バルトロメ・デ・ラス・カサス「インディアスの破壊についての簡潔な報告」(1552)のためのヨース・ファン・バインヘンとセオドア・ド・ブライによる挿画
メインテキスト:西尾幹二『歴史の真贋』(新潮社令和2年)
本書を読んで、近年折々仄聞する機会があった西尾幹二先生の、戦後日本の、いわゆる保守派に対する批判的な姿勢に直面し、とりわけ、西尾先生にとって文芸上の師匠だった福田恆存先生への「不満」が明確に書かれていたので、けっこう動揺しました。全く個人的な心情でしかありませんが、これについて一言しないわけにはいかない気分になりましたので、今回述べます。
以下、敬称は略します。
順序として、著者の立脚点についての私なりのまとめをまず掲げておく。
『歴史の真贋』は、西尾幹二が平成23年から令和元年の間に各地で行った講演の草稿を基に、新たな書下ろしを加えて成ったものである。すべて「です・ます調」の話し言葉で書かれているので、内容の割には親しみやすくわかりやすい。おかげで、この年月、よりもずっと以前から、著者の目指しているものが明瞭にわかる。
それは「日本中心の世界像を回復」し、「日本の主体性を取り戻す」(P.48)ことだ。途方もなく難しい試み。どこにどれくらいの難しさがあるのか、それを理解するのがそもそも難しいほどに。著者もまた、様々に迷いつつ、現在に至る長く厳しい道程を辿らねばならなかった。本書は全体として、その際の、内面のうねりを伝える、一種の精神的自叙伝になっている。前述の「目標」に到達しているとは言い難いが、むしろこのような読み物こそがスリリングなのだ。
前半では、ニーチェの研究者として出発した著者の、西洋観が語られる。
周知のように、唯一にして全能の神がこの世界を作った、という神話的枠組みが西洋精神を規定している。この信仰の根底には、虐げられた人々の鬱積した復讐感情、いわゆるルサンチマンがあることは、ニーチェが夙に指摘した。元来ユダヤ人という単一民族はなくて、エジプトで奴隷として差別されていた人々がモーゼの掲げた神のもとに団結したのが始まりで、つまり、ユダヤ教が先にあってユダヤ人が後に出来たのである(P.103)。
多様な人種・民族をまとめるためには、地上のすべてを超越した存在を措定しなければならなかったのだろうが、また、日陰者の集まりであったからこそ、そこから外れている者たちを排斥する敵愾心は凄まじく、イエスが登場して慈悲と許しを説き、キリスト教へと転換した後も、それは人々の奥底に隠れた、言わば裏の心理として残ってしまった。
表にはこういうことがある。唯一絶対神を信じるのであれば、「神の視座」はどこかにあるはずであり、それからして、真と偽、善と悪、美と醜、は明確に分けられるはずである。そもそもキリスト教を知らない異教徒は、明らかに正しさからも善さから遠いのだから、人間扱いすべき謂われはない、ということにもなる。
かくして15世紀以後の、キリスト教世界となった西欧の、アフリカ・アジア・アメリカへの仮借ない侵略が始まる。これが慈愛を説く宗教の影の部分であり、その上に近代西洋文明が成立した。
しかしこの過程で不思議なことが起こった。それはニーチェが「神の死」と呼んだできごとである。「我々が神を殺した」、しかし、その本当の意味はまだ理解されないので、「私は早く来すぎた。……この恐るべき出来事はまだ進行中なのだ」と(「悦ばしき学び」)。
西尾が与えてくれたヒントを基に、自分なりの言葉で、たぶん21世紀の今日でもまだ進行中であるこの出来事とは何か、考えてみる。
近代科学の草創期に活躍したガリレオやニュートンは皆敬虔なキリスト教徒であり、神が作ったこの世界の仕組みを解明しようとするのは、神の意志に沿ったふるまいであるはずだった。しかしそれがうまくいくと、人間は客観的な世界の真の姿を、即ち「神の視座」を手中にしたような錯覚に陥る。
一方では18世紀までにカントなどが、人間には(「物自体」などの)世界の究極の実相は知り得ないことを証明したのだが、ものごとが生起し消滅する過程(即ち、現象)なら、かなりの程度正確に記述することができ、普通はそれで充分なのだった。
前回の記事(小説もどき)で書いたことを例に挙げる。万有引力とか重力とかいうものがあることはみんな知っている。しかしそれが本当はなんで、どうしてそんなものがあるのか、は誰も知らない。知らなくても、ともかくあることにして、地上でリンゴが樹から落ちる現象も惑星の運行もすべて単一の法則で記述できるなら、どういう条件ならどういう動きが生じるか、正確に予測できる。ならば、それを使って、飛行機やロケットやミサイルや大砲の玉を飛ばすことができる。つまり、戦争に強くなるなど、現実の役に立つ。
電気も同じこと。どのようにすれば電流と呼ばれるエネルギーが生じ、どのようにすればそれを熱や光などの他のエネルギーに転換できるかわかるだけで、人間の生活は格段に便利になる。それでよい。そこを踏み越えて、「電気とはいったい何か」などと考える人など、いつでもどこでもめったにいるものではない(考えれば、それは決してわからないことだけはほぼ確実にわかる)。
ならば、神など、いらないんじゃないか?
