Pastora by Jean-Francois Millet, 1864
【以下の記事は平成27年に美津島明氏のブログ「直言の宴」に掲載させていただいたものです。個人的な事情により、今回採録いたします。表題を含めて最小限の、五か所の改訂以外には変更はありませn。】
私淑している福田恆存について、自分のブログで、「福田恆存に関するいくつかの疑問 その1(アポカリプスより出でて)」から4回にわたって書いたのですが、美津島明氏から、「あれではよくわからない、今まで福田なんて全く読んだことのない人にもわかるような、『福田恆存入門』のようなものを書いて欲しかった」、と愛情あふれる文句つけをいただきました。
そう言われると一応、やってみたくなりました。こう見えて、乗せられやすい体質なもんで。ただ、「唯一の、正確な読解」を示す、なんてことを夢想するわけにはいきません。福田先生も、そういうことは不可能なんだ、と何度か言っていますし。私はただ、凡庸なこの頭で理解し、感動した福田像を示し、それが先生に興味のある人に多少の参考になれば、と願うばかりです。おかげで、そんなに深遠な、難しい話にだけはならないと思いますので。
福田思想の出発点にして生涯を通じた立脚点は、まず昭和21年の「一匹と九十九匹と」に明瞭に示されました。今回はほぼこれのみに即してお話します。
これは戦後直後に文壇を賑わせた「政治と文学」論争中に書かれたエッセイです。と言っても、福田はこの論争自体に深入りすることはどうやら意識的に避けています。論ずべきことはもっと別にあるはずだ、というスタンスは明瞭に読み取れ、これはこの後の福田の論争文の多くに引き継がれて、時に「搦め手論法」と呼ばれることもあったようです。
論争の主流についても一応ざっくり見ておきましょう。この淵源はずっと古く、共産主義が、少なくとも知識人の間ではそれこそ怪物じみた猛威をふるった昭和初期にまで遡ります。
具体的には、共産主義は正しいと多くの人にみなされた。当然共産主義革命は正しいし、そのための活動は正しい。これに疑問の余地はない。と、すると、芸術は、その中でも社会観を直接的か間接的に含まないわけにはいかない文学は、どういうことになるのか。これがつまり論争のテーマでした。
模範解答とされたのはこんなんです。文学作品についても、別の「正しさ」があるわけはない。別の、なんてものを認めれば、その分共産主義の正しさは相対化され、革命そのものも、革命運動の価値も貶められることになる。文学でも社会活動でも、単一の物差しで測られなければならない。そんなに難しいことではない。革命運動を鼓吹するか、少なくとも革命の担い手たるプロレタリアートに即した目で現代社会を見つめ、その矛盾を示すような作品ならよい作品、それ以外は悪い、少なくとも無価値な作品。そう判定すればいい……。
「いやあ、そりゃあんまり簡単すぎるだろう」とたいていの人が思うでしょう。と言うか、土台、共産主義が正しいと信じなければ始まらない話ではあるんですが。
その後の歴史の中で共産主義もずいぶん変わりましたし、また、文学者は知識人であるという思い込みがあった頃までは、彼らは文学の社会的な効用やら責務を気にかけないわけにはいかなかったのです。そこで政治(では何が正しいか)と文学(の価値は何か)をめぐる論争は、少しづつ形を変えてこの後も現れましたし、今後も現れる可能性はあります。これについては加藤典洋「戦後後論」(『敗戦後論』所収)が面白い見取り図を提出しておりますので、興味のある方はご覧おきください。
さて福田恆存は、「政治上の正しさと文学の価値」という問いの形を変え、「そもそも政治とは、そして文学とは何か」、言い換えると、「人間はなぜ、またどのように、政治を、そして文学を必要とするのか」まで遡及して考えてみせたのです。演繹に代えて帰納的に考える、というわけですが、「かくあるべき」から「かくある」に議論の中心を移すのは、もっと大きな意味があり、前に言った「搦め手論法」というのもそこを指しているようです。それは後ほど述べるとして、「政治と文学」の局面にもどりますと、政治は九十九匹のためにあり、文学は一匹のためにある、これを混同するところから不毛な混乱が起きるのだ、という答えが提出されました。
「一匹と九十九匹」の譬喩は、キャッチコピーとしてもなかなかいいですよね。人目を惹きやすいし、覚えやすいでしょう? それでけっこう有名なんですが、そのためにかえってたびたび誤解されてきたように思います。解説してみましょう。
話の出処は聖書のルカ伝第十五章です。
なんぢらのうちたれか、百匹の羊をもたんに、もしその一匹を失はば、九十九匹を野におき、失せたるものを見いだすまではたずねざらんや。
この譬えは、すぐ後の「蕩児の帰宅」の話を見れば明らかなように、悔い改めた一人を得る喜びは、もともと正しかった九十九人がいることより勝る、という意味です。ですからここで言う一匹とは正しい道を踏み外した迷える羊(stray sheep)であり、キリスト教からみた罪人のことです。それぐらいは福田も当然知っており、そう書いてもいますが、この一節から受けたインスピレーションが強烈だったので、正統的な解釈とは別の「意味」を、語らないわけにはいかなかったのです。
