メインテキスト:谷崎潤一郞「細雪」(初出は『中央公論』昭和18年1月号と3月号、昭和19年7月、私家版『上巻』を出版。『婦人公論』昭和22年3月号~昭和23年年10月号。昭和33年刊中央公論社新書版『谷崎潤一郞全集』第24~26巻より引用)
倚松庵
今年この大長編を読み返してみて、今更ながらな特異な作品だなあ、と感じ入りました。
作中の年代は昭和11年11月から16年11月までの五年間。15(1940)年9月には日独伊三国同盟が締結され、日本はいよいよ破局へのポイント・オブ・ノーリターンを越えたのだが、内地の一般国民レベルでは、まだ戦火を直接自分たちの身に及ぶものとはさほど感じていない時期に当たる。
昭和20年の神戸大空襲の折には、谷崎がいた魚崎も大規模な空襲を受け、潤一郞・松子夫妻も命からがら防空壕に逃げ込んでいる。この時点で作品は中巻まで完成していた。
その直後の敗戦によって、日本の気高いもの・美しいものは滅び去ったのだ、と坂口安吾の「堕落論」にある。共感する人はけっこう多い。安吾は、滅びちゃったものはしょうがない、生きるために堕落するのが正しい、と言う。それにつけても、滅び去った後から回想で眺めれば、気高く美しいものはより輝いて見える。これを文字なり劇なりで定着するのは、悲劇として過去を再構成することであって、古今東西の文学の王道の一つだろう。
「細雪」もそうで、失われつつあるものとしての、上方の、上流だか中の上の社会の、華麗にして繊細な女性文化を活写している。それは間違いないのだが、今回の再読では、もっと重い部分が印象に残った。それはつまり、作品の根底にある近代文明批判である。
一つには、ヒロインである蒔岡四姉妹、と言っても長女鶴子はほとんど登場しないので、次女以下三人の描き方が、女性崇拝者・谷崎潤一郞にしては、他にちょっと例がないぐらい生々しい。「こいさん(末娘)」の悦子は下巻で赤痢になって、その病状が詳細に、具体的に叙述されている。三女・雪子は、外見はお人形のように綺麗な、「本当にトイレへ行くの?」と思えるほどの女性だと思うが、彼女が下痢に苦しむところが小説のラストに置かれる。次女の幸子は妊娠中に、妹の見合いの席に出て、粗相しないかと気にかけたりして、挙句にやがて流産してしまう。
どうやら谷崎は、生理の段階まで女性と一体化して、その視点を我が物にしようとしていたようだ。それがどの程度に成功しているかどうか、男性である私には判定できないわけだが、そうしようとする意欲がどこから来るか、ある程度理解出来たように思う。
中心プロットは、作品世界そのものである蒔岡家の崩壊過程であることも見やすい。小説が始まった時点で、それはもう壊れかけている。
つまり、船場の老舗大問屋であるこの家は、四姉妹の父の放蕩のおかげで、店を手放している。長女鶴子の婿・辰雄は銀行員だが、蒔岡家の「当主」ではあり、当時の家父長制の慣習上、姉妹全員を指導監督する権限と責任がある。
とはいえ、家付き娘の姉妹から見たら、辰雄は他所から入って来た新参者であり、幸子を初めとした義妹たちは結託して彼をいじめていたことは何度か言われている。「小姑鬼千匹」なる言葉は、大家族が減って以来聞かれなくなったが、このへん、身につまされて女は怖い……、なんて個人的な思いはさておき、この時点で、「家」の秩序は実質的にはもう失われている。もっとも、似たような事情の大分限家は、江戸時代からあったろうが。
次女の幸子もサラリーマンの婿をとって「分家」として芦屋で暮らし、その下の三女雪子、四女妙子は、大阪の「本家」と「分家」を行き来している。これが決定的に分断されるのは、出世を願った辰雄が東京へ「栄転」を決めてからだ。
