由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

少子化と教育費

2024年11月30日 | 教育

ウェストミシガンの女性コミュニテーのブログより

 かなり前から、重要な政治的イシューとして、少子化が世界的な話題になっている。
 ロシアではチャイルドフリー(意識的な子どもなし)を奨めるSNS記事を禁止する法律がじきに成立しそうだ。チャイナは35年続けた一人っ子政策を2015年に廃止して、今や「子どもは三人産め。それが国家のためだ」なんて言っているとのこと。
 いかに独裁国家でも、こんな話を素直に聴く人はそういないだろう。子どもをいつ作るか、何人作るか、それは、普通は夫婦の、カップルに委ねるしかない。これは大原則である。自由主義とか個人主義とかの、主義主張の問題ではない。子どもの養育は両親が最終責任を負うしかない、という単純な事実からして、そうなる。
 例しにこういうことを考えてみよう。「自分は子どもなんて欲しくない。しかし、それでは国のためにならないから、産んで育てるんだ」なんて言う母親に子どもを育ててもらいたいか? 私は御免だ。
 イスラエルのキブツや日本のヤマギシ会のように、家族ではない大集団で子どもを養育する例もあるが、それは即ち家族の解体を意味する。それが好ましいと思う人はそんなに多くはいないだろう。

 などなど、世界中で多くの人が真剣に悩んでいる、少なくともそう見せてはいる問題なのだが、翻って考えると、少子化というのは、本当に悪いことなのだろうか?
 すぐにわかるデメリットは、いわゆる高齢化社会になると、生産に従事する年齢層が薄くなって、経済が行き詰まる、というもの。しかしそれが、ロボットやAIの発達によって(いわゆる技術革新によって)、これまで必要とされた人間の労働力が減少しても、生産性はかなりの程度保持できるとしたら、壊滅的な事態は避けられるのではないか、と考えられる。いや、楽観的すぎるかも知れないが……。
 それに第一、人類の歴史を考えると、今の状態は異常とは言わないまでも、かなり特殊で、しかも急激にこうなったのである。
1950年におよそ25億人だった世界の人口は、2000年にはおよそ61億人と、この50年の間に2.4倍に増加した。現在は、1.2%の割合で年間7700万人増加している。(中略)2050年までに、世界人口は、国連の中位推計で93億人に達するものと予想される。」(『国土交通白年度書平成14』)
 だから地球全体では、人口増こそ依然として問題なのである。
 そこで、両者を含めて最適な状態を考えると、現在の文明の状態を保つため(今更農耕社会にもどるのは、私のためにも、私の子孫のためにも望まないので)には、
① 労働力不足を補うAI技術の開発発展
② その技術革新の成果を現在の開発途上国にも及ぼす
ことを目標とすべきであろう。
 そこから逆転して考えると、地球全体での出生率1.8程度の、緩やかな少子化こそ望ましいのではないだろうか。

 それでもやっぱり、日本の平成5年度の合計特殊出生率(1人の女性が産む子どもの数の指標となる割合)は昨年1.20(厚生労働省調べ)というのは少なすぎるようだ。有効な方策はあるのだろうか。
 「経済的な不安があるから、思うように子どもを作れないんだ」という夫婦は多いのだから、政府にできることは、そういう外部的な条件を、なるべく子どもを増やすことが有利になるように、少なくとも不利はなるべく減らすように、整えることだろう。というか、外部からの有効な働きかけとしては、それしかない。
 しかし、ここには押さえておくべきポイントがある、と思う。何も特別なことではない。漠然となら誰でも知っていることだが、教育問題に触れるので、あまり露骨に語るのは憚られるような雰囲気があり、うっかりしていると、百田尚樹氏のような、見当外れの暴論を言うことになってしまいかねない。
 以下、ネット上で手に入る統計数値をなるべく細かく挙げて、実態をみていこう。

