http://www.asiapress.org/apn/archives/2015/07/17131215_2.php より転載しました
<北朝鮮>拉致問題は前進するか 蓮池透×石丸次郎対談 (5) 変質した家族会
石丸:私が蓮池さんに初めてお会いしたのは2003年の初め。共同通信社の対談の席でした。蓮池さんをゴリゴリの対北朝鮮強硬派と思ってました。小泉訪朝前から雑誌やテレビ、新聞でしかめっ面の蓮池さんが厳しいことを言っているところばかり見ていたからです。
共同通信から対談の話があっ時、「蓮池さんと対談するのはちょっと覚悟がいるな」と思いました。というのは、当時、北朝鮮に経済制裁すべしという世論が噴出していたのですが、私は反対だったからです。「経済制裁すれば北は困って折れて来る」という主張は、当時の日本の北の貿易シェアが10%程度でしたから荒唐無稽、制裁発動したらこじれるだろうと考え、そうした内容の記事を書きました。ずいぶん石が飛んできました。売国奴扱いもされました。これを蓮池さんにぶつけたら、怒鳴られるかもと思ったわけです。
「日の丸・君が代をちゃんとやらないから日本人が拉致された」という本筋とかけ離れた主張をする人たちまでが合流して、拉致被害者の救出運動がどんどん右傾化していった時期です。これはちょっとついていかれへんと言うことを、率直に対談で申し上げました。ところがお話しすると、蓮池さんが柔軟だったのでびっくりしたんですよ。あっ、僕もテレビの作るイメージに毒されていたなと反省しました。
蓮池:私は、動かない政府とか外務省とかそういう人たちに対しては強硬だったんですけど。
石丸:蓮池さんは、いつ家族会事務局長をお辞めになったんですか?
蓮池:2007年です。
石丸:事務局長はずいぶん早く解任されましたよね。それから副代表になって、その後追放される。
石丸:追放なんですか?
蓮池:除名です。彼らは退会と言ってますけど。退会するなんて私は言っていない。
私の場合、ほとんど何も知らないうちに急にぽっとスポットライトが当たったわけです。それまでは(拉致は)でっち上げだ、疑惑だと言われてたことが本当だったということになって、それまで無視して来たマスコミが、贖罪意識があったからか知りませんが、なんでもかんでも言ったことを書いてくれるようになったので、舞い上がっていたところもあったかもしれません。
石丸:舞い上がってたんですか? マスコミが用意したハイヤーが送り迎えしてましたね。
蓮池:舞い上がってましたよ、完全に。私の勘違いは甚だしかったです。ちょっと(拉致に対する関心の)波が引いてから、「ちょっと待てよ、こんなんでいいのかなぁ」と思ったら、もう救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)は「制裁だ制裁だ」と言っている。当時、ある記者の取材メモみたら、「家族会の右傾化」と書いてあったんですよ。それを見て、えっと思って、最初、怒ったんです。「何が右傾化なんですか」と訊いたら、「右傾化じゃないですか」と言われた。でも、(その記者は) それを報道するのかなと思ったら、「それはできません」だって。
石丸:メディアは記事にはできなかったはずです。当時家族会は「最強の圧力団体」でしたから。
蓮池:よく考えてみたら、家族会の言っていることは完全に右翼だなと思いました。小泉さんの再訪朝よりも制裁しろと言っていたんですから。
石丸:それは家族会の方針だったんですか?
蓮池:(会議開いて出した方針は)対話拒否でしたよ。私は制裁してどうなるのかなと思った。制裁なんて、もしやりたかったら、被害者を取り返してからやりゃいいじゃないか、何かだんだん変な方に行くなと思うようになった。それから家族会が分断されました。5人が帰ってきて。
石丸:家族会の中で?家族が帰って来た人と、そうでない人との間で、ということですか?
