桜の園 初演の舞台写真
ヘンリック・イプセンが近代劇の父なら、アントン・チェーホフは現代劇の父と呼ばれるに相応しい。「人形の家」の初演は1879年、「かもめ」は1896年で、17年の間隔しかないが、物事が起きるときには連続して起きるものなのだらう。具体的には、近代写実劇が完成すると、その限界も目につき、以降の作家は乗越えを目指さざるを得ず、そこで最初に大きな成果を挙げたのがチェーホフといふことになりさうだ。
最大のポイントは、イプセンが一般市民(といつてもけつかう富裕なブルジョワだが)を題材とした悲劇的な作品を完成させたのに対して、チェーホフは近現代での悲劇の不可能性を、劇の根底の一つとして見せたところにある。
今まで折に触れて述べてきたが、ギリシャ劇から、17世紀フランスのラシーヌやモリエールまで、悲劇は王侯貴族や神話上の人物を描くもの、喜劇は一般庶民を、と決まつてゐた。
単純な話、例へばシェイクスピアの「リア王」「マクベス」「ハムレット」などで、主人公の言動が国家全体を揺るがす大事になるのは、彼らの身分が高いからだ。リア王が王様でなければ、たとへ大金持だつたとしても、アホな頑固ジジイに過ぎない。当事者以外からは笑はれるのに相応しいので、喜劇になる。
さうは言つても、一般庶民でも、自殺もすれば人殺しもする。嫉妬もすれば熱烈な恋もする。これをドラマに仕組めないものか? いはゆるブルジョワが、たくさんお金を稼いだおかげで社会の中枢に成り上がるにつれて、その要請は自然に強くなる。
イプセンは初期の頃、韻文で、「ブラン」や「皇帝とガリラヤ人」のやうな壮大な歴史劇を主に書いたが、「青年同盟」(1869)や「社会の柱」(1877)などの、現代を舞台とした劇も手掛けてゐる。しかし「人形の家」が決定的なのは、第一に緊密を極めた構成、第二に平凡な家庭の主婦にドラマ性≒悲劇性を見出した点にある。
先蹤はと言ふと、西洋古典悲劇の系列の最後に位置するジャン・ラシーヌであつたらう。極限まで狭められた場所と時間の中で、際立つた個性の持ち主たちが言葉をぶつけあひ、うねるやうに、しかし一筋に結末にまで行き着く。過去の情況説明も舞台上の「現在」の進行中に、過不足なく伝へられる。現代でも依然として、映画やTVドラマを含めた、せりふによる劇作品のお手本であらう。
しかし、「人形の家」がイプセンの名をヨーロッパ中に広めたのは女性解放運動の文脈で受け取られたからだ、といふのは、皮肉としか言ひやうがない。彼はこれまで、自由主義の立場からした社会諷刺を鏤めた劇をいくつか書いてきたのに、「人形の家」では、その種のものは一番後景にまで退いてゐる。因みにヒロインのノーラは、女性の権利、なんぞとは一言も口にしてゐない。
ノーラはフェミニストではなく、ボヴァリストなのだ。夢と現実の区別がつかないのではなく、夢の実現を容易にあきらめず、ために破滅に至る。この生き方は悲劇のヒロインたるに相応しい。ただ、エンマ・ボヴァリーもノーラ・ヘルメルも、女王でも王女でも、貴族の令嬢でもなく、ブルジョワの主婦である。
その身分の者は、「真実の愛」などといふものを求めてはいけないか? いけなくはない。ただ、いつまでも保ち続ける、あるいは保ち続けてゐるかのやうなふりをする義務はない。まして、命を賭けてまで。さういふのは貴族のもの、即ちノーブレス・オブリージュ(高貴な義務)なのだ。そんなものからは免れてゐる庶民が、何を場違ひな、といふ感じは、決して拭へない。
簡単に言えば、「ボヴァリー夫人」を読んだり、「人形の家」を観たりする人のかなり多くが、「なんか、大げさなんじゃないか?」との思ひを抱いてしまふ。
後者については、この家庭は自分が思ひ描いてゐたやうな理想的な場所ではなかつた、夫は自分を一人前の人間とは看做してゐなかつた、と気づいたときの幻滅の大きさをできるだけ思ひ遣るとしても、それで、夫だけならともかく、三人の子どもまで捨てて出て行くのは、やり過ぎではないか? 私が実際に会つた中でも、さういふ感想を言つた人はけつかう、女性の中にも、ゐる。
では、彼女のやうな人間の身の程はどんなものか。「桜の園」に登場する、農奴上がりの商人・ロパーヒンは、眠れない夜には時々次のやうに考へると言ふ。
神よ、あなたは実にどえらい森や、はてしもない野原や、底しれぬ地平線をお授けになりました。で、そこに住むからには、われわれも本当は、雲つくやうな巨人でなければならんはずです……。(神西清訳で引用。以下同じ)