もともとこの話にはちょっとヘンなところがあります。どんな場合でも、九十九匹の羊を野に放っておいていいはずはないのです。狼に襲われたり、羊たちの内部で争いごとがおきたりしたときのために、面倒を見る人が必要です。福田の考えでは、それをやるのが最も広い意味の政治です。宗教者の役割ではないから、イエスはそれについて語らなかった。宗教者は、「失せたるもの」を探し求めずにはいられないのであり、後にこれを引き継いだのが文学者、であるはず。そうであるならば、どんな時代でも、群から迷い出てしまう一匹は必ずいるので、宗教・文学の必要性が絶えることはありません。
以上は誤解を招く言い方になりました。「なんぢらのうちたれか」と語り出されているところからもわかるように、特定の宗教者、文学者のみが考えられているわけではありません。九十九匹と一匹の領分は、万人の心の中にこそあるのです。そして、迷い出る一匹はそれを探し求める一匹と同一なのでしょう。「かれ(=真の文学者、及びそれに近い心性)は自分自身のうちにその一匹の所在を感じてゐるがゆゑに、これを他のもののうちに見うしなふはずがない」と、福田は言っています。
改めて、この一匹とは何なのか。たぶん、この時代の文学者やら文学愛好者なら、くどくど言わずともわかる人にはわかったらしく、福田もそれは暗示するにとどめています。文学の権威が一般に失われた今日では、多少の逸脱を恐れず、言葉を重ねておくべきでしょう。
日本近代文学の中だと、イエスつながりと、もう一つ福田の出世作になった文芸評論(「芥川龍之介」)とのつながりからして、芥川龍之介「西方の人」中の「永遠に超えんとするもの」が、「一匹」に近いように思えます。これはイエスその人、あるいは彼を導く聖霊を指し、聖母マリアが表象する「永遠に守らんとするもの」と対置されています。
天に近い山の上には氷のやうに澄んだ日の光の中に岩むらの聳えてゐるだけである。しかし深い谷の底には柘榴や無花果も匂つてゐたであらう。そこには又家々の煙もかすかに立ち昇つてゐたかも知れない。クリストも亦恐らくはかう云ふ下界の人生に懐しさを感じずにはゐなかつたであらう。しかし彼の道は嫌でも応でも人気(ひとけ)のない天に向つてゐる。彼の誕生を告げた星は――或は彼を生んだ聖霊は彼に平和を与へようとしない。(「西方の人」中「二十五 天に近い山の上の問答」)
つまり、平和で暖かい生活の場を捨てて、冷厳で孤独な世界へと誘われる性向、芥川が「聖霊」の言葉で呼んだもの、これを福田は「(九十九匹=下界の人生に対する)一匹」と名づけた、と考えて、そんなに的外れではないと思います。
しかし、では、日本の近代文学者が「永遠に超えんとする一匹」を自分の裡に感じていたかというと、それはちょっと怪しい。根本的に、「永遠に守らんとするもの」が守る身近な平和から、否応なくはみ出してしまう性情は乏しかったように見える。ただ、西洋文学には折々現れるそのような個人の傾向に憧れる気持ちはあったようで、芥川もどうやらその例外ではない。彼が描くイエス像が、上に見られるようにやたらにロマンチックなのはそのせいでしょう。
上記は日本の近代を考える上で大きなポイントになるところですが、今回はもうちょっと卑近なところで話をしたいと思います。そうすると、福田の論旨の応用、というより多少どころではない逸脱ということになってしまうかも知れませんが、私が福田恆存から学んだつもりでいる最も重要なことの一つですので、恐れも恥も顧みずに申し上げます。
以前のブログの記事「国家意識をめぐって、小浜逸郎さんとの対話(その1)」に、息子を特攻作戦で失くし、戦後苦難の道を歩まなければならなかった母親について書きました。彼女は極貧のうちに生きて、死ななければならなかったようで、それについて私は、「「国のために死ね」と要求するなら、最低限、遺族の生活の面倒ぐらい、ちゃんとみてあげられなくてどうするのか」と申しました。因みに日本で軍人恩給の復活が議会で認められたのは昭和28年で、支給が開始されたのは翌29年、この母親はその恩恵に浴する直前に亡くなったのです。戦争に負けて軍隊もなくなって、日本中が苦しい時期であったとはいえ、こういう人にはちゃんとお金を上げるべきでした。それは明らかに、政治の役割です。
ところで問題は、さらにその先にあります。政治がちゃんとしているなら、彼らが生活に困ることはない。それで万々歳かと言えば、そうもいかんでしょう。二十歳そこそこの息子に先立たれた悲しみ、苦しみは残ります。どんな政治がこれを救えるのか? 考えるまでもなく、無理に決まっています。即ち、最良の政治が行われてもなお、すべての人間を必ず幸せにできるわけはないのです。
戦後思潮のイカンところの一つは、こういうふうに戦争が絡んだ話だとすぐに、「戦争はこんな悲惨をもたらす、最大の悪だ」と言い立て、逆に「だから戦争さえなくなれば万事OKなんだ」をこの場合の解答のように思わせる詐術がはびこったところです。実際には仏教で言う四苦(老病生死)八苦(愛する者と別れる苦しみ、その他)から完全に逃れられる人などいません。早い話が、戦争がなくても、子どもに先立たれる親はいるのです。その苦しみ、悲しみをどうするか? どうしようもない。どうしようもないけれど、宗教と文学のみが、僅かにそこに関われる、いや、関わることを目指すべきだ。それが福田恆存の文学論の根幹なのです。