すると本来「本家」の保護監督の元におかれるべき未婚の娘たちは、東京へついてくるのが当然、ということになる。これが作中最大の問題になる。生まれた時からずっと上方で過ごしてきた姉妹にとって、東京は「水に合わない」のだ。
しかし正直なことを云ふと、彼女(引用者註・幸子)はそんなに東京が好きなのではなかつた。瑞雲棚引(ずいうんたなび)く千代田城のめでたさは申すも畏(かしこ)いこととして、東京の魅力は何処にあるかと云へば、そのお城の松を中心にした丸の内一帯、江戸時代の築城の規模がそのまま壮麗なビル街を前景の裡に抱へ込んでゐる雄大な眺め、見附やお濠端の翠色、等々に尽きる。寔(まこと)に、こればかりは京都にも大阪にもないもので、幾度見ても飽きないけれども、外にはそんなに惹き着けられるものはないと云つてよい。銀座から日本橋界隈の街通りは、立派と云えば立派だけれども、何か空気がカサカサ乾枯(ひから)びてゐるやうで、彼女などには住みよい土地とは思へなかつた。分けても彼女は東京の場末の街の殺風景なのが嫌いであつたが、今日も青山の通りを渋谷の方へ進んで行くに従ひ、夏の夕暮であるにも拘らず、何となく寒々としたものが感じられ、遠い遠い見知らぬ国へ来てしまつたやうな心地がした。(中巻十四)
江戸が東京になるにつれて見せつけるようになった壮麗さと雄大さ、その反面の殺風景な寒々しさは、正に近代日本の歩みそのものの表象であろう。これを力強く推し進めてきたものは、(実はあまり好きではない言葉を敢えて使えば)男性原理と名付けてもよいだろう。歩みの果てに、日本はじきに破局を迎えるのだが、それをも乗り越えて再び「経済大国」を現出させたのもまた、同じ力。そのうち一回りして新たな廃墟を迎えるかも知れないが、歩みそのものを止めることはできそうにない。
というような理屈は、小説家谷崎潤一郞の好むところではなかったようだ。ただ、日本文化のニュアンスに富む「陰影」をこよなく愛する彼は、関東大震災(大正12年)からの復興以後、いよいよ殺風景の度合いを増す、と彼には思えた生まれ故郷の東京を去り、関西に居を構える。その感覚を、生粋の関西人である女性のものとしてここで提出したわけだが、時代と環境の変化につれて、このような感覚自体もまた、様々な陰影を帯びざるを得ない。それを詳細に描いていくのが「細雪」の眼目である。
四姉妹の長女鶴子には、東京か関西かについて選択の余地はない。この時代、「単身赴任」なんてものは、夫が戦地に行くときぐらいだったろう。この人は妹たちと違って旅行ででも東京の地を踏んだことはなかったのに、妻として母親として、渋谷の道玄坂の、手狭な安普請の家で奮闘することになる。
「(前略)東京と云ふとこは、女がめいめい個性を貴んで、流行云ふもんに囚はれんと、何でも自分に似合ふもんを着ると云ふ風やさかい、さう云ふ点は大阪よりもええ」(上巻二十六)などと言って。
因みに、「個性」といういかにも戦後的な言葉が出てくるのは、ここと、「(蒔岡家の姉妹は)似てゐるやうでそれぞれ個性がはつきりしてをられ」(下巻二十七)ると言われるところだけ。つまり、いい意味で使われてはいるが、ヒロインたちのうち、特に幸子と雪子は、そんなものを重んじる気はさらさらない。
雪子は「あのざはざはした、埃つぽい、白ツちやけた東京と云ふ所は何と云ふ厭な都会であらう。東京と此方(こっち、関西のこと)とでは風の肌触りからして違ふと」(中巻二十)口癖のように言い、この点では完全にすぐ上の姉と一致している。
彼女たちは帝都・東京や、「個性(尊重)」というような言葉に現される近代的なものに、感性のレベルで抗っている。そうしたいと思ってやるというよりは、そうならざるを得ない存在なのだ。