これを聞いたヒロイン・ラネーフスカヤの反応は、
まあ、巨人がご入用ですつて……。お伽話のなかでこそ、あれもいいけれど、ほんとに出てきたら怖いわ。(以上第二幕)
ここで象徴的に言はれてゐるのは、彼らはどこからみても巨人≒英雄ではなく、ちつぽけな人間であつて、しかもそのことを自覚してゐる、といふことだ。これが大前提。
それだけでも、「桜の園」の主要人物はヒーローとはなり得ない。力も、覚悟すらなく、切迫した状況に投げ込まれれば、正面から対峙できず、ひたすらやきもきしてウロウロする者たち。彼らを描くのは悲劇ではあり得ない。
チェーホフは短編小説家として広く名を知られるやうになる以前から劇作を志し、挫折を経験してゐる。「イワーノフ」の改訂版(1889)は成功したが、それは、この頃までモスクワやペテルスブルクの上流人士の間では流行語だつた「余計者」としてのインテリゲンツィアを採りあげたところが大きいやうだ。
しかしその同じ年に書かれた「森の主」は上演を断られてゐる。当時の劇の主流だつた悲劇の、衰退・通俗形式たるメロドラマからして、この劇は筋の起伏も大仰な情熱の発現も乏しく、要するに退屈だと看做されたのだ。
その後7年間劇作に手を染めなかつたが、1896年には「かもめ」を完成した。初演は失敗して、チェーホフに深い絶望を与へたが、2年後、コンスタンチン・スタニスラフスキーの演出によるモスクワ芸術座の再演は大成功で、ためにこの劇団も作者も名声を確立した。以後のチェーホフの多幕物四作品は、すべて同じ劇団・演出によつて演じられてをり、ヨーロッパの演劇革新運動の主要な拠点となつた。
「かもめ」は最初から喜劇と銘打たれた。普通に言つて笑ふ要素はほとんどない(ラテン語まで使つた言葉遊びや言ひ間違ひによる擽りは少しあるやうだが)、むしろ陰鬱な印象が残る作品だといふのに。それを敢えて喜劇としたのは、当時の劇界や劇作品のあり方に対するチェーホフの強い反感の現れだらうが、内容的には諷刺を主眼とするところがこの名に相応しいと思へたのかも知れない。ただそれも、非常に独特のやり方で、だが。
エレオノーラ・ドゥーゼ並だといふ元大女優と、ツルゲーネフ並だといふ流行作家を登場させ、彼らの贋物性が描かれる。それは自分自身がけつかう自覚してゐるので、彼らは決して道化ではない。今更ドタバタ何かやつたりはしない。男や女を求める以外には。
ドラマはより若い世代が起こす。彼らの名声に憧れる若い女と、彼らの古くさい芸術に反発して新形式を求める若い男が、そのために破滅するのだ。自分たちの情熱によつてではなく、その対象の空虚さに直面することで。これは悲惨ではあつても、悲劇ではない。
しかしだからと言つて、この若い男・コースチャが自殺する結末は、私には、ノーラの家出以上の唐突感がある。劇にまとまりをつけるための強行手段ではなかつたか。そんなふうにさへ感じる。
それもあつて私は、この後1899年に上演された「ワーニャ伯父さん」からの三作こそ、本当に革新的な、真のチェーホフ劇と呼ばれるべき作品なのではないかと考へる。
すぐに目につく特徴は以下。ここまでの、二十歳そこそこで書かれて作者の死後に題名が欠けた状態で原稿が発見されたものを含む四作は、すべて主人公と言つていい男が変死することで終はる。題名のない戯曲のプラトーノフは女に撃ち殺され、あとの三人、イワーノフ、ジョルジュ(ワーニャの前身)、コースチャはすべてピストル自殺。
それが、「森の主」が改作された「ワーニャ伯父さん」になると、ワーニャはピストルを振り回すものの誰も殺さず自殺もしない。最後に劇を締めくくるのは、彼の姪・ソーニャの「でも、仕方ないわ。生きていかなければ!(中略)長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じつと生き通していきませうね」から始まる有名な長科白。死ぬより辛く、勇気も要るこの決意の切なさは、誰の心にも沁みるだらう。
このやうに、死ぬことでせめて格好をつける男たちに代って、女性の苦悩を経た覚悟が残るのは、次の「三人姉妹」にも引き継がれる。「もう少ししたら、なんのために私たちが生 きてゐるのか、なんのために苦しんでゐるのか、わかるやうな気がするわ」
