Mirror Mirror, 2012, directed by Tarsem Dhandwar Singh
9 大きな鏡
が中にあるその部屋には、誰も入ってはいけない、とお城では言われていました。
ある日王様は、お姫様に教えてやらねばなくなりました。娘がもう、子どもとは言えない年頃になったからです。
「その鏡は誰も見てはならんのだ」
「なぜ見てはいけないの?」
「その鏡は見た者に本当のことだけを告げる。本当のことなんて、誰も知りたくないものだ。いつも、とは言わんが、時には、本当のことほど恐ろしいものはない。わかったな」
そう言うと王様は足早によそに行きましたので、お姫様は口から出かかっていた言葉を出すことができませんでした。そこでお妃様の部屋へ行って、改めて出してみました。
「ねえ、お母様はあの、大きな鏡を、見たことがあるの?」
お妃様は苦い顔をして娘を迎えました。最近よく頭痛がするというので、ずっとその表情だったのです。お城の人々にとって、これはけっこう不便なことでした。お妃様がどんな時に、本当に機嫌をわるくするのか、わかりませんでしたので。
この時お妃様は、「見たわよ」と簡単に答えました。
「それじゃ、本当のことを知っているのね?」
「まあ、そうね」
「怖かった?」
「どうして怖いと思うんだね?」
お姫様は、さっき王様が言った言葉を繰り返しました。
「ああ、あの人たちにはそうなんだろうね。でもね、本当のことが怖いのは、それを告げられることじゃない。誰にも言われなくても、だんだんに、じわじわと、わかってしまうところなんだよ」
「それじゃ、私にもいつか、わかるのかしら?」
「まあ、そうだろうね」
「それじゃ、鏡を見てもいいはずよ。だって、いつかはわかるはずのことを言うだけなんでしょ?」
「いつかはいつかってことはけっこう難しくてね、誰にも確かには言えないんだよ。もしお前がどうしても本当のことが知りたいんだったら、あの部屋のドアのところまで行ってごらんな。いつもは鍵がかかっているけれど、入れるかも知れないよ。鏡が、今がその時だと考えたらね」
お姫様がまだ何か言おうとするのを、お妃様はうるさそうに手を振って止めました。
「さあ、もうお行き。私は、頭が痛くてたまらないのだから」
その夜、お姫様はその部屋の前に立ちました。自分が本当のことを知りたいのかどうか、よくわかりませんでしたが、やっぱり気になったからです。
ドアを押しました。ドアは古ぼけた軋む音と一緒に苦もなく開きました。しかたない。お姫様は中に入りました。
部屋の中は灯りも窓もなく、暗かったのですが、真ん中にぼんやりと光るものがあるのはわかりました。お姫様がそこへ近づくと、若い娘の姿が次第にはっきりと現れてきました。雪のように純白の肌で、血のような深紅の唇、エボニーのように漆黒の髪の。
「これは私よね」
と、お姫様はつぶやきました。それではやっぱり、鏡がそこにあるのでしょう。やがて、どこかで聞き覚えのある声が、どこからか聞こえてきました。
「来たんだね。じゃあ、今が、その時なんだ」
「待って。いきなり言われても困るわ。心の準備とか、あるし」
鏡は、少し笑ったようでした。
「王様に禁じられたことを気にしてるんだね。心配することはないんだよ。お前がここへ来ることなら、先刻御承知さ。だからわざわざ、『入るな』なんて言って、お前の気を向けたんじゃないか」
「でも、お父様は、本当に怖がっていたみたいよ」
「それだから、さ。本当のことが本当に怖いのは、本当は自分でもわかっているのに、わからないふりをしなくちゃいけないと思える時なんだよ」
わかっているのにわからないふりをするのはいけないことなのでしょうか? その答えがはっきりする前に、お姫様は言葉を出していました。
「いいわ。言って」
「お前は美しくなりすぎた。危険なほどに。とりわけ、このお城ではね。気づいているだろ? 王様はもう、お前とまともに目を合わせることもできないじゃないか。それで、冬の日に、白い肌と赤い唇と黒い髪を持つ娘を産むことを願ったお妃様も、後悔して、苦しんで、あんたが死ねばいいんじゃないかって思い始めてる」
「それが本当のことなの?」