家族制度や、女は結婚するのが当り前、それも、姉妹があるなら年齢順に、というような因習を、貴重だと思っているわけではないけれど、さればとて理をたてて正面からぶつかることはしない。そういうのは観念的で野暮な、男という動物のやることだ。だから雪子は、苦痛を堪えながら、東京の本家に引き取られて過ごす。
女性は論理的ではない、理屈がわからない、などというわけではない。
利用出来るうちは先途(せんど)利用しといて、もう利用価値ないやうになつた云ふて、低能の坊々(ぼんぼん)に好え口があるやたら、一人で満洲へ行つてしまへやたら、ようそんなことが云へたもんや思ふわ。(下巻二十六)
雪子が末娘妙子の男関係の不行跡を詰る時の、最後のとどめの言葉だが、ここでの彼女は、作中のどの男よりも理も弁も立っていて、容赦がない。論理的にも倫理的にも、まことにちゃんとした人である。因みに彼女は、二人の義兄をも、こんなふうにやっつけたことがあったらしい。楚々とした美女にやられたのでは、男としてはキツイでしょうなあ。
ところが、これだけのことを言っても、この姉妹は決裂せず、次の日からも同じように、普通に、仲良く口を利く。行蔵の善し悪しは一つのこと、それよりはもっと身についた文化感覚、としか言いようのないもので、彼女たちは深く結びついている。
この雪子さん、「ほんたうの昔の箱入娘、荒い風にも当らないで育つたと云ふ感じの、弱々しいが楚々とした美しさを持つた顔」(上巻九)と言われている。姪しかいない時には、兎の耳を足の指で捕まえるというようなお茶目もやるが、それも今風に言えばギャップ萌になるような人なのだろう。一方、幸子からは、「雪子ちやんは黙つてて何でも自分の思ふこと徹さな措かん人やわ」「見てて御覧、今に旦那さん持つたかて、きつと自分の云ふなりにしてしまふよつてに」(上巻二十九)とも。
家族以外の、特に男には、自分の感情や考えをできるだけ表に出さず、全く煮え切らないので、見合いに失敗もするが、たぶん、本当に嫌だと思ったらテコでも動かないだろう。でも、それほど嫌でもないなら、姉や義兄たちの言う通りに結婚もしましょう。そういう嗜みが身についている、という意味でまことに反近代的な女性なのである。
対して末娘の妙子は、性的魅力に富み、初期の谷崎が好んだ妖婦に最も近い。どうしても東京の本家に入ろうとせず(東京よりは、家長の辰雄が嫌いなのだが)、ために義絶されてしまう。「自分の結婚相手は自分で決める」という、現代では当り前の理念を持っていたかどうかまでは定かではないが、多くの男性遍歴を経て、姉妹中一番酷い目にあう。
だったら雪子のほうが幸せなのかと言えば、必ずしもそうではない。結婚が決まってもなんとなく気が塞ぎ、前述のように下痢に悩まされる、というところでこの大長編は終わる。
結婚相手は華族(旧公家)に連なる名家の出あり、大阪に住むことになるから、嫌いな東京を離れることはできる。しかし彼女が最も落ちつける場はそこにはない。姉妹の仲にこそあるのだ。そのたおやかな女性文化の場から、決定的に永遠に引き離されることからくる不安が体調不良になって現われているようだ。
それでも、結婚生活が始まれば、世間に向ってもはきはきした口を利く賢夫人になり、幸子の言うように、夫をもうまく操縦するかも知れない。
こういう強さはすごい。男が理屈をつけて宣揚する文化や文明は、それが壊れるべき理屈もきっと見つかるという意味で、脆い。女性の感覚の中に根ざした生活様式は、社会情勢に応じて表面的には変わっても、基底は根強く残り、容易に滅びない。和服美人を街中で見かける機会はめっきり減っても、決して消失したわけではないように。
