メインテキスト:佐々木賢『学校を疑う 学校化社会と生徒たち』(三一書房昭和59年)
小浜逸郎『学校の現象学のために』(大和書房昭和60年)
さる三月に、私にとってかけがえのないお二人の訃報に相次いで接した。しばらく茫然としていたが、いつまでそうもしてもいられない。お二人の文業を振り返ることでいささかの手向けとして、明日からまた少しづつ歩んでいこう。
『学校を疑う』を読んだのは、教員になって1年目の年だった。何かの新聞記事でこの人が取り上げられているのをたまたま見て、気になって買ったら、それまでに接した凡百の教育論とはまるで違う、新鮮な感銘を受けた。
何しろ、「教育は悪だ」とする言説はなかったし、今もない。もちろんこれだけではいらぬ誤解を招くので、やや詳しい内容を後で紹介しなければならない。それにしても、「教育って、それほどいいものではないのではないか?」と思うだけでも、それまで隠されていた様々なことが見えてくるようだった。
その翌年、『学校の現象学のために』が出て、当時同僚だった夏木智が、「面白い本がある」と教えてくれた。
この本の前半は、従来の教育論は、「お子様教」とでも言うべき一種の宗教であって、教師や子どもの現実を少しも踏まえていない、むしろそれを切り捨てる働きをする妄説だと、実例を引きつつ痛烈に批判されていた。
これに力を得て、夏木と共著の形で書いた私家本『学校の幻想と現実』を、小浜さんを初め何人かに勝手に送りつけた。すると、信じられないことに、ある夜、大和書房の小川哲生氏から電話があり、出版する気はないか、と問われた。小浜さんからの紹介で、読んだのだそうだ。
小川氏は、いわゆる学者ではない、在野の書き手の本を多数手がけてきた編集者だった。小浜さん以外だと、渡辺京二氏を世に出すにあたっても多大な功績があった。そう言えば渡辺氏と小浜さんは、塾を経営して生計を立てていたという共通点がある。その他何人かいるうちの末席を汚したのが我々で、『学校の現実と幻想』に、いくつか新たに書いたものを加えて公刊していただいたのが『学校の現在』(平成元年)である。
また、この頃は、教育論で言うと、私には違和感の方が強かったが、埼玉教育塾(後に「プロ教師の会」)もメジャーになったし、仙台の高校教師にして歌人の佐藤通雅氏も、現場の実感を踏まえた新鮮な教育論を少し前から発表し始めていた。何かが新たに始まるのではないか、という予感に少しだけ酔ったものだった。
具体例として、佐々木さんと小浜さんの教育論を比較しながら述べてみる。
『学校を疑う』の「第一部 教育を疑う」には、「第一に、教育とは力関係である」、そして「第二に、教育とは復讐である」とある。
教育全般となると話は限りなく拡散するが、ごく普通の意味では、必ず上下関係のあるところで行われる。もちろん教えるほうが上で、程度と範囲の差こそあれ、下の者を従わせる。
当たり前である。しかし、これが、学校での教師と生徒の関係、家庭内の親と子の関係ほど完璧に行われる場合はない。何しろ、この場合の「下の者」は子どもであって、社会的には不完全な存在なので、これを完全にするには教育が必要不可欠だ、とされているのだから。
すべては「子どものため」なのだ。こうして、この支配は正当化され、支配とは、結局は、支配する側の都合によって行われるのだという実態も隠蔽される。
「子どものため」は嘘だ。最大限譲歩しても、口実の面が大きい。
だいたい、学校教育はなんのためにあるのか。なぜそこで、英語や数学を教えるのか。人間社会の文明を維持し、発展させるために必要不可欠だからだ。日本人全員が英語の読み書き話す能力を備えたり、高等数学を理解する必要なない。しかし、全員ができなくなったら困る。
誰が? 現在の社会人、つまり、いわゆる大人だ。少なくとも、そう思って、子どもを教育するのは大人に違いない。子どもにとってもそうであるのかどうかはわからない。と言うより、個々の子ども自身がどう思うは、最初から問題にされない。
この場合最悪なのは、支配そのものではない。上下関係は、人間社会の至るところに張り巡らされている。ごく親しい仲でも、親友や恋人・夫婦でさえも、場面に応じて、どちらかが主導権を握るものだ。中にはずいぶん理不尽な支配もあるが、かなりの部分、我慢するしかないのがこの世の常だろう。
問題なのは、支配の事実が隠蔽され、自覚さえされない、その深い欺瞞にある。これは一番徹底した人間性無視であり、深い心理的な傷を残す。この傷を負った人は、これまた無意識のうちに、代償を求める。代償は、成長した後、今度は下の者を従わせる、つまり、教育することで果たされる。「教育は復讐」とはこういうことであって、そのとき根本にある感情は、愛情よりは憎しみなのだ。そして、教育が続く限り、憎しみも代々続けられて、止むことはない。
