由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

反知性主義的教育改革を駁す・夏木智氏との対話 その3

2016年07月29日 | 教育


3 教育で天才は生み出せない(夏木智) 
 まさにそこが問題だ。「ゆとり教育」という言葉が一人歩きして「ゆとり」が問題であるように誤解されているのだけれど、問題の本質は別のところにある。

 しかし、そのことを論じる前に、「教科内容の削減」の問題をはっきりさせておこう。数学が一番問題になっているし、わかりやすいだろう。数学は、由紀さんのいうように一本調子の削減とはいいにくい部分がある。しかし、スプートニクショック以降の「現代化」でひどく難しくなってからは、だいたいにおいて易しくなってきたことは間違いない。これには、やはり、高校の全入化が大きいのかもしれない。
 ただ、「ゆとり教育」を、イコール教科内容の削減のことだと機械的に解釈するのは、誤解を招きやすい。いうまでなく、教科内容の削減が常に悪いものだというのは明らかに間違っているよね。限られた時間の中で、どれだけのものを勉強したらいいかという量には、おのずから適正なものがある。日本の学習指導要領というものは、その適正な量の基準を全国的に定めておこうというもので、なかなかよい制度だと私は思っている。もちろん、あとに述べるように、定める側がおろかだと逆効果ではあるがね。

 学習指導要領に定められた「学ぶ量」は、数学の場合、削減傾向にあるといっても、実は、部分的に見れば増えたり減ったりしている。簡単にいえば、難しすぎたと感じられた時は次の改定で易しくするが、今度は易しすぎたということで難しくしてみたりという感じかな。
 で、これはあくまでも私の印象なんだが、実は、ゆとりが問題になる前のさっき話に出ていた平成元年の改定で実施された内容が、とても内容が薄いもので、「これじゃ易しすぎる、これじゃ学力が落ち過ぎ」という感じを多くの人が持っていたように思う。そういう意味で不満がたまっていたところへ、あろうことか「三割削減」などというものを打ち出したので、一挙に不満が爆発したのだと、思っているんだ。
 内容を削ったのが悪いのではなく、要するに適正と考える量からあまりにかけ離れてしまったという危機感が、子供達に近いサイドから噴出したものだと思う。彼らにしてみれば、文科省や中教審の委員たちがあまりに机上の空論をくり返しているように見えたのだね。危機感は正しかったのだが、それが「ゆとり」=「内容の削減」という単純な図式に結びついて議論されてしまったために、問題をこじらせてしまった。
 さっきもいった通り、「学校で教えてくれないなら、宿題を出せ、放課後や土曜日も勉強させろ」という声になって、これまで学校の時間だけで学べていたことを、膨大な時間をかけて学ばなくてはいけないという、おかしなシステムが出来上がってしまったわけだ。ありもしない受験地獄を嘆いていた連中が、自ら勉強地獄を造り出しているのだからおかしな話だといったら、ちょっと図式的すぎるかな。

 つまずきの石は、実は、ゆとり教育と呼ばれる前回の三割削減の指導要領ではなく、さらに一つ前の指導要領改訂(平成元年版)にある。そこで、由紀さんのいう「自ら学ぶ力」を、当時は「新学力観」という言葉を使っていたが、学力として想定することを、いわばこれまでの教育の一大転換として打ち出したんだ。
 この「新学力観」こそ迷走のはじまりだった。ちなみに、学力低下が叫ばれるようになったころの大学生や高校生はこの新学力観の頃に小中学校の教育を受けた世代であることに注意する必要がある。
 「新学力観」に基づく教育改革とは何か。それはこれまで学力と考えられていた、知識や技能ではなく、自ら進んで問題を解決しようとする関心や意欲や態度を「学力」とみなし、それを育てることを目標に教育しよう、というやり方だ。これは、実はあきれた、あきれただけならいいが、むしろ有害なやり方なのだが、そのことは、必ずしも理解されていないようだ。

 まず、こういう話から始めてみよう。大学の先生なんかがよくこういうことを言う。
「日本の学生は、言われたことはできるんだが、自分で考えることができない。留学生などの方が知識はなくても問題解決能力に優れている。もっと、問題解決能力を身につける教育が必要だ」
 これこそ新学力観を生んだ考え方だね。
 だが、これは、おろかな言説だと思うよ。というのは、まず、ここにいう意味での問題解決能力というものは、おそらく、問題の本質を見抜く洞察力、解決のためのアイディアを生み出す創造力といったものなのだろうが、私の考えでは、こうしたものは教育によっては生み出せないからだ。いや、厳密に言えば生み出せないわけではないのだが、そのことはあとで説明する。
 今は、仮に教育によって育てられるとしよう。まず私の言いたいことは、もし、そうだというなら、その大学教授は、高校までの教育に無い物ねだりの要求をするより、自分で教育したらいいじゃないか。あるいは、それができないと言うなら、問題解決能力のある学生を入学させたらいい。それをしないで、そういう生徒を作り上げて大学によこせというのはずいぶん身勝手な話だ。
 問題解決能力というものがどういうものかしらないが、有名大学がそれを要求するような大学入試を作りさえすれば、少なくとも高校では、すぐにでもそういう訓練を始めるだろうよ。正解を出すことを要求するような入試を続けておいて、「与えられた問題は解けるんだが」はないだろうと思うよ。そんなありさまで、権力をふりかざして新学力観などと悦にいっているから、結果として「与えられた問題さえ解けない子ども」を生み出してしまって、今度は学力低下を嘆いているわけだ。それこそ問題解決能力のないのは一体誰なんだといいたくなる。