蓮池:「そりゃ、あんたのところは帰ってきているからそういう風に言えるんだ」と言われると、その後言葉が続かなくなっちゃう。
石丸:当時、その会議の場には大手メディアも入っていません。外でずっと待っているんですが、会議から出てくると、家族会の皆さんはそんな会話はなかったような顔で出てくるから分からない。
蓮池:一枚岩っていうのが合言葉でした。私は(家族会は)多様な意見の方がいいんじゃないか、って言ったら、「だめだ。制裁だ」。
石丸:「戦争やってでも、制裁やってでも取り返せ」という言葉が、家族会の中から出てきましたね。あれには、多くの人がひいたのではないでしょうか。
蓮池:私も言わされたことがある。ひく人はひきましたね。
石丸:家族会の人たちは、北朝鮮問題とか外交の専門家ではない。
蓮池:そこが大きな問題なんです。97年に家族会ができましたが、そこに入ってきたのが「救う会」なんですね。「救う会」には右翼活動をやっている人たちがいました。彼らがいろいろ助けてくれるわけです。署名を募ろうとかね。署名やるなら、紙がいる、ペンがいる、テーブルはいる、看板がいる。タスキもマイクもスピーカーも、全部「救う会」がやってくれるわけですよ。
石丸:家族は運動の素人ですからね。
蓮池:「救う会」の人たちはそういう運動のノウハウなんか、全部持っているわけです。それがだんだん各地にできてくるようになって。毎週のように佐藤勝巳さん※から講義のようなものがあるんです。そうすると家族はどんどん佐藤色に染められていきました。
石丸:「救う会」の佐藤勝巳さんから受けた影響は大きかったですか?
蓮池:それは大きかったですよ。我々が家族会を作った時は、いわばキャンバスは真っ白だったんですが、そこに佐藤さんたちがいろいろと5年間もやってくれたので、色づけされていきました。ただ、恩義に感じてしまうところがありまして、なかなか家族会が「救う会」に物申すことが出来なくなっていきました。「救う会」で方針を作って家族会を納得させるみたいに。「救う会」にしてみれば家族会は下部組織みたいなものだったのかもしれません。運動方針なんかは全部「救う会」が作ってきて、それを我々がのむという形ですから、被害者家族の心情を弄ぶというか、利用するというか、今考えてみるとそういう部分はあったかと思います。
石丸:具体的にはどなたがですか?
蓮池:佐藤さんを中心に、西岡力さんとか、荒木和博さんとか。もう「北朝鮮では何万人も死んでいて、今年の冬はもたない」なんて言っていましたし、私たちはそれを信じるしかないわけです。佐藤さんは、最終的には日本の核保有ということころにまでいきつくんですが、集会やっても最後は佐藤さんが締めるんで、反北朝鮮集会みたいになる。それで家族会=反北団体のように受け取られようになったのだと思います。
石丸:そういうイメージを持たれていたと思います。
蓮池:2002年以降、それをさらに煽ったのが当時は官房長官だった安倍さんですね。反省をこめて言えば、私もそれに加担した部分があったと言えばありました。私たち家族会に寄ってくるのは国会議員でも右寄りな議員ばっかりでした。私が覚えているのは、中川昭一さん※に「憲法記念日に来てくれ」と言われたので、「憲法記念日に何をしゃべるんですか」って訊いたら「9条が邪魔だとでも言っとけ」と。何にも知らなかったのでそのまま言っちゃった。その集会は改憲派の集まりだったんです。当時、私も歳はとっていましたけれど、それまで政治には興味がない、ただのノンポリでしたから「お世話になっている人に頼まれたので」といった感じで軽く考えていたんです。今となっては恥ずかしい限りです。
石丸:そんな時に、記者の手帳に「家族会の右傾化」というメモを見つけたわけですね。
蓮池:こりゃいかんなと、はたと気づきました。少なくともニュートラルに戻さないと世間の支持はなくなっちゃう、危ないと思いました。
石丸:右傾化に批判的なことを言うと、家族会の中ではどのような反応だったんですか?