私も、谷崎同様、このような女性性には、深い畏敬の念を持たざるを得ない。
倚松庵
今年この大長編を読み返してみて、今更ながらな特異な作品だなあ、と感じ入りました。
作中の年代は昭和11年11月から16年11月までの五年間。15(1940)年9月には日独伊三国同盟が締結され、日本はいよいよ破局へのポイント・オブ・ノーリターンを越えたのだが、内地の一般国民レベルでは、まだ戦火を直接自分たちの身に及ぶものとはさほど感じていない時期に当たる。
昭和20年の神戸大空襲の折には、谷崎がいた魚崎も大規模な空襲を受け、潤一郞・松子夫妻も命からがら防空壕に逃げ込んでいる。この時点で作品は中巻まで完成していた。
その直後の敗戦によって、日本の気高いもの・美しいものは滅び去ったのだ、と坂口安吾の「堕落論」にある。共感する人はけっこう多い。安吾は、滅びちゃったものはしょうがない、生きるために堕落するのが正しい、と言う。それにつけても、滅び去った後から回想で眺めれば、気高く美しいものはより輝いて見える。これを文字なり劇なりで定着するのは、悲劇として過去を再構成することであって、古今東西の文学の王道の一つだろう。
「細雪」もそうで、失われつつあるものとしての、上方の、上流だか中の上の社会の、華麗にして繊細な女性文化を活写している。それは間違いないのだが、今回の再読では、もっと重い部分が印象に残った。それはつまり、作品の根底にある近代文明批判である。
一つには、ヒロインである蒔岡四姉妹、と言っても長女鶴子はほとんど登場しないので、次女以下三人の描き方が、女性崇拝者・谷崎潤一郞にしては、他にちょっと例がないぐらい生々しい。「こいさん(末娘)」の悦子は下巻で赤痢になって、その病状が詳細に、具体的に叙述されている。三女・雪子は、外見はお人形のように綺麗な、「本当にトイレへ行くの?」と思えるほどの女性だと思うが、彼女が下痢に苦しむところが小説のラストに置かれる。次女の幸子は妊娠中に、妹の見合いの席に出て、粗相しないかと気にかけたりして、挙句にやがて流産してしまう。
どうやら谷崎は、生理の段階まで女性と一体化して、その視点を我が物にしようとしていたようだ。それがどの程度に成功しているかどうか、男性である私には判定できないわけだが、そうしようとする意欲がどこから来るか、ある程度理解出来たように思う。
中心プロットは、作品世界そのものである蒔岡家の崩壊過程であることも見やすい。小説が始まった時点で、それはもう壊れかけている。
つまり、船場の老舗大問屋であるこの家は、四姉妹の父の放蕩のおかげで、店を手放している。長女鶴子の婿・辰雄は銀行員だが、蒔岡家の「当主」ではあり、当時の家父長制の慣習上、姉妹全員を指導監督する権限と責任がある。
とはいえ、家付き娘の姉妹から見たら、辰雄は他所から入って来た新参者であり、幸子を初めとした義妹たちは結託して彼をいじめていたことは何度か言われている。「小姑鬼千匹」なる言葉は、大家族が減って以来聞かれなくなったが、このへん、身につまされて女は怖い……、なんて個人的な思いはさておき、この時点で、「家」の秩序は実質的にはもう失われている。もっとも、似たような事情の大分限家は、江戸時代からあったろうが。
次女の幸子もサラリーマンの婿をとって「分家」として芦屋で暮らし、その下の三女雪子、四女妙子は、大阪の「本家」と「分家」を行き来している。これが決定的に分断されるのは、出世を願った辰雄が東京へ「栄転」を決めてからだ。