 とはいえ、教育というより日本の風土が、「独創性」の芽を摘んでいることは、確かかも知れないとは思うよ。というのは、日本では人と同じであることこそ「美徳」であって、人と違うことは「悪徳」であると、親も学校も社会も信じていて、それを何とか子どもたちに教えようとするからね。その点、人と違うことを美徳でないにしても悪徳としない諸外国とは、感性が違うだろうね。人と違うことを言ってみようとか、やってみようとすることに、論理的以前に道徳的なブレーキがかかっている部分は確かにある。誰だって、変人と見られるのは嫌だものね。
 実は、こういう思考傾向を疑えずに、独創だの自主性だのを論じているのでたいへんおかしなことになっている。独創というのは、誰も考えないことを考え出す力だけれど、日本では、考えて欲しいことを人に言われずに考え出すことという意味にしかならない。自主性というのは自分の考えで行動することだけど、日本では「人に言われずとも行動して欲しいように行動すること」という意味にしか使われない。そういう範囲で独創性を育てようと言うのは、それこそ自己矛盾というものだ。そういう部分をきっちり見据えた上で、「独創性を育てる教育」を口にするのならそれはそれで価値のあることだと思うよ。そういう意味では、日本の教育界はがちがちの石頭ばっかりだと常々思っているんでね。

 
 まあいい。次に人々が望むような、新しい発見を生み出すような創造力や洞察力というものは教育によっては生み出せないという話をしよう。この話はちゃんと話すと相当に難しいのだが、要するに、そういうものは人に与えられた僥倖にすぎないからだと簡単に言っておこう。
 我々はたくさんの天才を知っているが、それらの天才を生み出す共通項が何かあるだろうか? 要するにそういう人々は、天賦の才に恵まれるか、さもなくば、金鉱を掘り当てるという幸運によって、天才と呼ばれているだけのことなのだ。運がいいから宝くじに当たったのではなく、宝くじに当たったから運のいい人と呼ばれているだけなのだ。
 そういう天才を生み出す教育があるなら、もうとっくの昔に全世界に普及しているだろう。そういうものがあるだろうと考えるのは、宝くじが当たる幸運の壺の話と大差ないと思うよ。むしろ、問題は天才がいてもその価値を見出せない頑迷で保守的な思考回路がこの国で支配的であることだろうと思う。まあ、この話は微妙だから今は深入りしない。
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反知性主義的教育改革を駁す・夏木智氏との対話 その2

2016年07月24日 | 教育


2 ゆとり教育の来歴(由紀草一)
 「ゆとり教育が学校からゆとりを奪った」構図は今言われたとおりだろうね。しかし、ここではもう少し細かく見ておくべきことがあるように思う。夏木さんには明らかなんだろうが、一般の人にはなかなか明らかにならず、現に議論されていることがある、という意味でね。そのためにも、話を進めて、ゆとり教育という方策がどのようなもので、なぜ、このような状況を生み出すことになったか」に踏み込んでおこう。

 ゆとり教育は、けっこう長い歴史を持っている。現行のものは、平成八年の中教審答申「二一世紀を展望した我が国の教育の在り方について」で導入が唱道され、平成十一年に改訂された学習指導要領に全面的に盛り込まれ、小中は平成十四年から、高校は平成十五年から実施された。
 しかし、小学校一、二年の理科・社会を廃止して生活科を置いたのは平成元年の指導要領改訂から(平成六年に小学校から高校まで完全実施)だし、これにともなって四年には第二土曜日が学校休業日となっている。さらにさかのぼって昭和五十二年の指導要領改訂から学習内容・授業時数の削減は始まっている(昭和五十七年完全実施)。我々が教員になる少し前から、ゆとり教育は少しずつ進行していたんだよ。
 実際、教員になってから使った英語の教科書は、私が高校生の時使ったのと比べて格段にやさしくなっていた。特に高一のがそうだった。構文の複雑さも、語彙数も、我々の中三時代に使った教科書のほうがずっと難しい。文法事項にしても、かつては中学ですべて一通り教わったのに、今は仮定法が高二で出てきて、そこまで完成しない。

 総合的学習の時間も、覚えているかしら、私が教員になったのは昭和五十八年で、次の年に夏木さんが同じ学校に新採教員として配属されてきたんだが、あの学校には週に一時間、「ゆとりの時間」または「学校裁量の時間」と呼ばれるものがあったじゃないか。これが元祖ね。当時は試行期間だから、すべての学校にあったわけじゃないけど、話に聞くと、小中では相当多くの学校がやらされたらしい。ある小学校の校長が、
「『これはゆとりの時間なんだから、子どもを自由に遊ばせておいて、先生方はお茶を飲んでいてもいいんだ』なんて教育委員会は言うんだが、冗談じゃない。先生達の目が離れたところで、子どもが怪我でもしたら、やっぱり学校の責任になってしまうんだから、とても子どもだけで遊ばせるなんてできない話だ」
と言っていたよ。当時は、少なくとも行政のほうは、のんびり構えていたとも言えるのかな。現場の困惑は今と変わらない。
 我々の「ゆとりの時間」でも、全校集会をやったり校庭の草取りをやったり学校行事でつぶしたりしたが、それでも残っちゃった時間をどうやって消化するのかに迷って、「ゆとりの時間のおかげでゆとりがなくなってしまう」とは、当時からささやかれていた。ただし、教育委員会への報告には、きっとそんなことは書かなかったろう。なんらかの成果があったと報告されて、やがてめでたく総合学習の時間全面導入となるわけだ。教育関係の「試行」では、決して本当のことは学べないといういい見本だね。