 まず家族を作る大前提に関わる晩婚化・未婚化問題。
 社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」令和3年度(18~34歳未婚男女者対象)によると、「いずれ結婚するつもり」の男性は81.4%(前回85.7%)女性は84.3%(前回 89.3%)で、「一生結婚するつもりはない」男性17.3%(前回12.0%)女性14.6%(前回8.0%)を大きく上回っている。
 ただ結婚願望は前回の調査(5年前)より減ってはいる。そしてまた、実際の婚姻数もそうなっている。昭和47(1972)年の約110万組をピークとして、平成12(2000)年からは減少傾向が続き、昨年はついに50万組を割り込んだ(約47万組。こども家庭庁調べ)。
 なぜ結婚しないのかについては、24歳までは「結婚するにはまだ若すぎるから」が男女ともに40%台で最も多い。25歳以降は「適当な相手にまだめぐり会わないから」が男性43.3%(前回45.8%)女性48.1%(前回51.2%)が最高になる。しかし男女双方で前回より僅かに割合が減っている。その代り、「今は、趣味や娯楽を楽しみたいから」「異性とうまくつき合えないから」が少し増えている。「今は、仕事(または学業)にうちこみたいから」は、男性14.3%(前回17.9%)女性14.4%(前回19.1%)で、むしろ減っている。
 これらをまとめると、結婚が家同士の契約関係の面が薄れ、実際に本人同士の決意のみに拠るとなると(日本国憲法第二十四条「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」)、ある特定の異性(適当な相手)と夫婦関係になることは新たな家を作ることに他ならず、そのための決意が、そして、そのように決意する「理由」が必要になるのだ。そう感じられること自体が、結婚の敷居を高くする。
 改めて考えてみれば、それまで他人だった者とずっといっしょに、新たな生活を築くというのは、かなり途方もない試みだとも言える。
 一方で、一生独身、というのもまた、重大過ぎる決意で、そうする理由もまた、簡単には見つからない。人は依然として、家庭を持って生きるのが普通だと一般に考えられている。その「普通」を捨ててまで打ち込むべき仕事や学問研究がいつでも、いつまでもある人のほうがごく稀だろう。
 この社会通念のみが、今のところ結婚難に歯止めをかけている。

 というのはさすがに汚く言い過ぎであって、未婚男女が結婚のメリットとして、「自分の子どもや家庭をもてる」が男性31.1%(前回35.8%)女性39.4%(前回49.8%)で、減ってはいるが、かなり上位を占めているのは当然でもあり、良いことだと言うべきだろう(因みに、女性では結婚する理由中これが第一位。男性では「精神的な安らぎの場が得られる」33.8%に次ぐ第二位。これは男性のほうが、「安らぎの場」としての家庭が、タダではないにしろ、より楽に手に入ると思っている証左であろう)。
 そして、結婚後の夫婦が持ちたい子ども数(平均理想子ども数)としては2.25人(前回2.32人)だが、実際問題を考えた場合の子ども予定数は平均2.01人(前回と同じ)になっている。
 この差はどこから来るか。「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」という理由が52.6%でダントツである。これが、妻が35歳未満の、最も出産が期待される若夫婦に限ると77.8%で、大多数となる。少子化解消を政治課題とするなら、ここにこそ焦点を合わせるべきであろう。
 日本の教育費は高い、というのは有名であり、個人的に20年ほど前に、外国人にも「そうなんだろ?」と訊かれたことがある。「子どもを一人、一人前にするのにだいたい1,000万円かかるんだろ?」と言う日本人もいた。すると三人なら3,000万円。おいそれと子どもは持てないと思うのも無理はない。
 この金額はそんなに間違っていない。文科省の「令和3年度子供の学習費調査」によると、幼稚園から高等学校まで、すべて国公立へ通った場合の学習費総額は574万円、すべて私立だと1,838万円で、ここに今や6割以上が進む大学など上級学校の資金が加わる。
 問題はその中身である。公立小中学校では授業料は無償、学校内でかかる費用は制服代や教材費、部活動などの費用で、学習費にかかる費用は年間、小学校で18.7%、中学校で24.6%に過ぎない(給食費は別)。小学校で70.2%(約25万円)、中学校で68.4%(約37万円)が、塾や習い事など、学校外の費用に充てられている。
【なお、私立だと、小学校の学校外活動費は、割合は39.6%で少ないが、金額の平均66万円で、公立の三倍近くになっている。私立小学校は学費も高い(総額約961万円)が、校外活動にも多くの金額をかけるということで、子どもを私立の小学校に入れるのは富裕層の特権だと感じられるのも無理はない。】
 そして幼稚園。文部科学省の管轄だから(保育園は厚生労働省)学校ではあるのだが、義務化されているわけではない。子どもを行かせなくても、制度上問題はないということだ。しかし現在、どちらにも行かせない、というのは、未就園児という言葉もできたぐらい特殊で、令和5年のこども家庭庁設立準備室の発表では1.8%(5.4万人)がそうだという。
 さらに現在、3歳から就園する3年保育が主流を占めている。これは地域にも拠るが、せいぜいこの20年ほどの傾向であって、例えば私自身は幼稚園に3ヶ月ほど通ってなんとなく行かなくなった話を、軽い調子で、小さい頃父母からされていた。
 国公立と私立の別だと、圧倒的に私立が多い。幼稚園は学校数で69.7%、在園者数で88.2%が私立だ(令和6年度学校基本調査による)。その費用は前掲の調査で平均135万円。これが多くの場合、「当然のこと」として教育費の中に含まれる。