すると本来「本家」の保護監督の元におかれるべき未婚の娘たちは、東京へついてくるのが当然、ということになる。これが作中最大の問題になる。生まれた時からずっと上方で過ごしてきた姉妹にとって、東京は「水に合わない」のだ。
しかし正直なことを云ふと、彼女(引用者註・幸子)はそんなに東京が好きなのではなかつた。瑞雲棚引(ずいうんたなび)く千代田城のめでたさは申すも畏(かしこ)いこととして、東京の魅力は何処にあるかと云へば、そのお城の松を中心にした丸の内一帯、江戸時代の築城の規模がそのまま壮麗なビル街を前景の裡に抱へ込んでゐる雄大な眺め、見附やお濠端の翠色、等々に尽きる。寔(まこと)に、こればかりは京都にも大阪にもないもので、幾度見ても飽きないけれども、外にはそんなに惹き着けられるものはないと云つてよい。銀座から日本橋界隈の街通りは、立派と云えば立派だけれども、何か空気がカサカサ乾枯(ひから)びてゐるやうで、彼女などには住みよい土地とは思へなかつた。分けても彼女は東京の場末の街の殺風景なのが嫌いであつたが、今日も青山の通りを渋谷の方へ進んで行くに従ひ、夏の夕暮であるにも拘らず、何となく寒々としたものが感じられ、遠い遠い見知らぬ国へ来てしまつたやうな心地がした。(中巻十四)
江戸が東京になるにつれて見せつけるようになった壮麗さと雄大さ、その反面の殺風景な寒々しさは、正に近代日本の歩みそのものの表象であろう。これを力強く推し進めてきたものは、(実はあまり好きではない言葉を敢えて使えば)男性原理と名付けてもよいだろう。歩みの果てに、日本はじきに破局を迎えるのだが、それをも乗り越えて再び「経済大国」を現出させたのもまた、同じ力。そのうち一回りして新たな廃墟を迎えるかも知れないが、歩みそのものを止めることはできそうにない。
というような理屈は、小説家谷崎潤一郞の好むところではなかったようだ。ただ、日本文化のニュアンスに富む「陰影」をこよなく愛する彼は、関東大震災(大正12年)からの復興以後、いよいよ殺風景の度合いを増す、と彼には思えた生まれ故郷の東京を去り、関西に居を構える。その感覚を、生粋の関西人である女性のものとしてここで提出したわけだが、時代と環境の変化につれて、このような感覚自体もまた、様々な陰影を帯びざるを得ない。それを詳細に描いていくのが「細雪」の眼目である。
四姉妹の長女鶴子には、東京か関西かについて選択の余地はない。この時代、「単身赴任」なんてものは、夫が戦地に行くときぐらいだったろう。この人は妹たちと違って旅行ででも東京の地を踏んだことはなかったのに、妻として母親として、渋谷の道玄坂の、手狭な安普請の家で奮闘することになる。
「(前略)東京と云ふとこは、女がめいめい個性を貴んで、流行云ふもんに囚はれんと、何でも自分に似合ふもんを着ると云ふ風やさかい、さう云ふ点は大阪よりもええ」(上巻二十六)などと言って。
因みに、「個性」といういかにも戦後的な言葉が出てくるのは、ここと、「(蒔岡家の姉妹は)似てゐるやうでそれぞれ個性がはつきりしてをられ」(下巻二十七)ると言われるところだけ。つまり、いい意味で使われてはいるが、ヒロインたちのうち、特に幸子と雪子は、そんなものを重んじる気はさらさらない。
雪子は「あのざはざはした、埃つぽい、白ツちやけた東京と云ふ所は何と云ふ厭な都会であらう。東京と此方(こっち、関西のこと)とでは風の肌触りからして違ふと」(中巻二十)口癖のように言い、この点では完全にすぐ上の姉と一致している。
彼女たちは帝都・東京や、「個性(尊重)」というような言葉に現される近代的なものに、感性のレベルで抗っている。そうしたいと思ってやるというよりは、そうならざるを得ない存在なのだ。
