メインテキスト: マイケル・サンデル 鬼澤忍訳『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』(原著2009年刊 早川書房平成22年5月 同年9月87版)
サブテキスト:吉見義明『従軍慰安婦』(岩波新書平成7年 平成9年第7刷)
自分の属する共同体の、過去への責務、それも、自分が生まれる前のも、と言われるなら、また別の角度から、教育の問題を考えねばならなくなる。単純に、まず第一に知識が必要とされるのだから。
ソウルへ観光旅行に行って、安重根の銅像を見て、「これ、だあれ?」と、韓国人のガイドに尋ねた日本のお嬢さんが、ムッとしたガイドから説明を聞いた後、「へえ。じゃ、伊藤博文ってだあれ?」とさらに尋ねた。これは小林よしのり『ゴーマニズム宣言』に描かれているエピソードだが、こんな人に日本の韓国に対する植民地政策はどうたら言っても、まるっきり無理なのは明らかだ。自分が体験したことでないものについては、学ばなければ何も始まらない。しかしなにしろ、ものがデカいから、それも簡単にはいかない。
サンデルは、P.271で、ナチスのホロコーストの事例に並べて、日本の「戦争中の残虐行為」である従軍慰安婦問題をとりあげている。が、彼はこの問題についてあまりよく知らない。「一九三〇年代および四〇年代に、韓国・朝鮮をはじめとするアジア諸国の何万人もの女性が日本兵によって慰安所に送られ、性的奴隷として虐待された」という記述は、嘘である。言い換えると、一方的な見方でできたイメージを、歴史的な事実だとしている。
以下は、今では日本ではかなりよく知られている「事実」だと思うが、何しろ、アメリカでは、サンデルのような大学者さえおかしなことを言う情勢なのだから、あらためてまとめておこう。
戦争によって占領地になった地域は、軍政がひかれる。軍隊が行政のトップに座るということで、敗戦後の日本を支配したGHQもその一例である。大東亜戦争中、日本は中国大陸から東南アジアにかけて、たくさんの地域を占領したから、自然に軍政地もたくさんできた。
ここでの大きな悩みの一つは、兵士たちの性欲処理問題だった。放っておけば、現地人女性へのレイプが多発する。それでは、占領者日本への悪感情の火に油を注ぐから、支配がやりづらくなる。もっと大きな問題は、性病の蔓延である。その防止のために、慰安所が必要とされた。当時でもレイプは犯罪だが、売春は、公的に許可される場合(公娼制度)もあった。
日本政府は戦後長いこと、慰安所への軍の関わりを一切否定してきたのだから、ウソツキ呼ばわりされるタネを自ら蒔いた、とは言える。実際には占領地での慰安所の設置には軍の認可が必要だったし、慰安婦に月に一度か週に一度の性病検査は義務づけるなどの管理はしたし、兵士たちには、行為の時にはコンドームの着用を義務づけるなどの規則を課してもいる。また、慰安婦たちを別の土地へ移送するのは、軍が直接行った。
平成四年一月十一日、吉見義明が「発見」した資料を『朝日新聞』がスクープとして大々的に発表したのが、今日まで続くこの問題の発端である(日本軍のための慰安婦の存在は知られていたし、問題視する動きも日韓双方であったが、大きな問題とはされていなかった)。この時は宮沢喜一首相の訪韓が五日後に予定されていて、朝日の記事はどうやらそのタイミングに合わせたものだった。韓国では反日デモが荒れ狂い、宮沢は謝罪の言葉を繰り返し、真相究明を約束して帰国した。
同年七月、加藤紘一官房長官が調査の結果、慰安所についての日本軍の関与は認めるが、「強制連行したことを裏づける資料は見つからなかった」と発表した。この実情は今日に至るまで変わっていない。しかしそれは、韓国で日本を糾弾している人々が望むような回答ではなかった。と言うか、彼らが求めていたのは、最初から「事実」なんぞではなかったようだ。