 これは近い将来変ることが見込まれる。公立高校の授業料は昨年までは収入の条件付きで無料だったが、東京都や大阪府では、今年度の入学生から、私立を含めて、実質すべて無償となると同時に、就学前の幼児教育も無償にすることになっている。
 これらの施策が無意味とは言わない。政府は、この点ではかなり懸命に、少子化最大の原因である「教育にお金がかかり過ぎる」情況を改善しようとしていると評価すべきであろう。その上で、我ながら厭な予測を申し上げるのだが、これは無駄ではないにしても、決定的な方向転換の効果はそんなにあるとは思えない。
 理由を手短に言えば、子どもの教育は個々の家庭の事業として行われるからだ。この事業の最終目標は、自分の子どもの社会的な成功である。一流企業や上級公務員がそのわかりやすい例。その他、芸術芸能やスポーツの分野で成功する人はいわゆる学習の分野よりずっと少ないが、それでも「子どもの隠れた才能を引き出す」ために習い事をさせる親は少なくない。そのための学校外活動費が、前述のように、公立小学校で年間25万円、私立で66万円なのである。
 日本人は子どもの教育に金を惜しまない、ともよく言われるが、目に見えない才能を引き出し、伸ばす、ことのためにはどれくらいの金額が必要なのか、誰にも言うことはできないであろう。それを賄う財力があるなら、限界は、子ども自身の時間と体力にしかない。我が子にずいぶん無理をさせているな、と思える親はしばらく前から決して少なくない。
 問題は、このような傾向が、社会の隅々にまで及ぶ、ということである。今後見込める夫婦の年収が、上に見たような教育費を賄うには不安だ、と思えたら、結婚する理由は確実に、一つはなくなるであろう。そこは妥協して、我が子が、社会の上位層に入れないのはしかたないとしても、人並み以下は耐えられない。そこで、幼稚園にも入れるし、塾にも行かせる。第一、ほとんどの子がそうするなら、これをやめたら他の子どもたちと一緒に遊べないのだから、もう選択の余地はない
 このような情況では、公立学校の質の向上などには、ほとんど魅力が感じられないであろう。そこは、誰でも入れる、というか、私立学校にも行かないとしたら、入らなければならない場所だ。ないのは困る、なぜなら、子どもを昼間どこへ置いたらいいのか分からなくなってしまうから(その理由で、保育園はかなりの地域でまだ増設が望まれている)。
 すると、学級崩壊の無秩序状態はさすがに困るが、そうでなければ、何か一定のことを生徒に強制し過ぎるのはむしろ迷惑だと感じられる。義務教育ではないが、今や進学率が98.8%に達して、行くのが当り前になっている高等学校では、「勉強をしないからという理由で留年や退学させるなんてひどい」と、普通に言われるようになっている。「この子は、文科省の定めた学習指導要領の、当該学年に習得すべき学習内容をまるで身につけていないのだから、もう一年同じ学年で学習し直させてあげよう」なんて親切心は、誰も望まない。

 最後に、この分野でも参照すべき数値を挙げておこう。OECDが2022年に発表した公財政教育支出(国の総支出のうち教育のために出している部分)は、対GDP比だと、OECD37カ国の平均4.3%のところ、日本は3.0%で、36位である。もちろんGDP世界第四位の国なのだから、金額では小学校から高校までの生徒一人あたり年間約12,500米ドル(1ドル150円として約188万円)支出していることになり、これはGDP各国平均12,000ドルよりは高い。が、日本は全体として公教育にお金をかけているほうだとは言えない。
 そのことの結果が一番顕著なのは学級規模、つまり一クラスの生徒数である。OECDの平均は21.1人のところ、日本の公立小学校は平均27.2人で、OECD諸国中の第二位の人数になっている。公立中学校は平均32.0人で、やはり第二位。