どういうふうに関わるのかと言えば、それは、マルクスが喝破したように、また福田も認めたように、麻薬として役立つのです。マルクスが「ヘーゲル法哲学批判序説」中でそう言ったのは、もちろん否定的な意味でです。麻薬(直截には阿片)には、苦しみを和らげる働きはあるが、病気を根治することはできない。根治をあきらめるから、麻薬の需要も出てくる。同じように、現実の苦しみが除去されるならば、宗教の必要性はなくなる。だから、宗教の廃棄を要求することは、そういうものが必要とされる現実社会の、根本的な変革を要求することに等しい、とおおよそマルクスは論じています。
彼が言い落としているのは、世の中には不治の病があることです。現在でも末期癌患者の鎮痛剤として麻薬が処方されることがあるのは知られているでしょう。その意味で、将来も麻薬の需要が絶えることはないでしょう。同じように、人々の苦しみがすっかり消えることもないから、文学の存在価値も失われないでしょう。
具体例を出しておきます。子どもを失った母の悲哀を表現したものとして、以下の和泉式部の歌はよく知られています。
とどめおきて誰をあはれと思ふらむ
子はまさるらむ子はまさりけり
「この世に遺す者のうちで誰をあわれと思うのだろう、子どもだろうな、自分も子ども失って(親を失ったときより)あわれに思うのだから」という意味で、感情より理屈を表に出している(と、見せて、同語反復による強調にもなっているのはさすがです)ことが注目されます。これと、何よりも和歌の調べによって、ここでの感情には客観性が付与され、「作品」になっている。子どもに先立たれることは、「戦死」というような社会的な共通項がない限り、個人的なできごとに止まります。それでも、フォルム(形)があることで、同じような経験をしていない人にも心持が伝わる。その全過程をここでは「文学」と名づけます。
即ち、個人的なことがらがそのまま共同性を得るというマジックが文学であり、人間が集団的な存在(九十九匹)であると同時に個的な存在(一匹)でもあることを証すものです。
だからと言ってもちろん、ごく普通の意味での公共性がなおざりにされていいわけはありません。政治上の施策や社会改革によって救われる不幸ならちゃんと救うべきですし、まして、人々に不当な悲惨を強いる政治悪はなくすべく努めるべきです。その努力が革命という形をとるなら、正義は明らかにこちらにあることになります。
ここで、先ほど挙げた、共産主義に対して文学(正確にはプロレタリア文学)から提出された「模範解答」をもう一度見てください。正義は革命にある。ならば、文学もまた革命の正義に専一に仕えるべきだ、とされる。
結果として、それ以外の正しさ、どころか、この正義の力が及ばない領域は無視されます。例えば、戦争被害者の苦しみは大いに描くべきだ、それは帝国主義の悲惨を訴えるのに役立つから。では、国家のせいにも社会のせいにもできない事故の犠牲者や、その関係者の苦しみは? そんなもの、革命のためにはなんの効果もないんだから、放っておけ、とは誰も言ってませんが、言ったのと同じ効果はあるんです。
難癖をつけていると思いますか? そう見えるらしいんで、このような言い方は、正攻法ではない、「搦め手論法」と呼ばれたのですが。しかし、広い意味での革命運動がどういう道をたどったかを考えれば、現実的にも決して無視し得ない論点がここにあるのは明らかでしょう。それはどんな道で、どこから始まったのか。「政治と文学」論争のときによく取り上げられた、小林多喜二「党生活者」をこちら側の具体例として出しましょう。
この小説で最も印象が深いのは、次のような点です。革命運動に従事する主人公が、職場も住居も追われ、親しい女に全面的に生活の面倒をみてもらうことにする。革命が正しいなら、そういうこともしかたないかも知れない。ただ驚くのは、主人公は、どうやら彼との結婚を夢見ている彼女に対して、「申し訳ないけど、我慢してほしい」ではなく、「革命運動の必要性・正当性をなかなか理解しようとしない」と、私も若い頃聞いたことがある言葉で言い換えると「意識が低い」、としか思わない。本気で? どうも、本気らしいです。
あるいはまた、六十歳になった母親にもう会わない決心をする。母親には辛いことだろうが、それは「母の心に支配階級に対する全生涯的憎悪を(母の一生は事実全くそうであった)抱かせるためにも必要だ」……。いやいやいや、本当にやめましょうよ。何かの事情で肉親と別れる人はいつでも、どこにでも、いる。自分から望んでそうなることもある。それを一概に悪だと言う気はない。けれど、何かの正義を持ってきて、それを正当化することは、とりわけ、自分が思い込むだけではなく、他人もそうであるべきだ、などとするのだけは、是非やめてほしい。
また、こうも言える。主人公は、厳しい弾圧を受けている。正義は自分にあり、それなら弾圧は不当だ。そこまでは認めてもいいが、さらに、だから弾圧される苦しさを味わうことこそ正当だ、までいったら、明らかな転倒である。そうではありませんか?