たぶんなんらかの政治取引の結果、翌年、宮沢改造内閣で加藤の後を継いで官房長官になった河野洋平による、いわゆる「河野談話」が出る。これは、「(慰安婦問題は)軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」ことを初めて認め、「政府は、この機会に、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げ」たことで、歴史的な談話となった。サンデルも、これを真実としたうえで、冒頭に挙げたようなことを書いている。
事実関係で言えば、この談話の最大の問題は次のくだりである。「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」。
日本と朝鮮半島について言えば、官憲、つまり軍や警察が、慰安婦の募集に「直接加担した」ことを示す証拠は、いっさいない。吉見の『従軍慰安婦』には、彼が韓国でヒアリングをした元慰安婦たちの証言が出ているが、すべて「甘言、強圧」によって慰安婦にされた例であり、それをしたのは韓国人や日本人の売春業者である。その後、軍人によって直接連行されたと言う人も何人か現れたが、その証言の信憑性は乏しい。
中国大陸に関しては、元軍人の手記や回想記の類に頼っている。上官に命じられて、塩と交換に売春婦を譲り受けたり、支配下にある村へ行って、慰安婦を集めるように依頼したりしたのだという。「しかし、軍からの要請は、地元の住民にとっては、ほとんど命令と同じではなかっただろうか」と吉見は言う(P.117)。そうかも知れない。が、これは「強制連行」という言葉で普通に連想されるものとはずいぶん違うのも確かだろう。
かなり近いと思えるのは、東南アジアで起きたいくつかの事例である。昭和十九年にジャワ島スマランで、スマラン事件、別名「白馬事件」と呼ばれる事件が起きた。同地は十七世紀以来三百年にわたってオランダの支配下にあったものを、昭和十七年日本軍が侵攻、現地にいたオランダ人たちは抑留所に収監されていた。スマランにはもともと慰安所はあったが、性病が発症していたため、軍は新たな慰安所の設立を計画した。そこで目をつけられたのが抑留所にいたオランダ人女性である。当地を支配していた第十六軍司令部は、慰安婦を集める際には、強制を禁じ、自由意志で応募したことを示す書類にサインさせることを指示していた模様だが、南方軍幹部候補生隊の将校の中に、これを無視する者が出た。収容所から、強制的にオランダ人女性を連行し、レイプしたうえで、慰安所で働かせたのである(「白馬」とは、「白人女性に乗る」を意味する、日本軍内部での隠語であったらしい)。
戦後、パタピア(現ジャカルタ)で開かれたオランダ軍の軍事法廷で、この時集められた三十五人の女性のうち少なくとも二十五人が強制による売春だったと認定され、日本の幹部候補隊隊長を初めとする軍人・軍医・軍属十三名が、死刑二名を含む有罪となった。これは、いわゆる「BC級戦犯裁判」の一つであるが、アジア各国で、約五千七百人が裁かれた中で、「強姦」だけではなく、「強制売春」の罪名がついたのは、この一件のみである。
これは「日本軍人による慰安婦の強制連行」であることはまちがいない。その他に、フィリピンで、反日活動をしていた女性を捕えて連行し、慰安所のような特定の場所ではないが、軍隊内部で強姦し続けた、との証言はある。しかし、いずれも、「日本軍による強制連行」とは言えない。つまり、個々の軍人による犯罪行為はあったが、軍命として、つまりは大日本帝国の国家意志として、日本軍が、組織的に、一般の女性を狩り集めて慰安婦とした、という事例は一つもない。
何を細かいことにこだわっているのか、という人もいる。日本軍は表面上、合意なしの売春は禁じていたが、それを誠心誠意守ろうとした、とはとうてい言えない。スマラン事件の時も、司令部の意向で、この慰安所は二カ月ほどで閉鎖されはしたが、責任者たちは、日本軍自らの手で裁かれることはなかった。他にも、自分ではやらなくても、業者が不法に慰安婦を集め、日に何人もの男の相手をさせるなど、非人間的な扱いをしているのを、見て見ぬふりをしていたことはあったろう。それなら、日本軍に、ひいては日本人に、なんの責任もない、なんてあるわけないんだから、「ある」と、「男らしく」認めたらどうだ、という。