 さてそこで、このような「ゆとり」要求がどこから出てきたのか、ということだけど、文部省(当時)から、とは言えない。日教組も、マスコミも、「学校にゆとりを」という論調が主流だったのだから。その論調の主要なものは、結局「学校の勉強がたいへんで、子ども達が苦労しているから、なんとかしよう」というものだった。「落ちこぼれ」なる言葉が登場したのも、この頃だった。
 ところでどうだい? その頃から教員稼業を、どちらかと言えば勉強が得意じゃない子どもを集めた学校で始めた者の実感として、生徒達は本当に勉強ができなくて苦しんでいたかい? そりゃ、全然平気だったと言えば嘘になるけど、勉強は彼らの青春の悩みのうちで、一割以下の重さを占めていたにすぎないんじゃないか?
 これは今でも変わっていない。だいたい、勉強ができなくて実際に困る場面というのはそんなにないからね。落第なんて、義務教育期間には実際上もうなくなっていたし(制度的には可能)、高校だってめったになかった。ただ一つ、具体的に大きな問題になってくるのは、高校・大学への進学時でしょう。入学試験によって、きっぱりと振り分けられるんだからね。
 これについて、現在に至るまでどれだけの言論が費やされたか、思い出すのも面倒なぐらいだ。「受験地獄」という言葉はもっと前からあって、昭和五十五年以降はそんなに聞かれなくなったかと思うんだが、「受験の重圧」とかね。これによって子ども達はたいへんな労苦を強いられている、という印象は、ほとんどすべてのマスコミが流していたものだ。苅谷剛彦の研究(『教育改革の幻想』平成14年)で、これも幻想であって、この頃の青少年は、受験は確かにたいへんな問題ではあったが、それなりには楽しく青春を過ごしていたことが明らかになっているがね。

 本当に問題視したのは、親の側じゃなかったのかな。昭和六十二年に出た村崎芙蓉子『カイワレ族の偏差値日記』がいい例だが、ある種の親、たいていは高学歴の親と考えていいと思うんだが、彼らにとって、子どもがいい高校・大学へ入れないのは一大問題になる。そこで彼らの一部から出る「学校の勉強をもっとやさしくしてくれ」という声は、実質的には「もっと簡単に高校・大学へ入れるようにしてくれ」という意味になることが多かった。
 この要望に応える一番の方策は、学習内容を減らすことなんかじゃなくて、高校・大学の数を増やすことだよね。事実、この頃大都市周辺では新設高校ラッシュで、我々が出会った高校もその一つだった。大学も新しいのがずいぶんできたし、高校は全入時代になった。
 ところがそれで、村崎のようなタイプの親が満足したかというと、そんなわけにはいかない。だって彼らは、高校・大学と名がついてさえいればどんなところでもいい、というわけではなく、「いい高校」「いい大学」へ子どもを入れたいんだからね。彼らが多数いた場合、全員を満足させるのはもともと無理な話だ。だって、例えば東大の入学定員を十倍にしたとしたら、東大生であることの価値及び東大出身の価値はインフレによって十分の一に下がるよ。一方、それでも入れない人たちの不満は、質(不満の大きさ)も量(不満を抱く人の数)も十倍になるんじゃないか。
 以上はつまらない冗談にしか取られないかも知れないが、全体としての高校・大学では正にこういうことが起こったんだよ。高校全入が実現されたら、高校進学の値打ちなんて、入った人にはほとんど感じられなくなる一方で、それでも経済的な事情その他で入れない人の不満とかコンプレックスが強くなってしまった。高校へ行くことは、なんでもない、普通のことだが、行かないことは大問題なんだ。次には大学が、同じようになるかも知れない。まあさすがに、二十二の歳まで子どもをただ遊ばせておいてもいいと考える親はそうはいないようだから、大学全入時代はまだだけどね。
 
 この先が問題になってくるんだが、こんなふうに高校生の数、というか、高校進学者の割合が増えていくと、そのこと自体が、ゆとり教育、つまり学習内容を減らすことの現実的な根拠になってくる。だって、進学率が五〇パーセント以下の時と、九〇パーセントを超えた時とでは、同じ内容を教えるってわけにはいかない、と自然に感じられるじゃないか。小中はもともと全員が来るんだが、どうしても高校の学習の予備段階という面もあるから、やさしいことを教えるようになった高校へ入るためには、やっぱりやさしいことを教えたっていい、とこれまた自然に感じられてくるじゃないか。
 どうも私の言うことは錯綜しているように思われるかも知れないが、これは私の頭が悪いせいじゃなくて、事情のほうが錯綜しているんだよ。村崎みたいな相当に頭のいいはずの人が、子どもをいい高校へ入れたくて狂奔したあげく、それを「偏差値教育のせいだ」と指弾する、という錯乱を演じるほどにね。
 因みに、こういう人にとっても、学校の学習内容がやさしくなることに反対する理由はない。子どもたちがみんなやさしいことしか習わないで、その分ボンクラになったとしたら、自分の子どもは、自分で教えたり、塾に通わせたりして、ボンクラ度を解消できれば、それだけ受験では有利なんだからね。
 そこで夏木さんが言った塾・予備校の跋扈も、この時期に始まる。みんなが塾・予備校へ行くようになったら、それもむだ、かえって行かないことからくる不安ばかり大きくなるというところは、さっき高校について言ったのと同じ。ただ、塾・予備校は学校よりは多様だから、少なくともそう思われているから、いい塾・予備校に当たったら、他を出し抜けるかも知れない。教育熱心な親というのは、この期待は捨てられない。

