由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

権力はどんな味がするか その2

2012年06月14日 | 倫理
メインテキスト:エーリッヒ・フロム 日高六郎訳『自由からの逃走』(原著の出版年は1941年 東京創元社昭和26年刊、昭和50年
サブテキスト:大江健三郎「セヴンティーン」(初出は昭和36年、『性的人間』新潮文庫昭和43年刊所収)

 今回は「正しい道はあるのか その3」や「近代という隘路 その4」で主に述べた「近代的自己像」につながる話がしたい。
 近代とは、それまでの身分秩序が崩れて、人間が自由になった時代である。人は、自らの意思と努力で何にでもなれる。デイヴィッド・リースマンの言う「内部指向型人間」とは、「自分は何であるべきか」の理想像を刷り込まれ、そうなるべく努力し、そうなった/そうなったと思い込む/そうなったと見せかける、人間のことだと思ってよい。
 それは近代人のあるべき姿と考えられてきたことにまちがいはない。しかし、問題は最初からあったのだろうと思う。
 これまた何度か繰り返したように、人間の価値は、人と人の間で実現されるしかない。他人にとって自分はなんであるか/何に見えるか、を気にかけないわけにはいかない、というか、それは「自己像」にとって不可欠な一部なのである。
 「伝統指向型」社会で、先祖代々受け継がれてきた役割を果たしているだけなら、具体的な他人の目を、そんなに意識せずにすんだろう。それが崩れて、「自分になる」責任は専一に自分にあるとすると、「他人の目」もそれだけ意識せざるを得なくなる。社会が複雑になり、価値観が多様化すれば、ますますこの事態は進むから、むしろ「自分が自分をどう思うか」なんてことこそ無駄であるように思いみなす、「他人指向型」が数多く出現する、というわけ。
 それというのも、人と人の間即ち共同態から離れた「純粋な自己」を考えることは、人間が自由である以上、できるのだが、それは往々にして厭わしい体験になるからだ。なるほど、私は、きっと「自由に」何かにはなれるのだろう。しかし実は、それこそ私が本来は何者でもない証拠ではないか。「私」は空虚であり、価値ある何かを、他人にとっても価値ある何かを成し遂げて初めて、「何者か」になる。
 そうは言っても、苦労して成し遂げた「何か」でさえも、いつかは失われてしまう。つまり、誰もがいずれは死んでしまい、そうなれば「何か」も自分にとっては無に帰す。「他人の目」もまた、究極の支えになりようがない。初めに「私」は空虚であり、終わりにも空虚である。それなら、その中間の「何者か」にもほとんど意味はないのではないか? 試しに言葉にしてみると、このような底なしの恐怖と無力感が出現したのが近代という時代なのである。
 すでに十七世紀に、ブレイズ・パスカルが、「無限の空間の永遠の沈黙」に直面したときの恐れを表明していた(「パンセ」)。人間の社会的な自由が増大して、「自分とは何か」という答えが出ようのない問いに、誰もがさらされ得るようになってから、この恐れは一般化した。
 恐怖から逃れるための方法として採用されたものの一つに、エーリッヒ・フロムは「権威主義」と名づけた。

(前略)近代人は伝統的権威から解放されて「個人」となったが、しかし同時に、かれは孤独な無力なものになり、自分自身や他人から引きはなされた、外圧的な目的の道具となったということ、さらにこの状態は、かれの自我を根底から危くし、かれを弱め、おびやかし、かれに新しい束縛へすすんで服従するようにするということである。(P.206)

