[1.1 天皇杯決勝 G大阪0-1柏 国立]
前半は完全にガンバ大阪のペース。だが、ゴールが決まらない。
前半9分、MF遠藤保仁のCKからFWレアンドロのシュートが決まったかと思えばオフサイド。同26分、27分にはサイドを切り裂いて波状攻撃を仕掛け、相手をきりきり舞いにさせたが、それでもゴールに至らない。
そして、受け身に回っているかに見えていた柏にセットプレーから先制点を決められたのは前半35分だった。相手はすかさず、守備の意識を高め、ゴール前を固めていった。
「流れの中で自分たちが点を取れなかったのも敗因の一つだし、セットプレーでやられたのも敗因の一つ。いい内容であっても、今日に関しては勝たないと意味がなかった」
遠藤は声のトーンを潜めながら、淡々と話した。
J2とACLをダブル制覇するチャンスを手にしようという野望を胸に、元日の国立競技場に乗り込んだ。けれどもまたもや直面したのは、チャンスに決めきれず、守備で耐えきれず、敗れてしまうという構図だった。
この日は「前半は自分たちのペースだったし、守備もうまくいっていた」と遠藤が振り返ったように、守備陣が大きく崩れるような時間帯はなかったが、今シーズンを象徴するような展開を天皇杯決勝という大舞台で演じてしまったことが悔やまれる。
それでも遠藤は言う。
「ガンバにとっては厳しく、難しいシーズンだったし、最後にタイトルも獲れなかった。でも、ここで立ち止まっているわけにはいかない。新たに高いモチベーションを持ってやっていきたい」
2013年の蹴り初めを終え、背番号7はそう言って前を見据えた。
※引用しました。
◇ニューイヤー駅伝(前橋市・群馬県庁発着点)
第57回全日本実業団対抗駅伝競走大会(7区間計100・00キロ)は4区宇賀地強で首位に立ったコニカミノルタ(東京)がそのまま単独首位を守り4時間51分32秒で5年ぶり7回目の優勝を飾った。
▼酒井勝充監督 優勝まで5年は非常に長かった。若手中心に絶対に勝つんだという思いでやって来た。コーチがよく指導してくれた。ただ勝てたことがよかった。5区の伊藤が流れをつかんでくれた。
▼1区・谷川智浩 初めてで緊張したが最低限の走りはできた。優勝できて本当にうれしい。
▼2区・ポール・クイラ ナンバー1になれてとても、とてもうれしい。
▼3区・野口拓也 (8人抜きの力走に)自分のところで役目を果たせてよかった。いい走りができた。ただ、後半失速したのでそこが課題。
▼4区・宇賀地強 酒井監督を胴上げできてうれしい。
▼5区・伊藤正樹 遠藤の大声援が支えになりました。
▼6区・新田良太郎 負けるとは思っていなかった。
▼7区・松宮隆行 今までの優勝の中で一番うれしい優勝です。5年は長かった…。若手が出てきてくれた。最高でした。みんなに感謝したいです。
※引用しました。
大みそかのNHK紅白歌合戦に初出場した5人組アイドルグループ・ももいろクローバーZの有安杏果が1日、声帯治療のため、1カ月間声を出さずに活動を行うことを明らかにした。
また、ももいろクローバーZは、この日インターネットの生中継を行い、紅白出場に次ぐ目標を「国立競技場ライブ実現」に設定することを宣言。
結成当時から夢と明言してきた紅白出場を達成し、リーダーの百田夏菜子は「夢の舞台だったのですごくうれしかったけど、このままでは止まれない。通過点でしかない」とコメント。全員で東京・国立競技場を訪れ、「実現はいつになるかわからないけれど、わたしたちは国立競技場でのコンサートを目指して頑張ります!」と誓った。
※引用しました。
季限りでの現役引退を昨年末に表明したばかりの松井秀喜氏(38)が将来かなえたい3つの夢を抱いていることが31日、分かった。(1)大学入学(2)米国に拠点を置いての生活(3)高校野球の監督-が2013年の“初夢”。古巣の巨人から近未来の監督候補として熱烈ラブコールを送られるなど、引く手あまたの松井氏。それでも現役時代から思い描いていた3本立ての夢を実現するために、今年も全力で突き進むつもりだ。
衝撃の現役引退表明で年末の話題を独占した松井氏は、年明けも極寒のニューヨークにいた。プロ入り以来、初めて石川・能美市の実家に里帰りせず、夫人と、そのおなかの中に宿るミニラ(第1子)と過ごすお正月。タイムズスクエアの喧噪(けんそう)を遠くに聞きながら今後に思いをはせた。
「生きている以上は、何かを学ぶのは大切なこと。そういうことに時間を費やしていきたいと思っています」
引退表明の記者会見で語ったように、現役時代から向学心旺盛で読書家でもある松井氏が以前から抱いていた夢の1つが大学進学だ。石川・星稜高時代は入学当初から進学も視野に入れて勉強にも力を入れていたが、ドラフト1位で指名されて巨人入り。華やかなキャンパスライフは送れなかった。