 諸外国に比べて日本のクラスの生徒数は多すぎることは、私が教員になった40年ほど前から話題になっていた。しかし昭和55(1980)年から平成3(1991)年までで小学校でようやく40人学級(一クラスの上限を40人にする、ということ。実際の編成には弾力性が認められているので、地域差がある)が完成し、令和2(2020)年から、コロナを慮って、ようやく35人学級に引き下げられた。
 クラスの人数は少ないほうが学習効率はよいし、生徒一人一人への教師の目も届くと、確証はないが、普通に思える。しかしそれは、官僚も政治家も、一般国民もあまり望まないようだ。
 子どもの学力が上がるのは好ましいに決まっている、ただし自分の子どもなら。他所の子どものために、なぜ多額の税金や社会保障費が使わなければならないのか。優秀かそうでないかは、所詮比較相対上の話だ。学力が全体として底上げされるなら、むしろ我が子のライバルに塩を送ることになってしまいかねないではないか。エゴと言えばそうだが、子作り・子育てが各家庭の事業である以上、このような思いが根絶されることはない。



 なんだか、どうしようもないという見通しだけを述べて終わりになりそうだが、「教育にお金がかかりすぎる」情況は、特定の個人や集団のせいではなく、国民全体の思惑や欲望が絡み合ってこうなったのだ、ということは最初に心得ておくべきだろうと思う。
 そのうえで、子育て支援金を出す以上の施策は、私にも思いつかない。今年度から、三歳までは月額15,000円、その後高校卒業時点までは10,000円支給することになっている(一人親や、低所得家庭の場合は増額される。また第三子以降は全期間30,000円)。ざっと計算して、第一子、二子は234万円、第三子以降は648万円総額で貰えることになる。
 この金額の多寡についてはいろいろ議論があるところだろう。もう一つのポイントは、この金が親に渡される、というところである。何にどう使ったか、報告の義務があるわけではないので、生活費に充てても、貯金しても、つまり子どものために使わなくても自由。
 再三述べたように、子作り・子育てが各家庭固有の事業である面からすれば、それでよい。しかし、自由である場合には、必ず、機会を生かすだけの賢明な人とそうでない人の差が出てきてしまう。またこの場合、塾やスポーツクラブなど、学校以外の教育機関がどれくらいあるかの地域差も大きく関係してくる。
 だから私はこれによって、少子化には少しは歯止めがかかるかも知れないが、それ以上に、いわゆる階層化を進める結果のほうが大きいのではないか、と予想している。それでもかまわない、と思うか、その弊害が顕著になったら他に対策を立てればよい、と思うか、それぞれではあるだろうが、今後の日本社会の在り方を考えるためには、けっこう大きなポイントだと思う。
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悲劇論ノート 第7回(チェーホフの反悲劇)

2024年11月03日 | 

桜の園 初演の舞台写真

 ヘンリック・イプセンが近代劇の父なら、アントン・チェーホフは現代劇の父と呼ばれるに相応しい。「人形の家」の初演は1879年、「かもめ」は1896年で、17年の間隔しかないが、物事が起きるときには連続して起きるものなのだらう。具体的には、近代写実劇が完成すると、その限界も目につき、以降の作家は乗越えを目指さざるを得ず、そこで最初に大きな成果を挙げたのがチェーホフといふことになりさうだ。
 最大のポイントは、イプセンが一般市民(といつてもけつかう富裕なブルジョワだが)を題材とした悲劇的な作品を完成させたのに対して、チェーホフは近現代での悲劇の不可能性を、劇の根底の一つとして見せたところにある。

 今まで折に触れて述べてきたが、ギリシャ劇から、17世紀フランスのラシーヌやモリエールまで、悲劇は王侯貴族や神話上の人物を描くもの、喜劇は一般庶民を、と決まつてゐた。
 単純な話、例へばシェイクスピアの「リア王」「マクベス」「ハムレット」などで、主人公の言動が国家全体を揺るがす大事になるのは、彼らの身分が高いからだ。リア王が王様でなければ、たとへ大金持だつたとしても、アホな頑固ジジイに過ぎない。当事者以外からは笑はれるのに相応しいので、喜劇になる。
 さうは言つても、一般庶民でも、自殺もすれば人殺しもする。嫉妬もすれば熱烈な恋もする。これをドラマに仕組めないものか? いはゆるブルジョワが、たくさんお金を稼いだおかげで社会の中枢に成り上がるにつれて、その要請は自然に強くなる。