 「価値ある何かを成し遂げて初めて、何者かになれる」を言い換えると、「価値ある何か」は自分の外にあり、自分とはそれを成し遂げるための道具だ、ということになる。他人についてもまた、同じことが言える。「価値ある何か」を見出し、そのための道具となることこそ正しいと考える人間が、他人を道具にしてはいけないと考えるだろうか? かくして、ある価値のために多くのものを犠牲にして顧みずに邁進し、他人にもまるで当然のように犠牲を要求する人間が出現し、それは非常に強烈な印象を後まで残すことになる。
 このような「権威主義的性格」の代表として、フロムは、同時代ではアドルフ・ヒトラーを、近代初頭ではマルティン・ルターを挙げている。度はずれて厳格な父親に育てられたルターは、幼年期の彼を絶えず監視し、「もっとちゃんとしろ=今のお前はダメだ」と頭を押さえつけきた父性の権威を憎む一方で、権威の強力さに誰よりも憧れる人間であったろう、と。
 成長してからは、ローマン・カトリックの権威に対しては戦いを挑む(protest)が、そこから解放された人々を、ルターは「自由」なる真空の中に投げ出そうとはしなかった。そういうことをしたのはむしろイエスであって、そのために彼は人々から愛されるのと同じ程度に憎まれたのである。プロテスタンティズムは、教会ではなく、神の名において、カトリックより厳格な献身を求める。それがむしろ、以前より自由な時代にはふさわしかった。

