バラいっぱいのミッキーの庭

自宅のミッキーガーデンの出来事や、日々感動したことを日記風に綴ります

金山城址へ

2017年10月30日 | 

蘭丸ふるさとの森へ

織田信長の厚い信頼を得て小姓から18歳で金山城主を命ぜられ

2カ月後には本能寺の変で信長を守り討ち死にした。

そんなゆかりの地 国史跡の場所です

 

今日は台風一過 しかし青空が広がりながらも結構な風が吹いています

関東では木枯らし1番が吹いたのだとか

いよいよ冬に突入ですね。

 

今日は可児市まで打ち合わせに出かけ

急遽 夫が近くだから金山城址へ行くと言い出し 立ち寄ることになりました。

次の移動先には2時間程しか時間がありません

広い広い生活環境保全林となっていました。

時間が足りません。

次回はお天気の良い日におにぎりを持ってリベンジすることに。

 

駐車場横には、

お見事

アケビ???

でもはじけていない。。。

藤棚の様に棚の上に実がいっぱいなっています。

特大サイズの鶏卵ほどの大きさでした。

ムベの実もアケビにいていると聞いたことが有りますが・・。

それにしても見事な実付きでした。

木々は少し紅葉が始まっていました。

 

 


彦根城へ

2017年09月13日 | 

国宝 彦根城へ

半世紀も前にですが、2度ほど出かけたことはありましたが。。。。

随分前の事 細やかな記憶は抜けています。

今年夏 家族で出かけようとも言っていましたが、滞在予定が取れずでした

今日は一時の暑さからは解放されましたが、ひと汗かいての1日でした

 

彦根城  玄宮園  彦根城博物館 開園記念館 の共通チケットを購入して回りましたよ

築城410年 直虎のドラマ放映 関が原の映画の小道具など

お城以外のイベントブームに沸く彦根城を見ることができました

1600年 関ケ原の合戦の功績から石田三成の佐和山城と旧領を 井伊直政が拝領し

徳川家康より居城を佐和山から磯山に移すよう命じられました

 

国宝に指定されているのは 彦根城 姫路城 松本城 犬山城 松江城 の5城です。

姫路城を除き行ったことがあるお城でした。

姫路城は昔 列車で姫路を通過した時車窓から見たかなぐらいです。

さて彦根城

天守閣まで登りましたよ

天守閣の登り階段は急こう配 両手で手すりに止まり登りましたよ💦

 

天守閣からは琵琶湖が一望できます

博物館では

井伊藩は藩主から家人臣に至るまで 

全ての武士が赤備の朱の軍装で身を固めていたそうです

能楽堂

表御殿に有った能楽堂を復元したものだそうです

 

 

 

 

映画 関が原のロケ小物

 

先日観た映画 その場その場のシーが呼び起こされます

玄宮園

彼岸花がもうすぐでした

お堀の桜は少し黄色く色ついていました

13時を過ぎ

城の隣にあるキャッスルロードへ

 今日はよく歩きました 1万294歩 距離にして6.5k 久しぶりの歩行記録

食事をしたら急に眠くなりました 笑


苗木城跡 その2

2017年09月03日 | 

昨日に続きます

天守閣跡に作られた天守台に上がりました

右奥の雲が乗っかった山が恵那山 そして中津川市 その奥には馬籠宿が 真ん中を流れるのが木曽川

木曽川を右に移動すると

恵那峡や笠置山が見えます 

黄金色に色ついた田も見えますね。すっかり秋の気配です。

天守台

岩山という地形に制約され、苗木藩1万石の大名として利用できる土地の確保が困難であったことから

懸造(かけづくり)↓と言う

巨岩をうまく利用した工法が用いられていました

天守台を回り込むように下っていくと

明治時代この場所に移動したという八大龍王が祭られていました

これはこの城主であると遠山家の守り神

見上げると 💦💦💦岩の上の方に卵型の

こんなに大きなスズメバチの巣が掛かっていました。↓

天守台を取り囲むように石積みが残っています

途中 このようにいくつもの穴をあけ 巨石を割って石積材料にしていました ↓

偶然現地でお会いできたMさん

懇切丁寧な案内をしてくださいました。

2時間程でしたが、暑さも忘れて聞き入ってしまいました。

ステキな人柄にほっこり

そしてこの苗木では

仏を捨てる??

廃仏き釈 を行った藩で

葬儀はすべて神式 寺はすべて廃寺にした

全国的にも珍しいところだそうです

思いがけない社会勉強をさせていただきました。

明治の時、城は財政難で苗木から岐阜に吸収されるとき城を閉城することが条件で

上物はすべて取り壊され、石積だけが残されたという事です。

学術的には傷みもなく、貴重な遺跡だという事で国指定を受けたと説明を受けました

 

今月中ごろからは全国からバスツアーで観光客が押しかけてこられるんだとか。

昨日はまだ観光客も少なく ゆっくりのんびりさせてもらいました。

 

 内緒話

本当はね、急遽出発が決定し、朝 回収ゴミ出しして お出かけすることになりました。

売店は無いという事で、炊飯器の中のご飯をおにぎりにして別袋に入れて

別のトートバックの中に お茶 紙コップ オヤツのお菓子 おしぼり等入れて

さあ出発!

30分程して

アッ忘れた

作ったおにぎり・・・・

取りに戻る時間もなくそのまま出発

結局、中津川の街まで行き14過ぎの昼食となりました

 

 

 


苗木城跡へ その1

2017年09月02日 | 

苗木城跡へ出かけました

(岐阜県中津川市にある)

ここは木曽川の右岸に高くそびえる山城

そして今は城址として、国指定遺跡です

苗木城の城主 遠山氏は、

徳川側だったため、秀吉軍に攻められ苗木城は落城しますが、関ヶ原の戦いの際に城を奪還しました。

それ以降、遠山氏は、苗木城主に返り咲き、苗木藩1万石の大名として、12代にわたり、明治4年まで城主を務めました。

代々城主が変わらず。継がれた城は全国でも珍しいのだとか

現在城は取り壊されていますが、石積は6タイプが残されているんだとか

ここでボランティアの方とご縁がありました

ボランティア予約をと思っていましたが、出発予定が定まらず

申し込みができきないまま現地に出向きました

 

たまたま研修が午後から行われ 事前学習に来たのだとおっしゃられた方にお話を伺う事が出来

懇切丁寧に案内してくださいました。

上のやぐらは天守閣跡 天守展望台として再現されています。

当時は清水の舞台の様に 巨石を土台にして基礎が作られていたそうです

門がいくつも作られ その柱を支えていた土台の石がそのまま残っています ↓

 

ここからは天守展望台へ上ります

この巨石は周りに有ったものをうまく使って組んであるんだそうです

この天守閣が有る頂上部分屋根の下に井戸水が湧き出ていたそうで現在も井戸から湧き出ています

 

天守は このような清水の舞台の様に組まれ その上に天守閣が建っていたんだとか

巨石に柱を乗せていた状態に柱を再現したんだそうです

眼下に木曽川が流れています

 

長文になりますので2回に分けますね。