 だいたいそういった事情で、ゆとり教育は、寺脇たちが強力に推し進める前は、たいした反対もなく進んできた。
 ただ、さっき言った英語など文系科目とは違った事情も理系科目にはあるようだね。自然科学は日進月歩だから、大学の理工学部の先生などからみたら、高校時代にこれくらいは学んできてもらわないと困る、という基準が別にあって、そこからの圧力で、学習内容が変わり、必ずしも易しくはなってないって話を聞いたことがある。これ本当かな? 夏木さんならわかるだろう。
 仮にそうだとしたら、理系科目まで、一律三割削っちゃって、有名になった例だと円周率三・一四をおおむね三、なんてしちゃったところが今回のゆとり教育の最大の失敗だったのかも知れないね。それになんと言っても、目立たないようにやらずに、「三割減」とバンと打ち出しちゃったところね。
 これで子どもが「その分勉強をやらなくてもすむんだ」なんて思い込んだとしたらたいへんだ、と親はたいてい思う。「子どもにもっとゆとりを与えてくれ」と言っていた人も含めてね。
 これまた当然の話だ。「学力」を「知識量」の意味に取るなら、教える内容を三割減らしたら、「学力」も三割方減るのは全く当たり前、というかトートロジーでしかない。テストでその結果が示されたからって、今さらオタオタすることはない。ホリエモンのように、「想定内です」ってすましていればいいわけだ。
 
 そうは言えなかったので、代わりに文科省の言うことが微妙に変化していった。「ゆとり教育は、決して子どもを遊ばせようというものじゃないんだ」という具合に。ここで登場するのが、そもそも学力とは何か、の本質論だ。
 夏木さんが言ったように、それが本当何を意味するか、多くの場合はっきりしないまま使われているから、逃げ道にもなる。「こんなことをするから、子どもの学力が下がっちゃったじゃないか」と言われたら、「いや、私たちは、詰め込み教育がもたらす学力じゃなく、本当の学力を目指していたんです」と。
 そう言われてみると、確かに文科省はそういう意味のことを当初から言っていたようでもある。ゆとり教育が目指すのは、従来の学力とは違う、創造的な問題発見型の学力であり、そのための「自ら学ぶ力」なんだというふうに。
 こういう、「隠れた、本当の学力」という概念あるいは信仰も、いろいろ名前を変えながら、たぶんゆとり教育より古くから教育の世界に居座り続けている。今でもゆとり教育の理念は正しかったんだという人も、ここに賛成しているんだ。
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反知性主義的教育改革を駁す・夏木智氏との対話 その1

2016年07月20日 | 教育

Extract from Ship of Fools (painted c. 1490–1500) by Hieronymus Bosch

前口上(由紀草一)
 反知性主義、なる最近の用語は、ある種の、ひと昔前の用語だと「進歩派」なる陣営に属する知識人たちが、自分たちの反対派は「バカ」なんだ、ということを、多少お上品に言ったものです。だから、とてもイヤな言葉になってしまいましたが、元の、小難しいだけでものの役に立ちそうにない理屈や、それを口にする理屈屋に対する反感や不信という意味なら、世界中にあり、日本にもあります。
 反知性主義というよりは反知識主義、ですかね。「知性」というのが既に、ブッた言葉ですから。それを、学校の中に取り入れようとする向きがあり、現に一部取り入れられている、と言うと、ちょっと不思議な感じがするでしょう。学校の第一の役割は知識を伝えることにあるはずですから。
 でも、これはわりあいと自然なことです。何より、明治時代の草創期から、すべての子どもが学校に通うことは国家の要請だった。子どもを学校へ通わせることは国民の義務なんです。いわゆる、義務教育。子どもの側から見ると、誰もが、一定年限、否応なく行かなくちゃいけない場所、それが学校。ならば、「もうちょっと、オレの役に立つことを教えてくれてもいいじゃないか」という不満も、出てきがちではありますね。
 学校側では、上の不満に応えようとした場合、さすがに知識なんて無益だ、とは言えないので、もっともらしく装います。それにはざっと二種類あって、
①学校では個々の知識とは別に、もっと「人として大事なこと」を学ぶべきだ、と。道徳教育がその具体的な方策として出てきました。これに対する批判は、本ブログ、「道徳教育という不道徳」でいたしました。
②従来学校でやる勉強には、何かしら欠けたところがあった。もっと多くの人を幸せにする「真の知識」があるはずだ。
 近年、これに呼応した形で進められた「ゆとり教育」は、さんざん批判されて、どうやら頓挫したように見えます。でも、その謂わば双生児である「新学力観」は、名前こそ「問題解決能力」とか「生きる力」とか、いろいろと変わりましたが、依然として学校に居座っています。
 ①と②の両方とも、一種の反知性主義、あるいは反知識主義だ、というのが我々の、少なくとも私の、見立てです。もちろん、敢えてレッテル貼りをして、人の注目を惹きたいという動機もあることは否定しません。
 そして今回の標的は、当然②です。

 相方、じゃなくて実質的に「対話」の主である夏木智さんを紹介します。私と同じ茨城県立高等学校の教諭です。たまたま同じ学校で出会ったのですが、教育、というより学校問題について文章を書いたのは彼のほうが先でした。それに触発される形で、私も書いて、二人のを合わせて『学校の現在』というタイトルで出版できたのは、全くの幸運としか言いようがありません。
 夏木さんの単著としては他に『誰が学校を殺したか』、『誰が教育を殺したか』、それに小説『不思議の学校のアリス』(これは物語としても面白い、傑作です。もっと知られてもよいのにと、他人の著作で歯がゆい思いをしたのは後にも先にも一度きりです)があります。同人誌『ひつじ通信』の主催者でもあり、ホームページへは左欄の「ブックマーク」中の該当項をクリックすれば行けます。
 夏木さんから、久しぶりに学校論を共同でやろうじゃないか、と誘いを受けたのは、第一次安倍内閣の「教育再生会議」が、そろそろ最終答申を出そうかという七年前でした。対話形式がよかろう、でも、本当にしゃべって、その原稿を起こす、なんてたいへんだから、メールでやりとりをしたのをまとめようじゃないか、と決まりました。今回のシリーズはその時、つまり七年前にまとめて、『ひつじ通信』に掲載した「対話」の一部です。本当はメールのやり取りであるため、「対話」にしては、一人の発言部分が非常に長くなっている場合が多いことは、初めて読んでくれる人のためにお断りしておきます。
 これをまた引っ張りだそうと思いついたのは、次の理由からです。最近またちょっと教育行政について考える機会があり、参考にはなるかな、と思って読み返してみたら、全然古びてない。というか、日本の学校は今日でもまたこの時期の「改革」の流れの中にあるとわかって、唖然としました。流れをなんとか押しとどめているのは、ひとえに教員の「鈍感力」(上からああしろこうしろ言われても、なかなか機敏に、その通りには動けない鈍重さ)の賜物です。
 以上が本当かどうかは、読んでくださる人の判断にお任せするしかないでしょうが、あくまで個人的には、新学力観なんたらいう教育行政由来の反知性主義を、今後機会があるごとに批判していきたい、その出発点としてこれが最適、と思えました。最低限の手直しだけして、数回に分けてブログに掲載し、できれば皆様からのご批判を仰ぎたく思いますので、皆様、そして夏木さんも改めて、宜しくお願いいたします。
 以下は夏木さんに送ったメールの、ほとんどそのままの引き写しです。