 これ以上の論述は、フロムの要約より、まるで彼の論理を小説化したかのように見える大江健三郎「セヴンティーン」に即しながらしたほうがよいように思う。同趣旨の小説としてはジャン・ポール・サルトル「一指導者の幼年時代」(1938年作)があり、明らかに大江はこれを参考にしている。ただし、両作の帰結は、かなり違うものになっている。一言で言うと、サルトルの主人公はフロムの「権威主義」の段階にとどまるのに、大江のは、そこを踏み越えた新たな領域もあることを示している。
 また、大江の作品(特に、続編の「政治少年死す」)は、あからさまに実際の事件を題材にしているせいで、物議をかもしたが、何も主人公の右翼少年を貶めるまでの意図はないと思う。大江の政治的な立場は、主人公とは正反対と言ってよいにしても、彼は、そういう人物をも、最大限の「共感」をもって描き出している。前にも言ったように、文学だけにこんな芸当ができるのである。
 昭和三十五年、即ち60年安保の年。主人公は十七歳の誕生日を迎えた高校二年生で、家庭でも学校でも居場所がないように感じている。通っている学校は都内でも有数の進学校で、一年生の時はトップクラスに属していたのに、今では落ちこぼれてしまい、そうなるともう、彼にはどうしたらいいのかわからない。
 父親は私立学校の教頭で、アメリカ風(もちろん、当時の)の自由主義教育理念を誇っている。そこで、子どもたちにはいっさい干渉しない。「そんなものは無責任の信条だ。おれたちくらいの年齢の生徒は反抗したり不真面目だったりするけれど、自分の問題にしっかり肩をいれて考えてくれる教師をいちばん求めているのだ」と主人公は感じるが、他人となるべく関わらないことは、教育上の信条と言うより、独学で苦労して今の地位を手に入れた人間の護身術のようなものであって、このため、彼の家庭には会話があまりなく、冷たい雰囲気が漂っている。
 姉は、自衛隊の看護婦をしている。主人公の学校は、この頃の(たぶん今も)進学校の常として、教師も生徒も左翼かぶれで、その言説を空気のように呼吸しているから、TVを見ながら自衛隊の悪口を言ってみたりするのだが(しかし学校では、姉を意識して、自衛隊の弁護をしたこともある)、もとより身についたものではないから、姉と議論して簡単に言い負かされる。その挙げ句に腹を立てて姉に暴力を揮い、家族からの冷たい視線を浴びて、自分の部屋として一部改造した庭の物置に逃れる。
 そこには、物置でたまたま見つけた「来国雅」という銘のある三十センチほどの脇差しがあり、それを振り回しつつ、「いつかおれは敵をこの日本刀で刺殺するぞ」などと考えるのだが、そんなことは現実にはできっこないことは、彼自身が一番よく知っている。
なぜなら、おれの頭のなかに豚の白子のような弱い脳があり、自意識があるからだ。おれは自分を意識する、そして次の瞬間、世界じゅうのあらゆる他人から意地悪な眼でじろじろ見つめられているように感じ、体の動きがぎごちなくなり、体のあらゆる部分が蜂起して勝手なことをやりはじめたように感じる。恥ずかしくて死にたくなる、おれという肉体プラス精神がこの世にあるというだけで恥ずかしくて死にたくなるのだ。(下線部原文は傍点。以下同じ)」
 と言いながら、彼が最も恐れているのは死である。今すぐ死ぬというわけではないが、いつか確実にやってくる死。自分の意識がなくなった後続く無限の時間を思うと、恐怖で気絶しそうになる。「ああ、おれはどうすればこの恐怖から逃れられるのだろう、とおれは考えた。おれが死んだあとも、おれは滅びず、大きな樹木の一分枝が枯れたというだけで、おれをふくむ大きな樹木はいつまでも存在しつづけるのだったらいいのだ、とおれは不意に気づいた。それならおれは死の恐怖を感じなくていいのだ。しかしおれは、この世界で独りぼっちだった」。
 自分自身の無意味さからも、死の恐怖からも一瞬だけ逃れる唯一の手段は、オナニーだった。この夜は二度する。それですっかり消耗したので、次の日学校で、体力テストの持久走の最中、走りながら失禁するという醜態を全校生徒の前で演じる。
 このように、「セヴンティーン」の前半部分は、大江一流の手法で、主人公の惨めさを徹底して描き出している。食うに困っているというわけではなく、親の金でともかく高校へ通っている者の惨めさなのだから、それは自由な人間の「実存」に貼り付いたものだ。そのようなものはとんと感じない、言ってみれば、豊かな人間の贅沢品みたいなもんじゃないか、という人には、この小説も、『自由からの逃走』も縁がない。
 そちらのほうが幸せに違いないが、なんら現実的な理由はなく、従って解決しようがない恐怖に脅える人間は、現代でも確実に存在している。そしてこの恐怖はそのまま、新しい世界に飛び込むためのスプリングボードになり得る。連合赤軍も、オウム真理教も、全部とは言わないまでも、かなりの部分、ここを経由した者達の手で支えられたのだ。「セヴンティーン」の後半は、そのへんの事情を語っている。
 主人公の醜態を、体育教師への反抗だと勘違いした変わり者の同級生から、「右翼のサクラ」にならないかと誘われる。ほんの少しだけつながりのある《右》が、新橋の駅前で毎日演説している、それをいっしょに、聞いているような顔をしていればいい、と言われて、彼は出かける。それというのも、誤解であっても、ほんの少しでも、他人に認められたようなのが嬉しかったからだ。
 駅前広場で彼が見たのは、初老のライオンのような右翼の党首が怒号し続ける姿だった。何よりも驚かされたのは、もちろん演説の中身などではない、その孤独だ。明らかに、誰も聞いていない。通行人はほとんどが無関心、制服や背広を着て彼の周りにいる党員たちも、どうやら競馬情報板のほうに気を取られている。サクラである以上は、拍手や声援を送るべきだったろうが、きっかけがつかめない。
 黙って後のほうに座っている彼には、やがて不思議な安堵感が訪れ、さらにそこへ、党首の怒号が流れ込んでくる。「自分の弱い生命をまもるためにあいつらを殺しつくそう、それが正義だ」。主人公は立ち上がって、熱狂的に拍手し喚声をあげる。それを見た三人組の女事務員が、「あいつ、《右》よ、若いくせに」と呟くのを聞いて、彼は彼女らに詰め寄る。
おれは娘たちと、その周囲の男たちのまえに立って、それらすべての者らに敵意と憎悪をこめた眼をむけ黙ったままでいた。かれらすべてがおれを見つめていた、おれは《右》だ! おれは他人どもに見つめられながらどぎまぎもせず赤面もしない新しい自分を感じた。(中略)おれはいま自分が堅固な鎧のなかに弱くて卑小な自分をつつみこみ永久に他人どもの眼から遮断したのを感じた。《右》の鎧だ!」
 後に左翼政党の党首を刺殺することになる右翼少年は、かくして誕生した。