以上のように述べると、いかにも極端だが、いくぶんかは真実だ、と思い当たる人は何人かいるだろう。この反教育論は、フロイトの抑圧理論「人は人間社会で生きるために、さまざまな欲望を無意識に押し込めねばならず、それ自体が文明を生むが、また神経症の原因にもなる」の、ある部分を拡大したものだと見なすことができるだろう。
佐々木さんが直接依拠しているのは、この時代一部ではけっこう有名になったイワン・イリッチやエヴァレット・ライマーの脱学校論、とりわけ、スイスの反教育論者にして反精神医学者でもあったアリス・ミラーの主著『魂の殺人』である。そこには、ヒトラーや幼児殺人者の幼年時の記録を精査して、彼らが「躾」によっていかに性格がねじ曲げられていったかを、説得力豊かに詳述されている。もちろん、彼らを育てた親も、その親から同じように躾けられて成長してきたのだ。
無論、そのうちの誰に訊いても、自分は子どもの健やかな成長をこそ願っていたのだし、少しは酷い目に合わせたとしても、それはやむを得ず、「子どものためを思って」したのだ、と言うだろう。それに嘘はないだろう、主観的には。元来、人格的な繋がりの場合には、意識の表面にあるものより、無意識の奥に秘められているもののほうがはるかに大きく伝わる。ミラーはこれを「闇教育」と呼んでいる。
以上は家庭内の教育の話。学校教育には、上の他にもう少し見ておくべき要素がある。これを佐々木さんはあまり詳述していないので、以下は私の付け加え。
家庭ではどうしても十分に与えられないもの、それは集団行動の訓練である。そう言うと多くの人が、運動会・体育祭の時の一斉行進や器械体操などのマスゲームを思い浮かべるだろう。学校は軍隊に似ている。これはすでに多くの人に指摘されている。しかし、こういうのは学校教育の中でごく小さな部分に過ぎない。
大きいのは、他でもない、子どもが、決まった時刻に決まった場所に行き、一斉の指示に従って一定時間同じことをするという、最も基本的な行動様式にこそある。工場労働者など、近代の勤め人には不可欠のエートスであり、これを体に沁み込ませるのが、めったに意識されることのない、学校の役割なのだ。近代化のためには学校制度が不可欠である理由は第一にここにあり、それに比べたら伝達される知識や伝達方法など、二義的な意味しかない。
ミシェル・フーコーらによってヒドゥン・カリキュラム、即ち学校の闇教育、と呼ばれたこのような訓規よって、すべての子どもが不幸になる、とまでは言えない。ただ、ここでも、「子どものため」だと言って押し付けるのは社会=大人の側であって、個々の子どもの事情など考慮されていないのは明らかだろう。
文明の進歩によって、集団行動の必要性は減ったろうか。「個性化」なんぞという言葉を使って、そう言われることも多い。現代日本の主流である第三次産業、つまりサービス業では、皆で一斉に何かに取り組むスタイルの仕事は、もはや主流とは言えないようではある。
とは言え、そのままで交換価値がある、つまり金になる個性などめったにあるものではなく、人は集団の一因として、与えられた役割を果たすことによって生産に携わる。この事情には根本的に変化はない。だから学校の集団主義も、装いは変わったとしても、相変わらず健在である。
変わったのは、消費者としての意識の方だ。
昭和の末、1980年代と言えば、校内暴力の全盛期だった。昭和57年には千葉県流山中央高校が荒れた挙げ句に校長が自殺、58年には東京都町田市忠生中で、原爆症を生徒からからかわれていた教師がナイフで生徒に怪我をさせた事件が発生している。
その言わば前段階として、1970年代からずっと、学校関係では、いわゆる管理教育が話題になっていた。多くの中学・高校が、服装を中心に、厳しすぎる規則(校則)で生徒を縛りつけている、というものだった。髪の毛やスカート丈は長からず短からず、化粧や装飾品は原則禁止、髪色や髪型でおしゃれするのもダメ、という具合。
私が中高生だった昭和40年代にも、服装・頭髪の規定はあったのかも知れないが、検査など一度もされたこともなく、意識したことさえなかった。それが58年から高校教師になったら、一月に一度、検査日があって、体育館に生徒を集めてチェックするので、最初の頃とても戸惑ったものだ。
