると、
土地のお祖母ちゃんと90歳になる爺ちゃんが教えてくれた。
その中津川には橋が掛かっており「中津川橋」と言い、
中津川宿はここで終わる。
その手前にもう一つの橋があり、
下を覗くと、綺麗なレンガ道になっているので、
通りがかりの婆ちゃんに聞くと、
「昔この下は線路が走っていました。
橋は(ちゅうおうばし)って言いましたよ」という。
中津川駅からどこまで行った線路なのかはご存じなかった。
その先に一級河川「木曽川」の支流「中津川」があり、
中津川に掛かる橋を渡ると、川の前後は開けていて見晴らしが良い。
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(中津川橋)
「木曽路はすべて山の中である。」と書かれた「夜明け前」の文章の通り、
今まで木に覆われた山中から比べれば、中津川は随分明るく開けた町であった。
島崎藤村が、小説の中で「あの山の向こうが中津川だよ。
美濃は良い国だねえ」と主人公の青山半蔵に語らせた
明るい中津川宿を感じさせた。
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(中津川橋から見た景色)
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(中津川橋を渡り終えたところから見える景色)
あれ?と思いますね。