純粋に道徳の話なら、そうも言えるかも知れない。そのうえ、このような「潔さ」は、日本人好みでもあるかも。この点から見たら、「河野談話」は、そんなに間違っているわけではない。しかし、この時の自民党政権や外務省が、それしか考えずに、この談話を、政府の公式見解として出したとしたら、その呑気さ自体が犯罪的である。
国際社会は、実はどうかよく知らないが、少なくとも日韓関係は、「ちゃんとあやまっているんだから、それで水に流そう」なんてことで収まる段階をとっくに越えていた。今回長々と「慰安婦問題」が出てきた経緯を記したのは、これを明らかにするためだ。この問題は、最初から、道徳問題ではなく、政治問題だったのである。
そこでは、謝罪するということは、自分の悪を全面的に認めたことになり、ではその補償はどうなる、という話に当然なる。実際、そうなった。補償となれば、相手のいいなりに払うわけにはいかないのだから、改めて、事実はどうであったのか、細かく調べなくてはならない。すると、一度自分の非を認めたくせになんだ、ということになる。苦肉の策として、日本は「財団法人女性のためのアジア平和国民基金」、略してアジア女性基金を作り、補償金ではなく見舞金を元慰安婦に出した。するとこれ自体が、日本の国家犯罪をごまかそうとする行為だ、と非難を浴びた。日本は、みごとに罠にはめられたようなものである。
サンデルは、政治学者でもあるはずだが、この本の範囲では、こういうことに対してナイーブすぎるようである。いや、それ以上に、日本なんて国については、たいして興味がないのだろう。
確かに、我々が生きるとは、物語を生きることだ。個人としても、国民としても。そして、雑多な歴史の事実から、一貫した物語を作るためには、嘘はつかないまでも、どうしても事実の取捨選択が行われる。事実の中のあるものを強調することそのものが、他のものを隠蔽する結果になる。それを前回見た。
女性の立場から見たら、日本軍はいかにも、非道なことをした。とはいえそれは、吉見の本にも例が出ている、アメリカ占領軍が、日本のパンパンとかオンリーとか呼ばれた女性たちにしたことに比べて、格別にひどいわけではない。他の国にも、同じような罪科はある。そう言うと、「お前は日本の罪を隠そうとしている」と非難される。一理はあるが、逆に、日本だけが女性虐待をしたかのような言い方は、他国の罪を隠蔽することになる、というのも、同じぐらいの理がある。
道徳的に人を非難するのはやめたほうがいいのではないだろうか。「汝らのうち罪なき者、この女を石もて撃て」というイエスの言葉が、この場合正しい唯一の道徳律である、と私は感じる。
それでは、国家が過去に、他国民に犯した罪はどうなるのか、と言われるなら、それは国家という一種の法人格が存続する限り、法的・政治的な責務もまた続くであろう。それが、サンデルもいくつか例を挙げている、アファーマティブ・アクションまで至るべきものかどうかとなると、今の私にはよくわからない。
それより、次のことは気にならないだろうか。慰安婦を買ったかつての日本人兵士を、我々はただ、「ひどいことをした」と断じられるだろうか? 赤紙一枚で、故郷を遠く離れた戦地に送られた人々が嘗めた辛酸は、今平和に暮らしている我々には想像もつかない。それはもちろん、慰安婦となった女性たちについても言える。
我々は、彼らがしたことをいいとか悪いとかあげつらう前に、我々と彼らの間の圧倒的な差異に思いを致すべきではないだろうか。そしてその上で、可能な限りの思い遣りを持つように努めるべきではないだろうか。同朋意識、つまり同朋としての物語は、そのようにして我々の中に生まれるのだと私は思う。