元巨人の桑田氏(早大入学)ら引退後に大学入学を果たした選手は多い。松井氏も常々、「大学に行ってみたかった」と口にしており、今後はスポーツ分野を含めて興味のある学問の分野を絞った上で志望校を決定。高校時代からひそかに憧れていた日本の有名私大だけではなく、世界から人材が集まるニューヨークの大学も選択肢に入れながら、勉強に勤しむつもりだ。
2つ目の夢が、“米国永住”だ。10年間の米国生活で英会話もすっかりマスター。日常生活で不便さを感じる場面もほぼなくなり、英字紙もスラスラと読めるまでになった。自宅のあるニューヨークの雰囲気も気に入っている。現在はビザで滞在しているが、将来的には米国を拠点に生活したいとも考えており、グリーンカードの申請なども視野に入れている。日本と米国の野球や文化の架け橋にもうってつけだ。
そして高校野球の監督を務める、というのが第3の夢。「やりがいが大きい仕事だと思う。プロはある程度のレベルに達した選手ばかりだけど、高校野球はまっさらだからね。その分、責任は大きいけれど楽しいだろうね」と興味を示していた。プロアマ規定など諸々のハードルをクリアした暁には、母校・星稜高の監督就任を選択する可能性が高い。引退表明時には同校野球部の山下智茂名誉監督(67)も「星稜高の監督を空けて待っている」とメッセージを送っていた。巨人からも近い将来の監督候補として熱烈ラブコールを送られているが、松井氏が自ら育て上げた“ゴジラ2世”を引き連れて甲子園に襲来-というファン垂涎(すいぜん)の日が来るかもしれない。
真冬のニューヨークで過ごす松井氏の2013年版の熱き初夢3本立て。いつか、夢が夢ではなくなるときがやってきそうだ。
※引用しました。
フジテレビの競馬中継「みんなのKEIBA」で司会を務める人気タレントの優木まおみ(32)が、ファッション誌などで活躍中のカリスマ美容師(35)と結婚することが31日、分かった。
2年前に仕事で知り合い、昨年5月から交際。プロポーズを受けてから丸1年の記念日にあたる今年6月に婚姻届を提出する。
出会いは仕事。2年前に優木のヘアメークを担当したのがきっかけ。その後、港区のヘアサロンに優木も通うようになり、友人たちと一緒に食事をしたり髪の相談などをするうちに、互いにひかれ合うようになった。
交際に発展したのは昨年5月。周囲によると「友人関係が長かったし、真面目な2人だから交際当初から結婚を意識した真剣交際だった」そうで、翌6月には男性がプロポーズ。夏休みには佐賀県の優木の実家と、熊本県の男性の実家を一緒に訪れ、結婚するつもりで付き合っていることを伝えた。2人で沖縄旅行にも行っている。
プロポーズからちょうど1年の記念日に幸せのゴールに飛び込む“6月の花嫁”。挙式・披露宴については2人で仲良く選んでいる最中で「海外のチャペルになりそう」(知人)という。
※引用しました。
ロンドン五輪競泳男子400メートルメドレー銀メダリストの北島康介(30)と男女3人組ユニット、girl next doorのボーカル・千紗(27)が12月31日、婚約したことを双方の所属事務所を通じて発表した。年内にも入籍する方向で調整しているが、挙式の予定は未定。千紗は妊娠しておらず、今後もガルネクを中心に芸能活動を続ける。
2年程前に共通の知人を介して知り合い、自然な流れで交際へ発展した。北島は「2年前からお付き合いさせていただいており、彼女の支えもあって競技生活に励むことができました」と断言。アテネ・北京のオリンピック2大会で2冠に輝いたあと、3度目のオリンピック出場を陰ながら支えたのが千紗だった。2012年の夏頃、北島が婚約指輪を送り「今は将来のことを含めて一緒に考えています」とコメントした。
千紗も「短い期間ではありますが、一緒に彼と歩んで行く日々の中で、お互いに同じ将来を考えるようになりました」といい、結婚を決意。稀代のアスリートの妻になることを選び「まだまだ未熟ではありますが、2人で将来のことを考え、歩んで行きたいと思います。どうか温かく見守ってくださいますよう、お願い申し上げます」とコメントした。
■北島康介
1982年9月22日生まれ。プロスイマー。2004年アテネ、2008年北京の両オリンピックで100メートル平泳ぎ、200メートル平泳ぎの金メダリスト。ロンドンオリンピックでは200メートル平泳ぎで4位入賞。同大会では男子400メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得し、日本競泳史上初のオリンピック3大会連続メダリストとなった。
■girl next door 千紗
1985年11月16日生まれ。史上初の「Produced by avex trax」として2008年9月、鈴木大輔(Key)、井上裕治(G)とともにgirl next doorのボーカルとしてシングル「偶然の確率」でデビュー。同年、日本レコード大賞の新人賞を獲得し『紅白歌合戦』に初出場した。これまでにシングル16枚とオリジナルアルバム4枚、ベストアルバム1枚を発売している。
※引用しました。