「党生活者」の主人公がそうであるように、小林多喜二もまったき善意の人ではあったのでしょう。だからこそ、あぶない。「正しいこと」はどこまでも押し進めていいはず。ならば、それをどこかで押し止めようとすることこそ悪。正義の論理がこの段階にまで至れば、この正しさはあらゆることを犠牲にするように要求するまでになるでしょう。革命が成功すると、革命前よりもっと激しい弾圧が始まる根本の理由は、ここにあるのです。
思うに、文学の社会的な効用は、このような事態に対する警告を発するところに求められるのではないでしょうか。一人の人間には、国家・社会を含む他者にはどうすることもできない領域がある。言わば、絶対的な個別性です。もちろん文学にだって、根本的にそれをどうにかできるわけではない。しかし、「どうにもならないこともある」ことを訴えて、この世に完全な正義はあり得ず、ゆえに正義の暴走は何よりも危険だと戒めることについては、少しは期待してもいいのではないでしょうか。
上がある程度認められたとしても、でもやっぱり「そんなの本当に意味があるの?」と思われることもあるでしょう。文学が宗教ほど(麻薬としての)大きな慰安を与えることなどめったにあるものではなく、その分、依存症の危険などはごく少ない。それというのも、社会に大きな影響を与える宗教ほど、「教団」を作って、革命運動によく似た活動をする、集団的なものになるからです。文学は、あくまで個人にのみ関わろうとするので、純粋ですが、また、まことに無力です。それを残念に思う文学者が、「絶対の正義」を外部に求めようとした結果が、「プロレタリア文学」をもたらしたのでしょう。
このように無限に循環しそうな問いに対して福田恆存がここで出した診断を、最後に掲げておきます。
かれ(=文学者)のみはなにものにも欺かれない――政治にも、社会にも、科学にも、知性にも、進歩にも、善意にも、その意味において、阿片の常用者であり、またその供給者でもあるかれは、阿片でしか救われぬ一匹の存在にこだはる一介のペシミストでしかない。そのかれのペシミズムがいかなる世の政治といへども最後の一匹を見のがすであらうことを見ぬいてゐるのだが、にもかかはらず阿片を提供しようといふ心において、それによつて百匹の救はれることを信じる心において、かれはまた底ぬけのオプティミストでもあらう。そのかれのオプティミズムが九十九匹に専念する政治の道を是認するのにほかならない。このかれのペシミズムとオプティミズムとの二律背反は、じつはぼくたち人間のうちにひそむ個人的自我と集団的自我との矛盾をそのまま容認し、相互肯定によつて生かさうとするところになりたつのである。
一匹にこだわり続け、それによって百匹に慰安としての阿片を供給すること、ただしそれは阿片に過ぎないことはわかっているので、九十九匹の救済は甘んじて政治に委ねること。ここには、九十九匹(公共性)の名において一匹(個人)に最小限の犠牲を強いることはどうしてもある、それは認めるしかない、という断念も含まれます。そうでないと、お互いを肯定し合って、ともに生かす、ということにはならない。しかし、何が「最小限」かを見極めることはいつも難しい。
それから、こちらのほうが大きいのですが、九十九匹の側からの圧迫は特にないのに、群れから迷いでる一匹、「永遠に超えんとするもの」の問題は、提出されたままで終わっています。それは福田の後の文業、特に「人間・この劇的なるもの」で正面から取り上げられることになります。