なんのために生きてゐるのか≒自分とは何かは、やはり呪はれた問ひとしてある。しかも現代人は、とりわけ女性は、ヒーローとして自らの選択や行為の結果そこにぶつかるより、愛ある(と、見えただけ、を含む)関係から弾き出されて孤独になって、自分自身と向き合ふ。問ひに答へられる者はゐない。もしも全能の神があるなら、きつと、死後に教へてくれるだらう。
かうして、英雄ではない、さうなることもできない≒さうなることを期待されてゐない者たちに相応しい必然性を備えた現代劇は出来上がった。
ただしチェーホフの最後の戯曲は、情況の深刻さや感情の激発を押さえたより穏やかな雰囲気のもので、「かもめ」以来初めて喜劇と銘打たれてゐる。「桜の園」の初演は1904年1月で、その5ヶ月後に彼は亡くなつてゐるが、健康を害してゐたとはいへまだ四十四歳で、死を意識してゐたかどうかは定かではない。
例えば「三人姉妹」にはあつた死(主人公とは言へない男のだが)も、「桜の園」の劇の進行中にはない。死は、六年前、ラネーフスカヤの息子が川で溺死したこと、そして、最後に皆に忘れられて館に取り残された老僕が、たぶん遠からず迎へることが予想される。言はば、桜の園消滅の、舞台外の序章と終局を成してゐる。
もう一つ、これは今まで述べた内容の点より重要かも知れない。登場人物が各々自分の思ひに捕はれ過ぎてゐて、会話がすれ違う場合が非常に多い。愛も憎しみも、人間以外のものへの憧れも執着も、ちやんと他者に受け取られて、返されることはほとんどなく、いつの間にか虚空に消えてしまう。これは「かもめ」以後の特徴だが、「桜の園」では最も露骨に目につく。
イプセンの、何が焦点であるかが常に明確なドラマとはおよそ逆であり、言はば、筋の一貫の代わりに雰囲気の一貫が置かれてゐる。現代劇を拓くためには、この要素が何よりも大きかつたらう。
いや、そんなことより、皆が自分の穴の中に籠もつてゐて、他人に同情はできても、本当に関わり合うことはめつたにできない。また、自分自身の運命の主人公にもめつたになれない。それこそ我々がちつぽけな存在であることの何よりの証左なのだ。喜劇の手法を応用して、舞台上に現出されたこのリアルこそ、最も憂鬱で、最も恐るべきものであらう。
例えば、ラネーフスカヤには、守るべきものはあり、それが桜の園だ。「桜の園のないわたしの生活なんか、だいいち考へられやしない」(第三幕)とまで言ふ。しかし、全力を挙げて守らうとするのかと言ふと、かなりズレてゐる。
桜の園とは何か。「世界ぢゆうに比べものもない美しい領地」〈第四幕〉とも言われる宏大な土地で、ラネーフスカヤが生まれ育ち、結婚後もしばらくは過ごした館がある。ただし楽しい思い出だけではなく、六年前に夫がシャンパンの飲み過ぎで亡くなると、続いて愛息の事故死に見舞はれた。それで堪らなくなつた彼女はフランスへ赴くのだが、その時は男が一緒だつた。その後、この男に彼女は持ち金全部を搾り取られた挙句、捨てられて、故郷に戻つてきた。これが劇の始まり。
この劇には明確な時期の指定はないが、ロシア革命(1917年)以前に始まつてゐた貴族階級の没落を背景にしてゐるのは明らか。農奴解放(1861年)の結果、もとは絶対服従だつた使用人たちが、時には主人一家を馬鹿にした態度をとるやうになつている。
それにラネーフスカヤ自身、貴族階級出身ではあっても、貴族ではない弁護士と結婚し、そのうへ前述のような次第で、身持ちがいいとは言へないので、(たぶん、本家みたいな)伯爵夫人の伯母さんからは嫌はれてゐるといふ、言はば正式な貴族からは外れた存在なのだ。
性格は、よく言へば優しい好人物で、頼まれるとどんどん人に金をやつてしまふ。そのため(だけではないだらうが)、借金の抵当になつた桜の園を守る実務的な能力は、兄・ガーエフともども、全くない。これが第一幕から強調されてゐるので、「彼らは桜の園を守り通すことができるか」のサスペンスは半ば以上失はれてしまつてゐる。
ラネーフスカヤが桜の園を失ふのは、ただ世間知らずのためだけではない。別荘地として分割して貸し出せば、所有権を手放さなくてもすむ、といふロパーヒンの提案を二度に渡つて断るのは、「俗悪」だからだ、と言ふ。