家族制度や、女は結婚するのが当り前、それも、姉妹があるなら年齢順に、というような因習を、貴重だと思っているわけではないけれど、さればとて理をたてて正面からぶつかることはしない。そういうのは観念的で野暮な、男という動物のやることだ。だから雪子は、苦痛を堪えながら、東京の本家に引き取られて過ごす。
女性は論理的ではない、理屈がわからない、などというわけではない。
利用出来るうちは先途(せんど)利用しといて、もう利用価値ないやうになつた云ふて、低能の坊々(ぼんぼん)に好え口があるやたら、一人で満洲へ行つてしまへやたら、ようそんなことが云へたもんや思ふわ。(下巻二十六)
雪子が末娘妙子の男関係の不行跡を詰る時の、最後のとどめの言葉だが、ここでの彼女は、作中のどの男よりも理も弁も立っていて、容赦がない。論理的にも倫理的にも、まことにちゃんとした人である。因みに彼女は、二人の義兄をも、こんなふうにやっつけたことがあったらしい。楚々とした美女にやられたのでは、男としてはキツイでしょうなあ。
ところが、これだけのことを言っても、この姉妹は決裂せず、次の日からも同じように、普通に、仲良く口を利く。行蔵の善し悪しは一つのこと、それよりはもっと身についた文化感覚、としか言いようのないもので、彼女たちは深く結びついている。
この雪子さん、「ほんたうの昔の箱入娘、荒い風にも当らないで育つたと云ふ感じの、弱々しいが楚々とした美しさを持つた顔」(上巻九)と言われている。姪しかいない時には、兎の耳を足の指で捕まえるというようなお茶目もやるが、それも今風に言えばギャップ萌になるような人なのだろう。一方、幸子からは、「雪子ちやんは黙つてて何でも自分の思ふこと徹さな措かん人やわ」「見てて御覧、今に旦那さん持つたかて、きつと自分の云ふなりにしてしまふよつてに」(上巻二十九)とも。
家族以外の、特に男には、自分の感情や考えをできるだけ表に出さず、全く煮え切らないので、見合いに失敗もするが、たぶん、本当に嫌だと思ったらテコでも動かないだろう。でも、それほど嫌でもないなら、姉や義兄たちの言う通りに結婚もしましょう。そういう嗜みが身についている、という意味でまことに反近代的な女性なのである。
対して末娘の妙子は、性的魅力に富み、初期の谷崎が好んだ妖婦に最も近い。どうしても東京の本家に入ろうとせず(東京よりは、家長の辰雄が嫌いなのだが)、ために義絶されてしまう。「自分の結婚相手は自分で決める」という、現代では当り前の理念を持っていたかどうかまでは定かではないが、多くの男性遍歴を経て、姉妹中一番酷い目にあう。
だったら雪子のほうが幸せなのかと言えば、必ずしもそうではない。結婚が決まってもなんとなく気が塞ぎ、前述のように下痢に悩まされる、というところでこの大長編は終わる。
結婚相手は華族(旧公家)に連なる名家の出あり、大阪に住むことになるから、嫌いな東京を離れることはできる。しかし彼女が最も落ちつける場はそこにはない。姉妹の仲にこそあるのだ。そのたおやかな女性文化の場から、決定的に永遠に引き離されることからくる不安が体調不良になって現われているようだ。
それでも、結婚生活が始まれば、世間に向ってもはきはきした口を利く賢夫人になり、幸子の言うように、夫をもうまく操縦するかも知れない。
こういう強さはすごい。男が理屈をつけて宣揚する文化や文明は、それが壊れるべき理屈もきっと見つかるという意味で、脆い。女性の感覚の中に根ざした生活様式は、社会情勢に応じて表面的には変わっても、基底は根強く残り、容易に滅びない。和服美人を街中で見かける機会はめっきり減っても、決して消失したわけではないように。
私も、谷崎同様、このような女性性には、深い畏敬の念を持たざるを得ない。