ニーチェの寓話中で、神の死を告げる「狂人」を嘲る男たちは、確信をもって神があるともないとも思っていたわけではない。そんなことはどうでもよくなっていたのだ。
神父さんたちに代わって科学者が、この世界について隈なく説明してくれるようなので、自分たちは正しい認識を得ているはず。それだけで、自分たちこそ優れた人種であり、正しいことを知らない異教徒・異人種は劣っていることは明らか。神様そのものについては、忘れていたほうが、余計な「良心」などを顧慮しなくてすむ分、都合がいい。近代科学はまた、航海術などの交通手段や殺戮兵器を圧倒的に進歩させたから、物理的に侵略や支配はやりやすい。
かくて西欧社会の暴力的な拡大は続いた。それも、一部族・一民族を殲滅するか奴隷にするかの苛烈さで。【ただ、モンゴル帝国もずいぶん残虐だったようだから、この点は西欧社会やキリスト教のみのせいにするわけにはいかない。】近代ヒューマニズム(「人間一般」を価値あるものとする)のおかげで、後には穏やかなものにはなったが、二十世紀の半ばまで西欧諸国による他の地域の植民地支配は続いたことは周知の通り。
第二に、精神的な問題。明らかに、ニーチェの力点はこちらに置かれていた。
神がない、とはつまり、世界の中心的な拠所が失われたということである。ならば、社会も自然も、それを一定の「世界」として眺める「自己」も、すべては仮象、と言いたいが、実際は、仮象なりに一定の方向・意味を与えるものをどこかに措定していない限り、それこそ仮にも秩序だったイメージ(象・像)が成り立つはずはなく、世界はすべて、混沌、という言葉も無意味になる完全な混沌しかないことになる。そのような、徹底したニヒリズムに耐えられる人間などいない。それ以前に、「人間」なるものが存在し得ない。
だから、自然の見方としては自然科学が真理の座につかねばならなかった。そのためには、繰り返すと、世界の「真実在」に至るというような野心は捨てなければならいのだが、逆に言えばそれさえあきらめればけっこううまくいく。
社会、と呼ばれる人間たちの世界はどうか。ここでも同じようなことが言える。確固不動の事実などない。あっても、人間にはわからない。人間が手にすることができるのは、ここでも、「事実」と「自己」の関係の織りなす過程であり、それについての「解釈」だけなのだ。
と言っても、これは、各人が勝手に解釈してさえいればいい、ということではない。それではやっぱり人間社会全体としては混沌になってしまい、すると「自己」なるものが成り立つ現実的な立脚点もまた、失われてしまう。
そもそも自己もまた、単一の、不動のものとしてあるわけではない。「「自分が外を見る」ことと「外を見る自分を見る」という、そういう格闘の挙句の果ての自己」でなければ、外と繋がることはできない。まして、歴史という最も大きな世界については、「歴史の世界に没入していって自分を無くしてしまう」ところまでいかなければ何も見えてはこない。見えてきても「それは客観世界ではありません。歴史はそうやって、こちらが動くことによって新たに動いて見えるそのつど変化した世界なので」(P.74)ある。
「過去との果てしない対話をする歴史家」(P.75)にとっては、歴史はそのまま自己になる、とも言われる。思うに、このような過程を経て、語るに足る、即ち他者とも共有可能な世界(歴史もその一つ)も形成されるのだろう。
以上は、あまりに理想的に、綺麗に言い過ぎているきらいがある。実際は、個人意識が現れてくる前に、すべての人が自分の生まれ育った社会の、歴史(観)を含めた既成の有様から「自己」が規定されているのが当然であり、後天的な「対話」によってそこを多少とも踏み越えることができる人など、ごく少数の、天才と呼ばれてもよい存在に限られるだろう。