「か、どうかは、あんたにはわかるだろうさ」
「それが本当だとして、私はどうしたらいいの?」
「ふむ、忠告は鏡の仕事のうちに入っていないんだけどね、せっかくだから、してあげよう。すぐにここから出ていくこと、それが今のあんたにできる一番いいことのようだね」
「でも、どこへ行けと? 私に行ける場所なんて、ないわ」
その時、たぶん鏡の中の、お姫様のすぐ後ろに、もう一つの女の姿が浮かび上がりました。
それはお妃様のようでした。
お妃様のようなものの像の口が動いて、鏡の声で言いました。
「大丈夫だよ。全部用意しといたからね。城の外にあんたを待っている者がいて、森であんたの世話をする者たちのところへ、案内してくれるよ」
「でも、お父様は? このことを知ったら、どう思うかしら?」
「あんたはお妃様に殺されたんだって思うだろうね」
「でも、この鏡が、本当のことを知らせるんじゃないの?」
「まだわからないのかね、知らなくちゃいけない本当のことなら、とっくに自分でわかっているものなんだよ。でも、人間は、自分にとって都合のいいほうを信じることもできるからね。王様は、鏡に訊くこともないだろう。訊いたとしても、それを信じないなら、同じことだしね」
「でも、お母様は? そのうち本当に私を殺したくならないかしら?」
「さあ? 予言も鏡の仕事じゃないんでね。『そのうち』の『本当』なんて、訊かれたって、わからないとしか言いようがないよ」
「でも、私は、やらなくちゃいけないの?」
「だから、やらなくちゃいけないのさ」
お姫様は、お妃様らしき者の像の目をじっと見つめました。いつもの怒ったような様子はなく、深い悲しみをたたえているようでした。すると、お姫様の心の中にも悲しみが。でもその底の方から、なぜか、勇気のようなものも湧いてきました。
お妃様らしきものの像は話し続けていました。お姫様そっくりの像の赤くて可愛らしい口も、それに合わせるかのように動きました。二つの像の口から、同時に同じ言葉が出たのです。
「さて、もう行こうか。この厄介な美しさを隠すために、顔に獣の皮か、鉢でもかぶるか、あるいは頭から灰をかぶるかしてね」
10 「鬼さんこちら、手の鳴るほうへ」
と呼ばれてそっちへ行っても、誰もいません。
暑い日差しといっしょに、蝉の声が空から降り注いでいました。その底に、他の子供たちの気配があります。
クスクス笑う声がします。
そっちを向く。
小さな声と息遣い。足音。
でたらめに動いたら、手に誰かがぶつかりました。
「痛い、なにすんだよっ」
と向こうは芯から怒ったように言いますので、よけないわけにはいきません。
捕まえるなんて、できません。
子どもは迷います。そういうときには決まってアマノジャクがやってきて、そっとささやきかけるのです。
「坊やは、ルールに従わなくちゃけないんだよ。お友だちと遊んでるんだから」
そうだ、ルールだ。僕はそれに則って、何かしなくちゃいけないんだ。
でも、それはなんだろう? 知っていたはずなのに。もう覚えていない。
子どもはぼんやりします。するとこんな声が聞こえてきます。
「なんだい」
「つまんない」
「白けるヤツ」
子どもは戸惑います。すると、またアマノジャクが、役に立たない忠告を与えてくれます。
「今知らなくちゃいけないのはね、ルールを決める権利も、変える権利も、坊やにはないってことだ。それは他のみんなのものなんだよ」
そうか。子供はできるだけゆっくり歩いてみました。よけたようです。どこかでふと曲がる。またよけた、んだろう。
いや。気が付くと、もう気配がなくなっている。地面からは、虫の声だけが湧き上がって。それだけ。
「ここにいない友だちを見つけるなんて、できないよ」
子どもは叫びました。こういう問いには答えはないことになっています。
でも、やがて子どもは、自分で答えを見つけたようでした。
ここにいない友だちとやるゲームはある。そうか、かくれんぼだな。いつのまにそうなったろう。それとも、最初からそうだったのだろうか。
「僕は、うまく見つけてもらうことができるかな?」
どちらにしても、頬に風を冷たく感じながら、待つしかないようです。ゲームを終える権利も、きっと彼らのものなのでしょうから。