今日は2人でドライブ
弟夫婦が外泊のため母の食事を2日間頼まれました
昨日電話すると母が直接出て
9時半にお迎えに行くからと約束しておきました が心配になり
(嫁には再度母に迎えの時間メモを残してくれるよう頼んでおきました)
今朝は、7時半に雨が降るけど行くのかと母から電話です
予定通りにねっ。と
行先は 岐阜県関市に有る 名もなきモネの池
以前行ったことが有り母にも見せてあげたいなって。。
朝から結構雨が降っています 近くまで行くのですが有名になりすぎて・・
観光バスが来ていたりで駐車場は満車
降りてからの距離も有り89歳の母が雨の中を歩くのは心配
急遽予定変更
その先には郡上八幡へ抜けるトンネルが。
3キロほどトンネルを走り抜けると郡上八幡
その先の大和の道の駅へ行き昼食です
お庭は雨に濡れシットリ
ランチ定食を頼みましたよ
母も私も完食!
オシャレな道の駅です
ヤマユリが活けてあり
トイレにはツツジ?
帰路についた途中の美濃の道の駅ではこんなイベントが
お手本を見ながら4つのパターンの中からはがきに字を書く
ステキに書けました 89歳返上です 笑
走行距離160k 心地よい疲れです
徳山ダムから長浜へ
八草峠から木之本を抜けて長浜へ行きましたよ。
峠を越えたら竹生島が目前に
車は湖岸道路をひたすら南へ移動です
左手には伊吹山が見えてきました
長浜の街に入ると長浜城が見えます
いつもは通過してしまうのですが、今回は立ち寄ってみようと意見が一致
豊公園に車を止め徒歩で公園内をぬけると長浜城です
木々は色とりどりに色ついています
エレベーターは2階まで
2階は資料館です
賤ケ岳合戦 (天生11年(1583)長浜市木之本長町 賤ケ岳を中心に繰り広げられた戦い)
織田信長の死後 後継者を巡って羽柴秀吉と柴田勝家が戦い
秀吉が勝利をおさめた。その時活躍した小姓たち
当時の秀吉の自筆の書状や槍などが展示されていました
館内撮影禁止 写真は有りませんが、秀吉の達筆な書状など きれいな状態で保存されています
展望台5階 まではひたすら自力で登ります
5階からは伊吹山や合戦がおこなわれた賤ケ岳など一望することができました
お昼は
長浜名物 焼きサバ素麺を頂きました
市内では12軒の取扱店があるようです
公園に近い信州そば処 善光でいただきました
サバを3日間煮込み素麺がタレで絡めてあります (定食を注文)
サバの棒寿司もついています
真ん中の赤いものは 赤こんにゃく この地方の名物です
お店のおかみさんが これサービスと言って琵琶湖の鮎の煮つけを出してくださいました。
写真撮ること忘れていました 汗
琵琶湖の鮎は12センチ程これ以上大きくなれないんだそうです。
その後黒壁スクエアに立ち寄って
店内はクリスマスカラー
1日は早いですね。
日帰りドライブ 徳山へ
1971年着工2008年竣工
総貯水量日本一
全村が水没した徳山ダム
ロックフィールドダム
簡単に言ってしまえばこんなダム
随分前ですが、竣工して徐々に沈んでいくダム 訪れたことが有りました
水没前 この村で民宿を営んでおられた 故 増山たず子さん
村の思い出を写真に
アマチュア写真家として撮り収められ
講演会にも伺ったことが有りました
村民の日常 生き生きとした姿 気さくなおばーちゃん
今も思い出されます
そんな徳山ダムへ今日出かけていきましたよ
ダム湖面を見ていると徐々に沈みいったあの時の光景
学校の白い建物がチョコンと顔を出していたな そこから細い道が。。。。
今はこの水の下に沈んでいます
少し下流にある藤橋城
紅葉が始まっていました
この後八草峠(はっそうとうげ)を抜けて滋賀県の木之本から長浜へドライブです
ごちらは別の記事で。。
古川で昼食
いつものお蕎麦屋さんはお休み 新規開拓 福金寺へ入りましたよ
古川は起こし太鼓で有名な街 地元流葉産手打ちざるそばをお願いして
香り 食感ともに最高!
大イチョウも黄金色
景色もお蕎麦も美味しかった
古川から
高山の街を抜け せせらぎ街道に入りました
いつもの喫茶店 デゴへ
森の中は 別荘らしき建物も増えていました
ログハウスのお店の中は
紅葉狩りのお客さんでごった返していました
窓辺には色とりどり ここも紅葉カラーです
美並で立ち寄った長良川こちらはまだ木々は色ついてはいませんね。
日帰りのお出かけでしたが 目も胃袋も十分楽しめた1日でした