たぶん、それを教えるのは、政治学でも哲学でもなく、文学の役割であろう。いつか別の機会に、改めてこれを考えてみたい。
サブテキスト:吉見義明『従軍慰安婦』(岩波新書平成7年 平成9年第7刷)
自分の属する共同体の、過去への責務、それも、自分が生まれる前のも、と言われるなら、また別の角度から、教育の問題を考えねばならなくなる。単純に、まず第一に知識が必要とされるのだから。
ソウルへ観光旅行に行って、安重根の銅像を見て、「これ、だあれ?」と、韓国人のガイドに尋ねた日本のお嬢さんが、ムッとしたガイドから説明を聞いた後、「へえ。じゃ、伊藤博文ってだあれ?」とさらに尋ねた。これは小林よしのり『ゴーマニズム宣言』に描かれているエピソードだが、こんな人に日本の韓国に対する植民地政策はどうたら言っても、まるっきり無理なのは明らかだ。自分が体験したことでないものについては、学ばなければ何も始まらない。しかしなにしろ、ものがデカいから、それも簡単にはいかない。
サンデルは、P.271で、ナチスのホロコーストの事例に並べて、日本の「戦争中の残虐行為」である従軍慰安婦問題をとりあげている。が、彼はこの問題についてあまりよく知らない。「一九三〇年代および四〇年代に、韓国・朝鮮をはじめとするアジア諸国の何万人もの女性が日本兵によって慰安所に送られ、性的奴隷として虐待された」という記述は、嘘である。言い換えると、一方的な見方でできたイメージを、歴史的な事実だとしている。
以下は、今では日本ではかなりよく知られている「事実」だと思うが、何しろ、アメリカでは、サンデルのような大学者さえおかしなことを言う情勢なのだから、あらためてまとめておこう。
戦争によって占領地になった地域は、軍政がひかれる。軍隊が行政のトップに座るということで、敗戦後の日本を支配したGHQもその一例である。大東亜戦争中、日本は中国大陸から東南アジアにかけて、たくさんの地域を占領したから、自然に軍政地もたくさんできた。
ここでの大きな悩みの一つは、兵士たちの性欲処理問題だった。放っておけば、現地人女性へのレイプが多発する。それでは、占領者日本への悪感情の火に油を注ぐから、支配がやりづらくなる。もっと大きな問題は、性病の蔓延である。その防止のために、慰安所が必要とされた。当時でもレイプは犯罪だが、売春は、公的に許可される場合(公娼制度)もあった。
日本政府は戦後長いこと、慰安所への軍の関わりを一切否定してきたのだから、ウソツキ呼ばわりされるタネを自ら蒔いた、とは言える。実際には占領地での慰安所の設置には軍の認可が必要だったし、慰安婦に月に一度か週に一度の性病検査は義務づけるなどの管理はしたし、兵士たちには、行為の時にはコンドームの着用を義務づけるなどの規則を課してもいる。また、慰安婦たちを別の土地へ移送するのは、軍が直接行った。
平成四年一月十一日、吉見義明が「発見」した資料を『朝日新聞』がスクープとして大々的に発表したのが、今日まで続くこの問題の発端である(日本軍のための慰安婦の存在は知られていたし、問題視する動きも日韓双方であったが、大きな問題とはされていなかった)。この時は宮沢喜一首相の訪韓が五日後に予定されていて、朝日の記事はどうやらそのタイミングに合わせたものだった。韓国では反日デモが荒れ狂い、宮沢は謝罪の言葉を繰り返し、真相究明を約束して帰国した。
同年七月、加藤紘一官房長官が調査の結果、慰安所についての日本軍の関与は認めるが、「強制連行したことを裏づける資料は見つからなかった」と発表した。この実情は今日に至るまで変わっていない。しかしそれは、韓国で日本を糾弾している人々が望むような回答ではなかった。と言うか、彼らが求めていたのは、最初から「事実」なんぞではなかったようだ。