 イプセンは初期の頃、韻文で、「ブラン」や「皇帝とガリラヤ人」のやうな壮大な歴史劇を主に書いたが、「青年同盟」(1869)や「社会の柱」(1877)などの、現代を舞台とした劇も手掛けてゐる。しかし「人形の家」が決定的なのは、第一に緊密を極めた構成、第二に平凡な家庭の主婦にドラマ性≒悲劇性を見出した点にある。
 先蹤はと言ふと、西洋古典悲劇の系列の最後に位置するジャン・ラシーヌであつたらう。極限まで狭められた場所と時間の中で、際立つた個性の持ち主たちが言葉をぶつけあひ、うねるやうに、しかし一筋に結末にまで行き着く。過去の情況説明も舞台上の「現在」の進行中に、過不足なく伝へられる。現代でも依然として、映画やTVドラマを含めた、せりふによる劇作品のお手本であらう。

 しかし、「人形の家」がイプセンの名をヨーロッパ中に広めたのは女性解放運動の文脈で受け取られたからだ、といふのは、皮肉としか言ひやうがない。彼はこれまで、自由主義の立場からした社会諷刺を鏤めた劇をいくつか書いてきたのに、「人形の家」では、その種のものは一番後景にまで退いてゐる。因みにヒロインのノーラは、女性の権利、なんぞとは一言も口にしてゐない。
 ノーラはフェミニストではなく、ボヴァリストなのだ。夢と現実の区別がつかないのではなく、夢の実現を容易にあきらめず、ために破滅に至る。この生き方は悲劇のヒロインたるに相応しい。ただ、エンマ・ボヴァリーもノーラ・ヘルメルも、女王でも王女でも、貴族の令嬢でもなく、ブルジョワの主婦である。
 その身分の者は、「真実の愛」などといふものを求めてはいけないか? いけなくはない。ただ、いつまでも保ち続ける、あるいは保ち続けてゐるかのやうなふりをする義務はない。まして、命を賭けてまで。さういふのは貴族のもの、即ちノーブレス・オブリージュ(高貴な義務)なのだ。そんなものからは免れてゐる庶民が、何を場違ひな、といふ感じは、決して拭へない。
 簡単に言えば、「ボヴァリー夫人」を読んだり、「人形の家」を観たりする人のかなり多くが、「なんか、大げさなんじゃないか?」との思ひを抱いてしまふ。
 後者については、この家庭は自分が思ひ描いてゐたやうな理想的な場所ではなかつた、夫は自分を一人前の人間とは看做してゐなかつた、と気づいたときの幻滅の大きさをできるだけ思ひ遣るとしても、それで、夫だけならともかく、三人の子どもまで捨てて出て行くのは、やり過ぎではないか? 私が実際に会つた中でも、さういふ感想を言つた人はけつかう、女性の中にも、ゐる。

 では、彼女のやうな人間の身の程はどんなものか。「桜の園」に登場する、農奴上がりの商人・ロパーヒンは、眠れない夜には時々次のやうに考へると言ふ。

神よ、あなたは実にどえらい森や、はてしもない野原や、底しれぬ地平線をお授けになりました。で、そこに住むからには、われわれも本当は、雲つくやうな巨人でなければならんはずです……。(神西清訳で引用。以下同じ)

 これを聞いたヒロイン・ラネーフスカヤの反応は、

まあ、巨人がご入用ですつて……。お伽話のなかでこそ、あれもいいけれど、ほんとに出てきたら怖いわ。(以上第二幕)

 ここで象徴的に言はれてゐるのは、彼らはどこからみても巨人≒英雄ではなく、ちつぽけな人間であつて、しかもそのことを自覚してゐる、といふことだ。これが大前提。
 それだけでも、「桜の園」の主要人物はヒーローとはなり得ない。力も、覚悟すらなく、切迫した状況に投げ込まれれば、正面から対峙できず、ひたすらやきもきしてウロウロする者たち。彼らを描くのは悲劇ではあり得ない。