 フロムは、上に述べたような傾向を「マゾヒズム的」と呼ぶ。それこそが「権威主義」がこの世にところを得るための不可欠な前提なのだ。

マゾヒズム的努力のさまざまな形は、けっきょく一つのことをねらっている。個人的自己からのがれること自分自身を失うこと、いいかえれば、自由の重荷からのがれることである。(つけたせば他人が優越した力をもっていると考えることも、つねに相対的に理解されなければならない。それは他の人物のじっさいの力によることもあるし、また自己の完全な無主義性、無力感を信ずることによるばあいもある。後者のばあいには一匹の鼠でも、一枚の木の葉でも、おそるべきものと考えられる)。(P.170)

 サルトルが取り上げた反ユダヤ主義や、大江が描いた国粋主義が、ネズミや木の葉のようなものだと言いたいのではない。どちらにしろ、主義の中身は、根本的に問題ではなかった。それは「何者でもない」自分から逃れるために選ばれた方便なのだ。
 ただし大江は、より深い動機を探り当てている。「セヴンティーン」の少年は、何よりも《右》の孤立感と、そこからくる世間一般に向けられた憎悪に共鳴したのである。彼がかつて家族にも級友たちにも漠然と抱いていた敵意は、空回りするだけの、全くどうしようもない代物だった。《右》は、それに形を与えた。一見不思議なようだが、周囲から嫌われるような立場に積極的に身を置くと、他人から向けられる軽蔑の視線が、もはや恐くなくなる。今や、それには理由があるから。おれは確かに、世間から疎んじられるような人間だ、それがどうした? と、見返す眼差しを、少年は手に入れたのだ。
 
 こういう場合でも、安心していっしょに過ごせる仲間が少しはいることは重要であろう。本当にたった一人なのでは、「立場」もない。多かれ少なかれ、同じような「敵意」を抱く者同士が集まる共同体は、大小合わせたら数え切れないほどあったし、今もある。もっとも、組織であればすべて、例えばライバル企業などへの対抗心などは共有されているのが普通ではあるが、他には行き場がないと思う者同士の連帯感は、自然に強力になる。
 その中でも特に強いマイナスのエネルギーを発散している者は、連帯の核になれるから、少年が右翼の党首に惹きつけられたように、何人かの人間を惹きつけ、組織の指導者になることもある。「一指導者の幼年時代」は、主人公がこの道を歩み始めたところで終わっている。
 幸いなことに、悲惨な社会状況でもなければ、このタイプの権力者が一国を動かすまでのことはない。しかし、では、一国の置かれた状況が、他国への憎悪を多くの人に持たせるようなものであったとしたら? かくしてドイツは、ナチス党の覇権を見たのだ、とフロムは概ね論じている。
 とはいえもちろん、どういう社会でも、マイナスのエネルギーをコントロールすることは非常に難しい。ナチス党も完全にドイツを支配するまでには、流血を伴う激しい軋轢を経なければならなかった。敵は外部だけではなく、内部にもいた。ヒトラーが権力を保つために、突撃隊隊長エルンスト・レームを初めとする、数多くの党員が粛正された。憎悪が内部の結束や比較的小さなご褒美だけでは宥められず、より先鋭化して過激なものになると、今度は組織の安定を損なう最もやっかいな要素になるのである。
 「セヴンティーン」の少年が歩んだのは、こちらの道に近かった。ただし、内ゲバに向かったわけではない。彼は一人で、自分の中に、絶対の価値を見出した。それは「天皇」である。現実の天皇とはほとんどなんの関係もない、彼一人の、「幻の天皇」である。他の人間には、まず理解されず、また理解される必要もない。彼を見込んで居場所を与えてくれた、右翼政党の仲間たちさえ、例外ではない。
 党首から勧められた本のうち(この中には「マイン・カンプ」も入っている)、谷口雅春『天皇絶対論とその影響』中の一文が、彼の唯一の原則になる。「忠とは私心があってはならない」。
 そうだ、私心を捨てるのだ! もともと、捨てて惜しいような「私」があったわけではないから、「天皇」のためなら喜んで捨てられる。逆に見ると、「心」を完全に空っぽにすることができて初めて、「天皇」が絶対不動のものとして彼の中へ入り込んでくる。その時のエクスタシー。もう死も恐くない。彼が死んだ後も残る、不朽の「大きな樹木」が見つかったのだから。
 おそらく、初期のプロテスタンティズムの指導者たちが、真正な信仰の前提とした自己放棄はこれに似ている。しかし、「自分一人で、自分の神を見出す」段階にまで至ると、先ほどの、憎悪の先鋭化とはまた別の意味で危険であったろう。ただ、完全に一人になってしまうのだから、現実的な破壊力という意味の危険性は少ない。少年もまた、一人殺しただけである、ってもちろん、殺されるほうにしてみれば迷惑この上もないけれど。なんらかの政治的な理由で殺されたというより、「天皇」の純粋な赤子(せきし)として相応しい行動を求めた挙げ句、「天皇」に敵対すると思えた大勢の候補者の中から、たまたま選ばれたのだから、尚更だ。
 フロムの分析は、ここまでは及んでいない。自己嫌悪から、自己放棄に至り、外部の権威に依拠するところからさらに、権威と完全に同一化し、自己中心主義の極限にまで至るという逆説は、あまりにも特殊であり、文学的な題材だと思えたのかも知れない。
 しかし我々は、「バモイドオキ神」なる神を頭の中でこしらえて、それに捧げる儀式という形で、陰惨極まりない凶行に及んだ少年を、現実に知っている。
 主観世界の中へ、自分も、自分の手の届く範囲の他人も投げ込むことをためらわない心性は、最も純化された権力意思と呼ばれてよいかも知れない。さらに、それがあながち特殊とは言えない段階にまで、私たちの「自由」のニヒリズムは進行しているかも知れない。仮定を二つ並べただけで終わるが、「現在」について個人的に最も気になっていることを書いてみた。