たぶんなんらかの政治取引の結果、翌年、宮沢改造内閣で加藤の後を継いで官房長官になった河野洋平による、いわゆる「河野談話」が出る。これは、「(慰安婦問題は)軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」ことを初めて認め、「政府は、この機会に、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げ」たことで、歴史的な談話となった。サンデルも、これを真実としたうえで、冒頭に挙げたようなことを書いている。
事実関係で言えば、この談話の最大の問題は次のくだりである。「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」。
日本と朝鮮半島について言えば、官憲、つまり軍や警察が、慰安婦の募集に「直接加担した」ことを示す証拠は、いっさいない。吉見の『従軍慰安婦』には、彼が韓国でヒアリングをした元慰安婦たちの証言が出ているが、すべて「甘言、強圧」によって慰安婦にされた例であり、それをしたのは韓国人や日本人の売春業者である。その後、軍人によって直接連行されたと言う人も何人か現れたが、その証言の信憑性は乏しい。
中国大陸に関しては、元軍人の手記や回想記の類に頼っている。上官に命じられて、塩と交換に売春婦を譲り受けたり、支配下にある村へ行って、慰安婦を集めるように依頼したりしたのだという。「しかし、軍からの要請は、地元の住民にとっては、ほとんど命令と同じではなかっただろうか」と吉見は言う(P.117)。そうかも知れない。が、これは「強制連行」という言葉で普通に連想されるものとはずいぶん違うのも確かだろう。
かなり近いと思えるのは、東南アジアで起きたいくつかの事例である。昭和十九年にジャワ島スマランで、スマラン事件、別名「白馬事件」と呼ばれる事件が起きた。同地は十七世紀以来三百年にわたってオランダの支配下にあったものを、昭和十七年日本軍が侵攻、現地にいたオランダ人たちは抑留所に収監されていた。スマランにはもともと慰安所はあったが、性病が発症していたため、軍は新たな慰安所の設立を計画した。そこで目をつけられたのが抑留所にいたオランダ人女性である。当地を支配していた第十六軍司令部は、慰安婦を集める際には、強制を禁じ、自由意志で応募したことを示す書類にサインさせることを指示していた模様だが、南方軍幹部候補生隊の将校の中に、これを無視する者が出た。収容所から、強制的にオランダ人女性を連行し、レイプしたうえで、慰安所で働かせたのである(「白馬」とは、「白人女性に乗る」を意味する、日本軍内部での隠語であったらしい)。
戦後、パタピア(現ジャカルタ)で開かれたオランダ軍の軍事法廷で、この時集められた三十五人の女性のうち少なくとも二十五人が強制による売春だったと認定され、日本の幹部候補隊隊長を初めとする軍人・軍医・軍属十三名が、死刑二名を含む有罪となった。これは、いわゆる「BC級戦犯裁判」の一つであるが、アジア各国で、約五千七百人が裁かれた中で、「強姦」だけではなく、「強制売春」の罪名がついたのは、この一件のみである。
これは「日本軍人による慰安婦の強制連行」であることはまちがいない。その他に、フィリピンで、反日活動をしていた女性を捕えて連行し、慰安所のような特定の場所ではないが、軍隊内部で強姦し続けた、との証言はある。しかし、いずれも、「日本軍による強制連行」とは言えない。つまり、個々の軍人による犯罪行為はあったが、軍命として、つまりは大日本帝国の国家意志として、日本軍が、組織的に、一般の女性を狩り集めて慰安婦とした、という事例は一つもない。
何を細かいことにこだわっているのか、という人もいる。日本軍は表面上、合意なしの売春は禁じていたが、それを誠心誠意守ろうとした、とはとうてい言えない。スマラン事件の時も、司令部の意向で、この慰安所は二カ月ほどで閉鎖されはしたが、責任者たちは、日本軍自らの手で裁かれることはなかった。他にも、自分ではやらなくても、業者が不法に慰安婦を集め、日に何人もの男の相手をさせるなど、非人間的な扱いをしているのを、見て見ぬふりをしていたことはあったろう。それなら、日本軍に、ひいては日本人に、なんの責任もない、なんてあるわけないんだから、「ある」と、「男らしく」認めたらどうだ、という。