 最初に、「ゆとり教育の見直し」から。見直すってことは、よくなかったんだということのはずなのに、どこがどうよくなかったのかの検討は全くなされないまま、中途半端な形で方向転換がなされようとしている。
 今次の学習指導要領は小中高すべてで授業時間の一割増をうたっていて、その結果「総合的学習の時間」は節減されたけど、それでもなお週に一時間は残っちゃったというところ(以前のでは、小学校では三年生以上から週当たり三時間程度、中学校では週当たり二~四時間程度、高等学校では卒業までに三~六単位の配当)。よくないと決まったもんなら、すっぱり全部よすがいいのに、それじゃこのために努力した人たち、そこには制度を考えた人も、実施に当たった現場の教師も入るけど、彼らの面子をつぶすことになるから、忍びない、ということらしい。
 けれどこんな日本的温情主義(かな?)は、この場合最悪なんだよ。だって、もう総合的学習の時間には概ね意味がない、って公に認めちゃったようなもんでしょ? そうでなかったら削る理由はないんだから。そういうあからさまに無意味な時間が週に一時間、時間割の中にあるってのは、教師にとっても生徒にとっても不幸だよ。
 この温情主義は、日本的責任の取り方、それは結局は無責任ってことになるんだけど、その構造を支えるものとしてよく指摘される。今度も、日本的な形で責任を取らされた人がいる。「ミスターゆとり教育」とまで言われた寺脇研。官僚のトップである事務次官候補だったのに、降格されて、文科省をやめちゃったでしょう。今もマスコミにはよく登場するが、ゆとり教育が間違っていた、とは一度も認めていないね。
 たぶん、間違っているとは夢にも思っていないんだろうな。信念の人じゃなかったら、当初から学力面に関して危惧の声が高かったゆとり教育の、非常に目立つ旗振り役になんかならないよ。官僚としてはそれは、不必要な危ない賭けだからね。
 寺脇がそういう人だってことはそれまでとして、誰も彼を論破できない、っていうか、そもそも政府側では反論しようとする人さえいない、というところが問題でね。彼の言ったこと・したことの正否は棚上げにして、ともかく世間で評判が悪いから、ここは涙を飲んでくれって構図。そこで彼は、正しいことをしたのに、時に利あらず、一身に責を負って野に下った賢臣をいつまでも気取っていられるわけだ。
 いや、ゆとり教育は、少なくとも理念としては正しかったんだと言う人は、民間にもけっこういる。実際的にも、学力低下にしたって、文部科学省が実施した「平成一七年度高等学校教育課程実施状況調査」では、高校生の学力はやや向上しているってことだしね。つまり、ゆとり教育体制でも、学力の維持・向上はできていた、ということみたい。ならば、もともと、ゆとり教育で学力が落ちたというのは本当だったのか、という疑問も生じてくる。
 問題提起としてはこんなもんでいいだろう。で、夏木さんにバトンタイッチする。