【『自由からの逃走』について、訳者の日高六郎が等閑視している、細かい部分の註記しておきたい。それは、「第七章 自由とデモクラシー」中の以下の文に関することである。

こんにちでは、われわれは当然のこととして、自分は自分であると考えている。しかもなお自分自身についての懐疑は存在し、さらに増大しさえした。ピランデルロはその戯曲において、近代人のこの感情を表現した。彼は次の問いから始める。私はだれであろうかと。私の肉体的自我の持続のほかに、私自身の同一性を保証するものがあるであろうか。彼の答えはデカルトの解答―個人的自我の確証―とはことなり、その否定である。すなわち、私はなんの同一性ももたない。他人が私にそうあるように期待していることの反射にすぎないような自我以外に、自我などは存在しない。私は「あなたが私に望むままのもの」である。(P.280)

 最後の「あなたが私に望むままのもの」は原文As you desire meで、前に出ているイタリアの劇作家ルイジ・ピランデルロが1917年に発表した戯曲の題名を踏まえている。原題はCosì è (se vi pave)。英語の直訳だと、Right you are (if you think you are)が近いらしく、この題の英訳本も刊行されている。As you desire meは、この戯曲を原作にして1932年に製作されたハリウッド映画(グレタ・ガルポ主演、ジョージ・フィッツモリス監督)の題名で、これ以降今日まで、戯曲もこの題名で上演されることもあるようだ。因みに、日本語訳としては、たぶん、昭和三年(1928)の岩田豊雄(獅子文六)によるフランス語からの重訳しかなく、それは「御意にまかす」という題名になっている。As you desire meに似ているけれど、上の文中の書かれているような内容で、また、フィッツモリスも岩田も演劇畑に近く、シェイクスピアのAs you like it(お気に召すまま)が念頭に浮かびやすいとすれば、こういう訳になることはそれほど不思議ではない。】
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