蓮池:ダメでしたね。「変なこと言うな」と。そもそも家族会の打ち合わせって、「救う会」の人が必ずいるんですよ。
石丸:被害者家族の皆さんが言いたいのは、家族を取り戻してほしいということですよね。その際に、「北朝鮮にガツンとやってでても何とかしてくれ」という激しい言葉が出て来てしまうのも、家族の思いとして分かるんです。しかし、そのコメントがテレビにことさらに取り上げられて流れると、話されている人は強硬派に見えるだろうし、見ている側も、「そりゃそうだ、ガツンとやらないと。政府は何をしてるんだ」と思ってしまう。「北朝鮮になめられてる」「もっと強硬にやれ」という風潮が2002年から今日までずっと続いてきた。社会感情が政策を縛るようになった側面があったと思います。さらに運動に右翼が入り込んで来たり、政治家が自分の政治集会に被害者家族を連れて行って演説させたり...。家族に対する「無垢な被害者」というイメージは薄くなって、政治性の強い人たち思われていったと思います。一方で、家族が政治利用されていると感じた人も多かったと思います。
蓮池:完全に政治利用されましたよ。いや、いまだに利用されていますね。うちの両親も昨年の衆院選で新潟に安倍さんが来た時に応援に呼び出されました。ああ、まだ利用すんのかと思いました。
石丸:断れないんですか、やっぱり?
蓮池:義理ですかね。安倍さんが選挙公示後新潟県に入って柏崎に来た時に、演説するから弟(薫さん)に来てくれって言われたんですが、弟は「ちょっと行けません」って返事すると、「じゃ、ご両親は?」って言われました。警察とグルになっているんですよ。よく来る地元の警察署の課長クラスの人が電話してきて、両親に「私を目印に来て下さい」と言うんです。行ったら安倍さんが来ていて、演説でも「蓮池薫さんの両親が今日、見えてます」って言うわけです。私が「結局、ダシか」て言ったら、両親も「仕方ないだろ。義理だ、義理」って言ってました。(続く)
※<中川昭一> 元自民党衆議院議員、元拉致議連会長。2010年10月に57歳で急死。
※佐藤勝巳氏(さとうかつみ 1929-2013)共産党員として朝鮮問題に関わり、在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業を支援。その後共産党を脱退し「現代コリア研究所」を設立。「救う会」会長を務めた。
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♫ このようにして、どこまでも被害者家族を利用している、政治家とその組織団体があるのです。
ヘイトスピーチで、いま嫌韓をあおっている在得会も、乗っ取りにあっていますし、この家族会も救う会によって、乗っ取りに合い、今の拉致被害者家族会の会長が代わって、どうやら、本格的に拉致被害者を国民煽る会へと、変貌させるのに、成功しているのではないでしょうか?
本当に家族は家族を取り戻したいのか、それとも会長をはじめとする、北朝鮮へ自衛隊を送って攻めコメとまでいう人達が、果たして国民の理解が得られるはずもありません。
このようにして、会自体がぐちゃぐちゃにされてしまいました。被害者の多くがまだ北朝鮮にいるというのにです。
これで、もし本当に横田めぐみさんが女帝となっているとわかったら、被害者家族はまとまることはできませんね。
解っていると思います。以前家族会のみなさんが、横田めぐみさんと、自分たちは違うと言っていましたから、何か知っているのだと思っています。
血筋が違うことを、言ったのでしょうか?
なんだかわかりませんが、とにかく彼らは翻弄されている人達であることは、確かです。
国民の理解を得られないのなら、この会はしぼんでいくしかないでしょう。
ですから、余計に過激な人達とはつながらずに、過激な発言を控えるように自重しなければならないのです。
この拉致は、日本政府と支配者がやっていたのですから。明日明後日に解決するというものではないからです。
今後も家族の嵐の船は変わらないのでしょうか?
北朝鮮の拉致問題は家族会はアメリカをたよりにしていますが、実はアメリカは北朝鮮とつながっているのですから。積極的に解決を行うことはないですね。
頼むとすれば、中国かロシアでしょう。
そうなることを、偽物政府はことに嫌うはずです。