 チェーホフは短編小説家として広く名を知られるやうになる以前から劇作を志し、挫折を経験してゐる。「イワーノフ」の改訂版(1889)は成功したが、それは、この頃までモスクワやペテルスブルクの上流人士の間では流行語だつた「余計者」としてのインテリゲンツィアを採りあげたところが大きいやうだ。
 しかしその同じ年に書かれた「森の主」は上演を断られてゐる。当時の劇の主流だつた悲劇の、衰退・通俗形式たるメロドラマからして、この劇は筋の起伏も大仰な情熱の発現も乏しく、要するに退屈だと看做されたのだ。
 その後7年間劇作に手を染めなかつたが、1896年には「かもめ」を完成した。初演は失敗して、チェーホフに深い絶望を与へたが、2年後、コンスタンチン・スタニスラフスキーの演出によるモスクワ芸術座の再演は大成功で、ためにこの劇団も作者も名声を確立した。以後のチェーホフの多幕物四作品は、すべて同じ劇団・演出によつて演じられてをり、ヨーロッパの演劇革新運動の主要な拠点となつた。

 「かもめ」は最初から喜劇と銘打たれた。普通に言つて笑ふ要素はほとんどない(ラテン語まで使つた言葉遊びや言ひ間違ひによる擽りは少しあるやうだが)、むしろ陰鬱な印象が残る作品だといふのに。それを敢えて喜劇としたのは、当時の劇界や劇作品のあり方に対するチェーホフの強い反感の現れだらうが、内容的には諷刺を主眼とするところがこの名に相応しいと思へたのかも知れない。ただそれも、非常に独特のやり方で、だが。
 エレオノーラ・ドゥーゼ並だといふ元大女優と、ツルゲーネフ並だといふ流行作家を登場させ、彼らの贋物性が描かれる。それは自分自身がけつかう自覚してゐるので、彼らは決して道化ではない。今更ドタバタ何かやつたりはしない。男や女を求める以外には。
 ドラマはより若い世代が起こす。彼らの名声に憧れる若い女と、彼らの古くさい芸術に反発して新形式を求める若い男が、そのために破滅するのだ。自分たちの情熱によつてではなく、その対象の空虚さに直面することで。これは悲惨ではあつても、悲劇ではない。
 しかしだからと言つて、この若い男・コースチャが自殺する結末は、私には、ノーラの家出以上の唐突感がある。劇にまとまりをつけるための強行手段ではなかつたか。そんなふうにさへ感じる。

 それもあつて私は、この後1899年に上演された「ワーニャ伯父さん」からの三作こそ、本当に革新的な、真のチェーホフ劇と呼ばれるべき作品なのではないかと考へる。
 すぐに目につく特徴は以下。ここまでの、二十歳そこそこで書かれて作者の死後に題名が欠けた状態で原稿が発見されたものを含む四作は、すべて主人公と言つていい男が変死することで終はる。題名のない戯曲のプラトーノフは女に撃ち殺され、あとの三人、イワーノフ、ジョルジュ(ワーニャの前身)、コースチャはすべてピストル自殺。
 それが、「森の主」が改作された「ワーニャ伯父さん」になると、ワーニャはピストルを振り回すものの誰も殺さず自殺もしない。最後に劇を締めくくるのは、彼の姪・ソーニャの「でも、仕方ないわ。生きていかなければ!(中略)長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じつと生き通していきませうね」から始まる有名な長科白。死ぬより辛く、勇気も要るこの決意の切なさは、誰の心にも沁みるだらう。
 このやうに、死ぬことでせめて格好をつける男たちに代って、女性の苦悩を経た覚悟が残るのは、次の「三人姉妹」にも引き継がれる。「もう少ししたら、なんのために私たちが生 きてゐるのか、なんのために苦しんでゐるのか、わかるやうな気がするわ
 なんのために生きてゐるのか≒自分とは何かは、やはり呪はれた問ひとしてある。しかも現代人は、とりわけ女性は、ヒーローとして自らの選択や行為の結果そこにぶつかるより、愛ある(と、見えただけ、を含む)関係から弾き出されて孤独になって、自分自身と向き合ふ。問ひに答へられる者はゐない。もしも全能の神があるなら、きつと、死後に教へてくれるだらう。