純粋に道徳の話なら、そうも言えるかも知れない。そのうえ、このような「潔さ」は、日本人好みでもあるかも。この点から見たら、「河野談話」は、そんなに間違っているわけではない。しかし、この時の自民党政権や外務省が、それしか考えずに、この談話を、政府の公式見解として出したとしたら、その呑気さ自体が犯罪的である。
国際社会は、実はどうかよく知らないが、少なくとも日韓関係は、「ちゃんとあやまっているんだから、それで水に流そう」なんてことで収まる段階をとっくに越えていた。今回長々と「慰安婦問題」が出てきた経緯を記したのは、これを明らかにするためだ。この問題は、最初から、道徳問題ではなく、政治問題だったのである。
そこでは、謝罪するということは、自分の悪を全面的に認めたことになり、ではその補償はどうなる、という話に当然なる。実際、そうなった。補償となれば、相手のいいなりに払うわけにはいかないのだから、改めて、事実はどうであったのか、細かく調べなくてはならない。すると、一度自分の非を認めたくせになんだ、ということになる。苦肉の策として、日本は「財団法人女性のためのアジア平和国民基金」、略してアジア女性基金を作り、補償金ではなく見舞金を元慰安婦に出した。するとこれ自体が、日本の国家犯罪をごまかそうとする行為だ、と非難を浴びた。日本は、みごとに罠にはめられたようなものである。
サンデルは、政治学者でもあるはずだが、この本の範囲では、こういうことに対してナイーブすぎるようである。いや、それ以上に、日本なんて国については、たいして興味がないのだろう。
確かに、我々が生きるとは、物語を生きることだ。個人としても、国民としても。そして、雑多な歴史の事実から、一貫した物語を作るためには、嘘はつかないまでも、どうしても事実の取捨選択が行われる。事実の中のあるものを強調することそのものが、他のものを隠蔽する結果になる。それを前回見た。
女性の立場から見たら、日本軍はいかにも、非道なことをした。とはいえそれは、吉見の本にも例が出ている、アメリカ占領軍が、日本のパンパンとかオンリーとか呼ばれた女性たちにしたことに比べて、格別にひどいわけではない。他の国にも、同じような罪科はある。そう言うと、「お前は日本の罪を隠そうとしている」と非難される。一理はあるが、逆に、日本だけが女性虐待をしたかのような言い方は、他国の罪を隠蔽することになる、というのも、同じぐらいの理がある。
道徳的に人を非難するのはやめたほうがいいのではないだろうか。「汝らのうち罪なき者、この女を石もて撃て」というイエスの言葉が、この場合正しい唯一の道徳律である、と私は感じる。
それでは、国家が過去に、他国民に犯した罪はどうなるのか、と言われるなら、それは国家という一種の法人格が存続する限り、法的・政治的な責務もまた続くであろう。それが、サンデルもいくつか例を挙げている、アファーマティブ・アクションまで至るべきものかどうかとなると、今の私にはよくわからない。
それより、次のことは気にならないだろうか。慰安婦を買ったかつての日本人兵士を、我々はただ、「ひどいことをした」と断じられるだろうか? 赤紙一枚で、故郷を遠く離れた戦地に送られた人々が嘗めた辛酸は、今平和に暮らしている我々には想像もつかない。それはもちろん、慰安婦となった女性たちについても言える。
我々は、彼らがしたことをいいとか悪いとかあげつらう前に、我々と彼らの間の圧倒的な差異に思いを致すべきではないだろうか。そしてその上で、可能な限りの思い遣りを持つように努めるべきではないだろうか。同朋意識、つまり同朋としての物語は、そのようにして我々の中に生まれるのだと私は思う。
たぶん、それを教えるのは、政治学でも哲学でもなく、文学の役割であろう。いつか別の機会に、改めてこれを考えてみたい。