これはどういうことか、いろいろな面があるのだが、以下は重要であろう。①昭和50年代に高校進学率が九割を超え、十代の子が学校へ行くのが当たり前になった②いわゆるバブル期を迎え、多くの国民が豊かさを実感するようになった、この二つの時代風潮の中で、旧来の、質素・清潔を基調とする学生像を守ろうとする試み。
換言すると、ものの有り余る時代に育った若者たちの「自分を飾りたい」「青春を楽しく過ごしたい」欲求が文字通り目に見えて突出してきたから、学校はそれを抑える役割を担ったのである。
そんなことが必要だと思い込んでいるのは、頭の硬い教師だけだ、と言う人が多いが、それはとんだ買いかぶりというものだ。教師とは、世間の大多数の意向に逆らってまで何かができるような、強力な存在ではない。世間一般がどういう若者を求めているか、リクルート・ファッションを思い浮かべればわかるはずだ。若者のほうでも、大部分は、このコードに従うことが大人になることだと心得ていて、子どもである学生のうちは、気ままも許されるはずだと思って、小さな逸脱を試みるまでだ。
それでも、大人の側が子どもをあからさまに押さえつける場面ではあるのだから、闇教育が表に出てきたと感じられるかも知れない。もっとも、闇教育は、無意識の闇のうちに働くからこそ強力なのであって、表に出てきたらそれだけで威力は半減するのだが。
そんなことにはおかまいなく、一時代前の学生運動時によく言われた「反権力闘争」の用語の応用で、この事態を語ろうとする論者が出てきた。大学紛争は昭和45年(1970)には終息していた。そこで中学高校に眼を転じると、権力が民を非道に圧迫する構図が見える、と思ったらしい。これに、子どもは元来純粋な、罪無き存在だ、という旧来からの感傷的な観念が野合する。
簡単にそうなってしまう。なぜかと言うと、教育に関する言論の大部分が、教える側や教えられる側の現実を度外視してなされることが常態だからだ。これは少し離れたところから見たら非常に奇妙で、『学校の現象学のために』は、まずその指摘から始めている。
(前略)ごくふつうに考えて、ごくふつうの教師が子どもに対する悪意をもった権力者などであるはずはない。自分の与えられた職務をともかくひととおりこなそうと努力しているあたりまえの人間であるはずだ。その与えられた職務とは、一定時間内に、かなり多数の、しかも大部分ができればそんなところにきゅうくつにすわっていたくないと思う子どもたちを相手に、ある学習内容をわからせようとする、ということである。
全くその通りだし、教壇に立ったことがない人であっても、かつての学校時代を振り返れば、「まあ、そんなもんだな」と納得するのではないだろうか。
では、「できればそんなところにきゅうくつにすわっていたくないと思」っている大部分の生徒にとって学校とは結局何なのか。
それは全体的にいって、たいして魅力もない日常性に貫かれており、時にはわかることのおもしろさも与えてはくれるが、別の場面では、自分の欲望どおりには事がはこばない外部世界の論理をよく体にしみこませてくれる場であった、という他ない。
これまた全くその通り、と言うしかない。
敢えて少し付け加えると、中学高校はとても楽しかった、と言う人は少なくないが、それは友達付き合いの部分であって、授業が楽しかった、という場合は稀である。学年が進むにつれて、授業内容は難しくなって、理解できない者がかなり生じるし、理解できる場合でも、抽象的な学習内容が何の役に立つというのか、その部分はやはり理解できない場合が多い、というよりは普通だろう。
ここをなんとかしようとする方策は様々に提案されたし、それを実践して成功した、という報告も多い。私としてもその努力に敬意を表するに吝かではないが、根本的な事情は変わらない。変えようがない。つまり、たいていの青少年にとって、授業とはどうしても退屈なものだ。と、言う小浜さんの言葉が、佐々木さんの「闇教育」の指摘より衝撃的だったのは、誰もが本当は知っていながら、いや、それだからこそ、公には決して言われない身も蓋もない本音を、あっさりと明らかにしたからだ。
すると、何が困るのか? 何を恐れて、実際を隠す、いや、眼を逸らそうとするのか? それは、学校の枢要な活動である授業に大した意味はないのだとすれば、学校の、学校へ子どもが通う意味の、根本が失われるように感じられるからだ。
では、学校の代わりになるもの、と言っても、容易に見つかるものではない。とりあえず、近代が発見・発明した「子ども」という存在をどこへ置いたらいいのか、学校以外には思いつかない、としたら、学校はすばらしいもの、ではなくても、すばらしいものであり得る、とするしかないではないか?