 かうして、英雄ではない、さうなることもできない≒さうなることを期待されてゐない者たちに相応しい必然性を備えた現代劇は出来上がった。
 ただしチェーホフの最後の戯曲は、情況の深刻さや感情の激発を押さえたより穏やかな雰囲気のもので、「かもめ」以来初めて喜劇と銘打たれてゐる。「桜の園」の初演は1904年1月で、その5ヶ月後に彼は亡くなつてゐるが、健康を害してゐたとはいへまだ四十四歳で、死を意識してゐたかどうかは定かではない。
 例えば「三人姉妹」にはあつた死(主人公とは言へない男のだが)も、「桜の園」の劇の進行中にはない。死は、六年前、ラネーフスカヤの息子が川で溺死したこと、そして、最後に皆に忘れられて館に取り残された老僕が、たぶん遠からず迎へることが予想される。言はば、桜の園消滅の、舞台外の序章と終局を成してゐる。
 もう一つ、これは今まで述べた内容の点より重要かも知れない。登場人物が各々自分の思ひに捕はれ過ぎてゐて、会話がすれ違う場合が非常に多い。愛も憎しみも、人間以外のものへの憧れも執着も、ちやんと他者に受け取られて、返されることはほとんどなく、いつの間にか虚空に消えてしまう。これは「かもめ」以後の特徴だが、「桜の園」では最も露骨に目につく。
 イプセンの、何が焦点であるかが常に明確なドラマとはおよそ逆であり、言はば、筋の一貫の代わりに雰囲気の一貫が置かれてゐる。現代劇を拓くためには、この要素が何よりも大きかつたらう。
 いや、そんなことより、皆が自分の穴の中に籠もつてゐて、他人に同情はできても、本当に関わり合うことはめつたにできない。また、自分自身の運命の主人公にもめつたになれない。それこそ我々がちつぽけな存在であることの何よりの証左なのだ。喜劇の手法を応用して、舞台上に現出されたこのリアルこそ、最も憂鬱で、最も恐るべきものであらう。

 例えば、ラネーフスカヤには、守るべきものはあり、それが桜の園だ。「桜の園のないわたしの生活なんか、だいいち考へられやしない」(第三幕)とまで言ふ。しかし、全力を挙げて守らうとするのかと言ふと、かなりズレてゐる。
 桜の園とは何か。「世界ぢゆうに比べものもない美しい領地」〈第四幕〉とも言われる宏大な土地で、ラネーフスカヤが生まれ育ち、結婚後もしばらくは過ごした館がある。ただし楽しい思い出だけではなく、六年前に夫がシャンパンの飲み過ぎで亡くなると、続いて愛息の事故死に見舞はれた。それで堪らなくなつた彼女はフランスへ赴くのだが、その時は男が一緒だつた。その後、この男に彼女は持ち金全部を搾り取られた挙句、捨てられて、故郷に戻つてきた。これが劇の始まり。
 この劇には明確な時期の指定はないが、ロシア革命(1917年)以前に始まつてゐた貴族階級の没落を背景にしてゐるのは明らか。農奴解放(1861年)の結果、もとは絶対服従だつた使用人たちが、時には主人一家を馬鹿にした態度をとるやうになつている。
 それにラネーフスカヤ自身、貴族階級出身ではあっても、貴族ではない弁護士と結婚し、そのうへ前述のような次第で、身持ちがいいとは言へないので、(たぶん、本家みたいな)伯爵夫人の伯母さんからは嫌はれてゐるといふ、言はば正式な貴族からは外れた存在なのだ。
 性格は、よく言へば優しい好人物で、頼まれるとどんどん人に金をやつてしまふ。そのため(だけではないだらうが)、借金の抵当になつた桜の園を守る実務的な能力は、兄・ガーエフともども、全くない。これが第一幕から強調されてゐるので、「彼らは桜の園を守り通すことができるか」のサスペンスは半ば以上失はれてしまつてゐる。

 ラネーフスカヤが桜の園を失ふのは、ただ世間知らずのためだけではない。別荘地として分割して貸し出せば、所有権を手放さなくてもすむ、といふロパーヒンの提案を二度に渡つて断るのは、「俗悪」だからだ、と言ふ。
 桜の園がばらばらに解体されて、新興成金たちが我が物顔に(借地権はどの程度のものかわからないが、その範囲では「我が物」に違ひない)闊歩する、桜の木も木材として伐られるのにも耐えなければならない。さうなつたら、そこはもう何よりも貴重な桜の園などではない。わかつてゐないのは、財務状況にしか興味のないロパーヒンのはうなのだ。
 と、正面から主張して議論を続けるなら、作品の対立軸は明確になり、価値あるものを守らうとして挫折する人間の悲劇として劇構造も安定する。ギリシャ悲劇も、イプセンの劇も、そのやうになつてゐる。
 しかし、ラネーフスカヤはすぐに話を逸らしてしまふ。彼女は、理屈はわからず、感情のみで動く人物として最初から最後まで振る舞ふので、「全くどうしようもない」といふ印象しか残らない。