1 ゆとりは効率を奪う(夏木智)
 まず、今の方向転換がいかにも場当たり的だということはその通りだね。導入と同様に、何の冷静さも論理も節操もない。では、どうあるべきかということから考えなくてはならない。
 いくつかの考え方の基本から確認することにしよう。一つ目は、この問題については、本当は目標がかなりはっきりしているし、人々の意見も一致していると言うことだ。「学力」の中身は後で議論するとして、学校とは、その本来の目的は学力を身につけるためにあって、それこそ人々ののぞんでいることだと言うことだ。
 「学力」の中身が何であるかは議論の余地があるが、とにかく、それは今現に学校で教えられている数学や国語の内容であり、それによって問題が解ける力であることは、多くの人が漠然とではあれ、賛成していることだ。言論の世界では何とでも言える。しかし、現に社会を見れば、多くの一流大学が「学力」を元に入学者を決定していることは現実だ。社会を見れば、話はもっと複雑だが、しかし、少なくともその入り口の部分において「学力」がものを言っていることは現実だ。
 たとえば「理科離れ」が憂慮されている。もし、学力が価値のないものだったら、こんなことを憂慮する理由はないはずだ。社会は、若者に学力を身につけてもらうことをのぞんでいるし、子どももまた社会で価値ある存在と認められるために学力を身につけることを望んでいる。そして、学校とはその学力を身につけてくれるところであるからこそ、人々は学校へ通うのだ。こう考えれば、学校がまず果たすべき役割は、子どもたちに「学力」をつけさせることなのだ。それをこそ、最優先させなくてはならない。
 こんなことは、私には当たり前のことに思える。しかし、少なくとも、文部科学省を初めとする教育行政、教育学者、教育評論家、教員達にはちっとも当たり前のことではないようなのだ。
 今初中等教育において私立が人気を博している。その最大の原因は「いじめ」の問題だが、それに次ぐ大きな問題として、私立はこの学力の問題に正直だと言うことがあげられる。うちの近くの私立の宣伝は「塾へ行かなくても学力をつけられます」だという。つまり、公立学校へ行くなら、塾へ行かないと学力はつかないということが、かなり広く共有された認識だということなのだ。
 「ゆとり教育」の名で批判されたものは何かといえば、それは、一言で言えば、公立学校の経営者の「学力軽視の姿勢」だったのだと言える。それに関しては、議論の余地なく明らかだと私は思う。授業時間の削減、内容の3割カット、その代わりに「総合学習」をしますなどといっても、そもそもその中身さえ「現場の努力」などと繰り返しているのだから、誰がどう見たって明らかじゃないか。親も子も学力を身につけるために、少なからぬ苦労をして学校へ通っているのに、授業時間は減らしますよ、内容もやさしくしますよ、これで落ちこぼれはいません、楽しく学校へ通えますよ、なんて言われて黙っていられますか。そんなんじゃ、何のために学校へ通っているのか分からないと多くの親子は考えるはずだよ。
 結局、そうした危機感が、教育施策の問題を指摘するための証拠として飛びついたのが「学力低下」問題であって、本当に「学力低下」しているかという問題はむしろないがしろにされているとさえ言ってよいと思うよ。まあ、私に言わせれば、それでよいと思うんだがね。というのも、「ゆとり教育」そのものが間違っているのだから、学力低下の証拠を探すのはむしろ本末転倒だと思うくらいなんだ。
 ゆとり教育の問題点は次のことにつきる。すなわち、それまで子どもたちは学校の中だけでいわば勤務時間内の労働でかなり多くの学力を手に入れていたのに、ゆとり教育というシステム変更によって、子どもたちは多くの時間外労働によって前より少ない学力をようやく手に入れるような貧困生活に陥らされてしまったということだ。
 ゆとり以前は、勉強は(宿題はもちろんあったが)、それなりに学校内で完結していたのだ。詰め込みすぎという批判はあったかも知れないが、学校で教えてくれないので、塾で教えてもらうというような本末転倒は存在しなかった。ところが、ゆとり教育によって、授業内容がすかすかになり、教える時間も削られたために、足りない分を子どもたちが時間外労働で補わなくてはならなくなったのだ。
 これは、実は教員の側もそうだ。学校の授業時間では、それこそ総合学習や、体育や徳育に力を注がなければならなくなり、教科教育に時間を割けなくなった分、宿題をだすことで、教科教育を行わなければ学力を保てない状況に陥っているのだ。
 子どもの話だが、小学校のある担任は、授業ができるときには、生徒に自習させ、そのあいだに宿題の点検をしているという。確かにそうでもしなければ、膨大な宿題のチェックをやっている時間は小学校の教師には存在しないのだ。昼休みでさえ給食指導をしているのだから。しかし、勉強は宿題でさせ、授業時間は自習にしておいて宿題の点検というのでは、本末転倒もいいところだろう。もちろん、一部の話を全体に広げられないが、しかし、本質的な部分では同じ構図だということは認識しておいていい。
 ゆとり教育の生み出したものは、「学力低下」というよりは、むしろ、「効率性の悪さ」なのだ。子ども、保護者の立場に立ってみれば、以前は少ない時間で、比較的安上がりに手に入れていた「学力」を、ゆとり教育によって、多くの時間と費用をかけてやっと手に入れられるような状況にされてしまったということなのだ。
 実はこれこそ、学力の二極分化をもたらしたものでもある。平坦で走りやすい道を走っていれば、体力、能力に劣るものもそれほど遅れないでついていけるだろう? しかし、でこぼこでおまけに起伏も多いとすれば、よいシューズをもっていなかったり、足が痛かったりするものにとって、ついていくのに多大の障害があることは間違いない。
 もちろん、ゆとり教育そのものはこういう状況を目指して導入されたものではない。しかし、経営者たるもの、ある改革がどういう効果をもたらすか、きちんと見通してその正否を論じるべきだし、まして、すでに現実となったこういう状況をきちんと把握さえできないとしたら、完全に失格だろう。
 「学力低下」というのは、基本的には、社会が子どもたちの労働の結果だけしか見ていないということだ。子どもたちに長時間労働を強いてかまわない、子どもたちの学力さえ上がってくれれば、という態度が、真に子どもたちや保護者、ひいては社会全体のために誠実な態度だと言えるだろうか。
 だが、最近の教育改革は、子どもたち(と教員)の労働時間を増やすことが、正しい改革だと信じて疑わないように思えるがね。全く、子どもたちを見ていない、自分さえよければいいという、典型的な思い上がったワンマン経営者だね。やるべき改革は全く逆だ。必要なことは、ゆとり教育によって奪われたゆとりを取り戻すことなのだ。
 これをもう少し具体的に言うには、ゆとり教育というシステムがどのようなもので、なぜ、このような状況を生み出すことになったかを、もう少し具体的に見ていかなければならない。
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私はどこにいるのか

2016年07月07日 | 文学
メインテキスト:中島義道『不在の哲学』(ちくま学芸文庫平成28年)
サブテキスト:『「私」の秘密 私はなぜ〈いま・ここ〉にいないのか』(初版は平成14年、講談社学術文庫平成24年)