か弱き大人の一人として、この気持ちはわかる。それでいて、学校の根本的な矛盾・弱点を暴こうとすることを、佐々木さんや小浜さんの後に従う形で、私はやってきた。矛盾を糊塗しようとする試みが、実際の害毒を生む、それが、それこそ隠しようもなく明らかになってきた、と感じるからだ。
実のところ、小浜さんが批判している学校批判者の言説は、学校という制度そのものにとって、従ってその制度の設計者・運営者、即ち上位の権力者にとって、全く痛くも痒くもない。本来子どもはすばらしい・教育はすばらしい、の部分を少しも疑わないからだ。にもかかわらず、すばらしくない結果が出てくるのは、教育の実践者・教師が悪いとしか思いようがないではないか。かくて、教師は、右からも左からも、非難攻撃されることになった。
「教育の理想」はずいぶん昔から言われてきた。それでも、「理想は理想、その通りにはいかないのが現実だ」という大人の健全な常識が働いているなら、実害は大してなかった。理想が「当たり前」とされ、その通りにはできないのはお前たちが悪い、と非難されてはたまらない。
教師たちは、「自分たちは一所懸命にやってはいるんです」を示すために、寝る間も惜しんで仕事をするところに追い込まれ、その結果、教職はブラックな仕事の典型になり終えた。学校が崩壊するとしたら、ここから、具体的には、教師のなり手が足りなくなるところから生じる可能性が高い。既にその兆候は見えている。
「しかし、批判はごく平凡な普通の教師が努力してできる程度のものでないと意味がないと思う」と、佐々木さんは言っている。前述の小浜さんの言葉と同様、これも当たり前すぎるようなことだが、たぶんそれだけに、めったに聞かれず、新鮮な感じがするのは、思えば悲しいことだ。
付け加えておかねばならないが、小浜さんは、「美しい教育」の理念から、一方的に現実の教師を叱咤する言説や政策の不毛さをこそ、最も強く批判していた。同じように、教育の悪しき部分をのみ言い立てるのも、観念過剰で、非現実的である。『学校の現象学のために』でも、イワン・イリッチを、直接ではないが、彼を信奉していた信州大教授(当時)・山本哲司の言説を通じて、批判している。
因みに、最も抽象的な哲学の言辞をも取り入れながら、常に生活する人間の実感を踏まえて考察するところこそ、小浜さんの最大の長所で、それはこの後、論じる対象を様々に変えても、一貫していた。
それに第一、子どもを、教育の一方的な被害者とのみ見るのも、問題がある。子どもを完全に無力な存在と規定するのが、他ならぬ闇教育の第一歩だったのだ。子どももまた、学校がなかったら、他に行く場所は容易に見つからないのだから、やはり学校へは来る。そこを、したたかに、と言えば褒め過ぎになるが、なんとかやり過ごすだけの生命力はあるのだ。
アリス・ミラーなどと同様に、佐々木さんにも、これをつい軽視する弱点は認められる。しかしそれは、言説者としての話である。佐々木さんは定時制高校教師を長年務め、そこで多くの生徒と接し、「教育」の構えをなるべく減らすように努力してきたことは、後の『学校非行』などの著書に詳しい。
どんな場所でも、どんな制度下でも、人が生きている以上必ず、制度にからめとられない領域はある。それこそが人間的な価値であり、希望であろう。
それにつけても、無茶な「教育の理想」を押し付けて、教師を縛ろうとする試みは、そろそろやめるべきだ。これを聞いていると、非常に教育的であって、かつて学校に対して抱いたルサンチマンをぶつける、それこそ復讐そのものであるようだ。教師に対する不信感に基づくので、教師を無力化し、卑屈にし、陰険にする。それ以外の効果は一切ない。そんなものをなくすことこそ、現在最も必要な教育改革だと思うのだが、いかがだろうか。