 同じやうなことは、最終的に桜の園を買い取ることになるロパーヒンについても言へる。「新陳代謝の意味では、猛獣が必要」であり、「君の存在理由」(第二幕)は要するにそこにある、と、他人についてはやたらに鋭い見方を発揮する万年大学生のトロフィーモフに評される彼だが、最初から奪ふ者として登場するわけではない。
 彼は農奴の子どもだつた時代に優しくしてくれたラネーフスカヤを心から慕い、なんとかして助けたいといふ善意に満ちてゐる。が、本当の意味でそれができる手段は持ち合はせてゐない。
 かくてこの両者は決して噛み合はず、劇の中心はなんなのか、単純明快な筈なのに、ひどく曖昧な印象が残ることになる。

 このやり方でチェーホフは、劇中から本当の悪人を取り除くことに成功した。
 「三人姉妹」では、最初野暮な田舎娘として登場したナターシャが、三姉妹のただ一人の兄弟の妻となると、次第に家庭内の主導権を握り、姉妹を閉め出す。その過程が、そんなに目立つわけではないが、主筋ではある。彼女は市会議長と不貞を働いてゐる疑いが濃厚で、この男の手先として、女性が象徴する繊細で優美なものを押しのけて滅ぼす力の象徴になつてゐる。
 これはチェーホフ劇では珍しいはうの例である。桜の園は繊細で優美なものの象徴には違ひないが、それを滅ぼすのは、個人の顔のない時代の流れとしか言ひやうがない。ガーエフやラネーフスカヤがもつとしつかりしてゐて、このときは桜の園を守り通せたとしても、二十年も経たないうちに革命によって失はれてしまつたらう。我々はそのことを知つてゐるのだから、所詮は空しい努力だとしか言へない。

 最後に、喜劇につきもののはずの笑ひについてもう一度考へておかう。
 第三幕、桜の園の競売の日だというのに、館では舞踏会が開かれる。このチグハグさは、まさに喜劇的だが、それで笑ふためには、競売場で無力を曝け出しているガーエフや、雰囲気に巻き込まれて(だらう)競売に参加することになり、勢いのままに桜の園を競り落とすことになつたロパーヒンの姿などを眼前に展開させる必要がある。
 しかし、彼らが登場するのは、すべてが終わってからで、ラネーフスカヤは泣くことしか出来ず、他には、なんとかして母を慰めようとする娘のアーニャがいるばかり。とても笑へない。

 もう一つ、最終幕(第四幕)で、せっかく機会を作ってもらったのに、ロパーヒンはどうしてワーリャ(ラネーフスカヤの養女で、桜の園の管理をしてゐる)に求婚しないのか。お互ひに思ひ合つてゐることは、第一幕から明らかにされてゐるといふのに。教養のないことへのコンプレックスから脱却できないので、金儲け以外のことには臆病になつてしまふのだ、といふ説明は一応つくが、それにしても。
 ワーリャのほうでも、女性からプロポーズはできない、といふ当時の常識に縛られて、ただ泣くばかり。最後に、半ば無意識のうちに傘を振り上げるが、ロパーヒンがぎよつとすると、「わたし、そんなつもりぢやなかったのに」と言ひ訳をして、二人の関係は完全に終はる。
 いつそ叩いてやればよかつた。そこからてんやわんやの滑稽な騒動が始まり、結婚という幸福な結末に至るのは、喜劇作家たちがよくやる手だ。それがないのは、思ひ切つた行動ができない平凡な者たちを描くといふ、悲劇とは正反対の方向に、針が振り切れている感じがある。

 「絶望の虚妄なるは希望の虚妄なるにまさに同じ」といふ言葉が思ひ出される。チェーホフは、自分自身はちつぽけだし、世界に意味が見出せないからと、何も出来ずにゐる男を最も嫌つた。生きるとは、人と人の間で、何かをやり続けること以外ではない。もしそこに意味があるとしたら、その果てにしか見えてくることはないだらう。「ワーニャ伯父さん」や「三人姉妹」の女性たちが言ふ通りに。
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