         諸星大二郎 「子供の頃」 1982年

 中島義道氏は確か以前に、人から褒めそやされるのは大嫌いだと書いておられたので、安心して言える。ある研究会でガラにもなく『不在の哲学』のレポーターを務めなければ、私はこれだけ熱心に同書に取り組むことはなかった。以前『「私」の秘密』は卒読したことがあり、割合と面白かった覚えがあるので、うかうか引き受けたのだが、もとより哲学には門外漢、私は両書を哲学的エッセイとして、つまり一種の文学として、読んだ。
 中島氏の成し遂げたことが、哲学的にはどういう意味があるのか、なんて全くわからない。そもそも、あるテキストをきちんと紹介するというより、それに基づいて勝手なことを言うのは当ブログ「一読三陳」の主旨でもある。こういう捉え方もある、というサンプルを示す、それが他人にどういう意味を持つかには全く無責任、ということで、よろしくお願いします。

 『不在の哲学』の最初の頁にはこうある(以下の引用はすべて同書から)。

無と不在の違いの一つは、前者にはそれを語る視点がないが、後者にはその視点があるということである。(P.009)

 なるほど、「不在」は、ある視点から見て「無い」ことであって、そこには「かつてはあった」「あってもおかしくない」「ある/あった、はずだ」などが含意されている。「父は今不在です」などの、日常的な使用法を考えても、これは容易に納得される。「父」が死んでいたら、普通こうは言わないだろう。もっとも、こうは言えない、とか、言ってはいけない、などというわけではない。それは本書の後を読んでいけば自然にわかる。
 また、上記から、「不在」には、それをそうみなす「視点」の判断が必ず伴うことがわかる。それを「主体」と言ってはいけないか。「主体」は、この両書の中でほとんど使われていない。たぶんそこにも、著者のこだわりがある。

 大がかりな図式として、ピアジェの発達理論が援用され、それは『不在の哲学』の全編に渡って繰り返される。実際はピアジェとはあまり関係ないのだが、本書の基調であることはまちがいない。

われわれ人間は有機体として①もともと自己中心化しているが、②その有機体が言語を習得することによって脱自己中心化し、さらに③二次的自己中心化する。(P.012)
 
 それぞれを、仮に発達の諸段階として記述すると、
①自己中心段階。幼児期、自分が知覚するものが世界のすべてである段階。自分が暗いと見れば世界は暗いのだし、暑いと感ずれば世界は暑い。
 実はこの段階では自分―世界(≒外界)という二分法そのものが成立していない。そういう意味では、世界と一体化している。
②脱自己中心化段階。自分が「私」と言うときと、他人が「私」と言うときでは、「私」の中身(シニフィエ)が違っていることを発見する。
 世界の中心から、世界の構成要素へと位置が変わる、ことを受け容れる、段階と言うよりは、過程。これはそのまま、言語を習得していく過程である。
③第二次自己中心化段階。「私」は、自身が世界のごく一部であり、世界のごく一部しか知らない、のを承知の上で、世界を語る。他の人もそうしている、ようであるから。
 今私の眼の前にカップがある。人間の眼は二次元の画像としてしか世界を捉えられないから、カップの裏側も底も見えていない。少し視点をずらせば、微妙に違ったカップの像が眼に映る。他人にはこのカップがまるで別様に見えているかもしれない。日本語も英語も知らない人は「カップ」ではない別の名前でこのモノを呼ぶだろうし、そもそもそれまでに「カップ」を見たことも使ったこともない人は、このモノについて別様に語るだろう。
 さらにまた、有機物も無機物も、時とともに化学的な変化を被り、つまり時々刻々古びていく。厳密には「このカップは~」と語っている間にも、微細な変化は起こっているから、「客観的に同一のカップ」について語るのは本来不可能なのだ。そんなものはないのだから。
 それらをすべてカッコに入れ、「私」は、カップについて、「客観的」に、語る。これはカップだ。陶器で、色はアイボリー。スイス製かな。コーヒーを入れると、その黒が引き立って見えるね、等々。
 なぜそんなことができるのか。簡単に言えば、それが言葉を語るということだから、で終わりである。
 もう少し綾をつけると、『「私」の秘密』のほうで、これは事実問題なのではなく、権利問題なのだと言われている。このカントの用語を、私の頭で理解できる範囲で述べると、「私」が事実(客観)としてあるかないかを問題にするべきではなく、「私は」と発語するのは正当か否かが問題とされるべきだ、ということになる。そして、もちろん、正当である。即ち、あるかないかよくわからないものでも、正当性は主張し得る。そのような語り方の形式は正当だと、多くの人が認めさえすればよい。
 この権利が行使されない、言語がない状態をもう一度、言語で、考えておこう。
 赤ん坊は「私」とは言わない。「カップ」とも言わない。「暗い」とも「暑い」とも言わない。こう発語するときには、それぞれに対応する・時に対立する、何か、を必ず取り込んでいる。カップの中にはコーヒーという黒い飲み物が入っていた。今はないね。それは今は不在なのだ。それを私は知っている。そして、もう一杯ほしい、とか、もういらない、とかいう欲求ないし情緒が、その認識に伴っている。
 「暗い」は「明るい」、「暑い」は「寒い」状態がかつてあった/これからもあるという知識・判断が前提とされ、今はそうではない=不在である、ことも同時に語られる。そして「私」がそう語ることは、(主語や時が明示されないとしても)そうではない感じ方(「そんなに、暗く/暑く、ない」など)があり得ることを、「言外に」、「不在として」、含む。殊更に、意識してそうするというより、人間が人間の言葉を話すとは、本来そういうことなのである。
 コミュニケーションのために、あることを別のこと(音声など)におきかえて示すのが言語だとすれば、他の動物も使っている。ハチがハチ(8)の字を描いて歩き、蜜のある場所の方向と距離を他のハチに伝えることは有名だ。人間の言語も最初はそういうものだったのかも知れない。否定語(~はない/~ではない)を取り入れることによって、それとは別の次元が現れてきたと思しい。

動物はさまざまな視点から対象を見ているであろうが、不在を知らないであろう。なぜなら、不在とは一つの「否定的なもの」であるが、否定的なものは言語によってはじめて世界に登場してくるからである。(P.022)