桜の園がばらばらに解体されて、新興成金たちが我が物顔に(借地権はどの程度のものかわからないが、その範囲では「我が物」に違ひない)闊歩する、桜の木も木材として伐られるのにも耐えなければならない。さうなつたら、そこはもう何よりも貴重な桜の園などではない。わかつてゐないのは、財務状況にしか興味のないロパーヒンのはうなのだ。
と、正面から主張して議論を続けるなら、作品の対立軸は明確になり、価値あるものを守らうとして挫折する人間の悲劇として劇構造も安定する。ギリシャ悲劇も、イプセンの劇も、そのやうになつてゐる。
しかし、ラネーフスカヤはすぐに話を逸らしてしまふ。彼女は、理屈はわからず、感情のみで動く人物として最初から最後まで振る舞ふので、「全くどうしようもない」といふ印象しか残らない。
同じやうなことは、最終的に桜の園を買い取ることになるロパーヒンについても言へる。「新陳代謝の意味では、猛獣が必要」であり、「君の存在理由」(第二幕)は要するにそこにある、と、他人についてはやたらに鋭い見方を発揮する万年大学生のトロフィーモフに評される彼だが、最初から奪ふ者として登場するわけではない。
彼は農奴の子どもだつた時代に優しくしてくれたラネーフスカヤを心から慕い、なんとかして助けたいといふ善意に満ちてゐる。が、本当の意味でそれができる手段は持ち合はせてゐない。
かくてこの両者は決して噛み合はず、劇の中心はなんなのか、単純明快な筈なのに、ひどく曖昧な印象が残ることになる。
このやり方でチェーホフは、劇中から本当の悪人を取り除くことに成功した。
「三人姉妹」では、最初野暮な田舎娘として登場したナターシャが、三姉妹のただ一人の兄弟の妻となると、次第に家庭内の主導権を握り、姉妹を閉め出す。その過程が、そんなに目立つわけではないが、主筋ではある。彼女は市会議長と不貞を働いてゐる疑いが濃厚で、この男の手先として、女性が象徴する繊細で優美なものを押しのけて滅ぼす力の象徴になつてゐる。
これはチェーホフ劇では珍しいはうの例である。桜の園は繊細で優美なものの象徴には違ひないが、それを滅ぼすのは、個人の顔のない時代の流れとしか言ひやうがない。ガーエフやラネーフスカヤがもつとしつかりしてゐて、このときは桜の園を守り通せたとしても、二十年も経たないうちに革命によって失はれてしまつたらう。我々はそのことを知つてゐるのだから、所詮は空しい努力だとしか言へない。
最後に、喜劇につきもののはずの笑ひについてもう一度考へておかう。
第三幕、桜の園の競売の日だというのに、館では舞踏会が開かれる。このチグハグさは、まさに喜劇的だが、それで笑ふためには、競売場で無力を曝け出しているガーエフや、雰囲気に巻き込まれて(だらう)競売に参加することになり、勢いのままに桜の園を競り落とすことになつたロパーヒンの姿などを眼前に展開させる必要がある。
しかし、彼らが登場するのは、すべてが終わってからで、ラネーフスカヤは泣くことしか出来ず、他には、なんとかして母を慰めようとする娘のアーニャがいるばかり。とても笑へない。
もう一つ、最終幕(第四幕)で、せっかく機会を作ってもらったのに、ロパーヒンはどうしてワーリャ(ラネーフスカヤの養女で、桜の園の管理をしてゐる)に求婚しないのか。お互ひに思ひ合つてゐることは、第一幕から明らかにされてゐるといふのに。教養のないことへのコンプレックスから脱却できないので、金儲け以外のことには臆病になつてしまふのだ、といふ説明は一応つくが、それにしても。
ワーリャのほうでも、女性からプロポーズはできない、といふ当時の常識に縛られて、ただ泣くばかり。最後に、半ば無意識のうちに傘を振り上げるが、ロパーヒンがぎよつとすると、「わたし、そんなつもりぢやなかったのに」と言ひ訳をして、二人の関係は完全に終はる。
いつそ叩いてやればよかつた。そこからてんやわんやの滑稽な騒動が始まり、結婚という幸福な結末に至るのは、喜劇作家たちがよくやる手だ。それがないのは、思ひ切つた行動ができない平凡な者たちを描くといふ、悲劇とは正反対の方向に、針が振り切れている感じがある。
「絶望の虚妄なるは希望の虚妄なるにまさに同じ」といふ言葉が思ひ出される。チェーホフは、自分自身はちつぽけだし、世界に意味が見出せないからと、何も出来ずにゐる男を最も嫌つた。生きるとは、人と人の間で、何かをやり続けること以外ではない。もしそこに意味があるとしたら、その果てにしか見えてくることはないだらう。「ワーニャ伯父さん」や「三人姉妹」の女性たちが言ふ通りに。