地球上の社会の多様性は、文明観や宗教観と同様、歴史観の違いに根ざす。というか、これらは互いに密接不可分であって、善悪美醜の基準もここから来る。たとえ一番根底の神及び神的なものは見失われたとしても、その範型は残る。ある社会が続く、とはそういうことであり、範型が異なる二つの社会が正面からぶつかるとき、のっぴきならない対立を惹き起こしもする。キリスト教国とイスラム教国の相克は、今日見られるその代表例。
そして、本書の前半で私が教えられた最大のものは、アメリカは現在に至るまでヨーロッパよりはるかに一般の信仰心が強い国だ、という指摘である(P.107)。1898年の米西戦争に勝ち、太平洋におけるスペインの旧来の覇権を完全に奪った時こそ、日米海戦の端緒である、とされる。
つまり、太平洋戦争(大東亜戦争のうち、太平洋方面に限定したものとしてこの呼称を使う)とは、20世紀の十字軍として、太平洋の深奥まで、自分たちキリスト教徒の「正しさ」を拡げようとする大国と、その大洋の片隅にいて、どうも西洋世界の支配を脅かしそうな野心と実力を示した島国の、宗教戦争であった、というのだ。
興味深い解釈であり、いつかこれに沿った20世紀日本の通史が書かれることを期待せずにはいられない。
では、現在までの日本の歴史語りはどういうものだったか。
「愚管抄」や「神皇正統記」のような、歴史哲学と言うべきところまで踏み込んだ書物は、いずれも支那を意識して、我が国独自の、皇室中心の歴史の正統性を主張いている。【こういうものが書かれた背景には、動乱の時代で、その正統・正当が危殆に瀕しているという認識があった。幸にして皇室自体は生き延びて、今日まで日本の歴史の連続性を証するものになっているが。】
江戸時代にこの傾向を最も強く押し進めた国学者に本居宣長がいて、ほぼニーチェの同時代人なのだが、例えば「古事記傳」中に述べられた古代日本人の自然観や宇宙観には、ヘラクレイトスに関するニーチェの解釈に似たところがある。世界は、神と呼ばれる得る存在が作ったのではなく、自然に「成った」ものであり、現在まで生成を続けている、というところが。
近現代でこのような古代観の独自性を認めた和辻哲郎や丸山眞男は、しかし、それこそ自然に、西洋のフィルターを通して物を言う。「日本人は原理がない、定まらない、影を抱いている精神の中空構造で、どこかに空虚なものをかかえながら、しかしそれがまた日本人の強さだ」云々。
「もうこのような論は沢山です」(P.158)と西尾は言う。両方を立てておこう、という感じの、いわゆる「仲人口」のいやらしさもさることながら、固定した観念や概念でピン留めしたような歴史は、畢竟贋物なのだ。「大切なのは存在ではなく生成なのです。精神が展開し続けている運動だけが肝心なのであって」(P.159)、そのような生命のダイナミズムに自ら身を置いた歴史観だけが真だと言える。
だからまた、西洋の短所に対して日本の長所を言い立てる、なんぞという行き方もダメ。それは結局のところ、近代日本特有の、西洋コンプレックスの裏返しに過ぎない。第一、明治以降西洋をモデルにして近代化の道を進んだ日本で、西洋を頭から拒否するような行き方があり得ると考えるのは、全くの錯覚である。「欧米が世界を描こうとしているときの姿勢や精神をしっかりと自分なりに解釈し直」(P.61)したうえで、日本なりの世界観・歴史観を打ち立てなければならない。
戦前の思想家の中には、そういうことができた人もいた。仲小路彰・大川周明・平泉澄・山田孝雄ら。彼らの業績は戦後アメリカによって封印され、忘れ去られた(後述)。それはつまり、大東亜戦争は日本の犯した悪であった、少なくとも失敗であった、という彼の国にとって都合のいい歴史観が日本を覆い尽くしていることの一つの証左である。
こここから、若き日の西尾が直接学んだ保守思想家、中でも特に小林秀雄と福田恆存が検討される。この部分については次回にまわします。今回は、私が依然として強く惹かれている西尾の歴史観について、思わず長く語ってしまいましたので。