 生物は、温度が低くて凍死することも、逆に高過ぎて体内の水分が失われて枯死することもあるだろうが、それは、前述のように、「寒い」/「暑い」と言われることとは全く別である。
 ただ、ここはもう少し突っ込んで考えることもできる。サルを使った有名な実験で、高いところに餌を吊り下げておき、棒を置いておくと、猿はその棒で餌を叩き落として食べる。これを何日かくりかえした後で、棒をどこかに隠したとする。このサル君は、棒を探さないだろうか。つまりこの状態を、「棒が不在」なものと認識しないだろうか。
 多分そうするのだろう。人間のような、否定語を含む言語を使用しない動物でも、否定的なもの=不在と、このレベルでは、無縁ではない、と言えそうである。ただし人間はこれをよりダイナミックに使って、世界も自分も意味づける。そうする「権利」があると、人間同士で、勝手にみなしている。

いま〉は言語によってはじめて世界に到来する。それは、自然の連続的変化の「うち」にはない。〈いま〉の到来とは自然の連続的変化に楔を入れ、連続的変化を〈いま〉という単位に分断してとらえなおすことなのである。……。
 言語は、存在と非存在という二元論をもって世界を再構成する。そして、いったん非存在を世界から排除しながらも、それを「非存在」という名の存在に仕立て上げて、取り戻す


 先のカップの例で見たように、人間は客観的実在としての「今」をとらえることはできない。絶え間のない「変化」から、例えば、「かつてはあったが、今はない」何かをメルクマールとして拾い出し、「何か」が「あった」のが過去、「ない」のが現在、と名付けることならできる。
 かくして「いま」と「昔」が成立する。「コーヒーを飲んでしまった今=コーヒーがあった昔に対してそれがない今」・「父が死んだ今=父がいた昔に対する彼がいない今」という具合。【念のために。「この子が生まれた今」という場合、「この子がいなかった」状態が、今では不在になっている。言葉がややこしいだけ。】
 また、人間自身も、生々流転する世界の中で、ある場所に止まっていることはできない(そんな場所はない)。絶えず何かをする(最低でも、活きている以上、呼吸はする)。それによって現在は絶えず過去、とみなされ得るもの、になっていく。「私」が生きる場もまた、一連の不在以外にない(未来は、もとより、可能性としてあるだけ)。

ヒトは(他の有機体のように)単に外部からの刺激を受けるのではなく、それを言語的に捉え直して判断し、さらに刺激に対して能動的に意味付与するのだ。こうした意味付与作用自身は、実在世界に属さないという意味で、いわば能動的不在である……それは……みずからを能動的に「不在」にすることによって、実在世界=統一的客観世界を可能にする。言語を習得することは、この不思議な反転が起こること(P.024、文言を一部変えました)

 「かつてあった棒が、今はない」ことを知覚するだけなら、サルでもやれる。それは「能動的な意味づけ」ではない。ヒトは、「今棒がないことの意味」=「かつて棒があったことの意味」を考えざるを得ない。考えて、答えが必ず見つかるとは限らない。しかし、このような問いかけのないところに、一定の意味(とみなし得るもの)のある「統一的客観世界」は登場しない。

私が眼前の木に対しているとき、私は単に「木を見ている」だけではなく、そこには同時に想起も想像も連想も感情もはたらいている。(P.157)

 これは単純な事実である。私はあるとき、初めて行った場所で、それまで見たことのない「木」を見る。錯誤も多少はあるかも知れないが、ほとんどの場合、それが「木」であることにまちがいはないだろう。
 このとき、次のことがおこっているのであろう。それまで私が接してきた様々な木、実物ではなく写真や絵も含めて、それに接した時の情緒をも伴って、未分化のまま蘇り(想起され)、その全体が「木」という言葉によって表象され、眼前の物に与えられる。
 もちろん過去の木は「不在」である。かつての木も、いまの眼前の木も、同じように存在する、としたら、我々はその両方とも知覚できないことになる。

想起とはいきなり過去に戻ることなのではなく、私が〈いま〉伝達された構造の「うち」に不在の過去を読みとること、言いかえれば、それに「もうない」という意味を付与すること(P.152)
 
 そのように意味付与するとき、意味付与する「私」は確かにいる、と言ってよいだろう。即ち世界に意味付与することによって、ではなく、それと同時に、「私」がある。
 「私」のいわゆる主観と、統一的客観世界とは、同じものの両面だ、とも言えそうである。

他のすべての不在を付与できても、そこに「過去という不在」を付与できなければ、ヒトは「私」ではない。……ヒトが、眼前の物質の塊から現在の知覚世界をえぐり出したうえで、そこから排除された過去世界をあらためて「不在」として意味付与するとき、ヒトは「私」である最低の要件を充たしている。ヒトは対象世界に知覚的あるいは想起的に意味付与するごとに、自己同一的な「私」をいわば対象世界の反対側に不在として構成するのである。(P.201、文言を一部変えました)
 
 最後に付け加える。文学とは、この「権利」を最高度に行使し、「自分にとって世界とは何か」=「世界にとって自分とは何か」という問いを、客観的事実のように押し出す試みのことだと定義し得る。それが「主体」の物語である。言葉の使用がここまですすんだことは、人間にとって幸福か不幸かはわからない。が、文明の発達の一部である言葉の発達の面からみて、これは必然ではあったのだろう。
 噂によると、その文学は今衰退しているらしい。そうだとすれば、何が主因なのか。それは「私」の、即ち、世界に統一的客観性を与える人間の力の衰退をしめしているのか。中島氏は賢明だから、このような、「主体」の問題なんぞに踏み込むことはない。この問いは、哲学ではなく、文学の内部で追及されるべきなのだろう。
 
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