YAMAKOME

気まぐれ山・旅日記

バラ6

2014-05-24 18:50:37 | Weblog
バラ6
 H26.05.24 曇り時々晴れ
 バラは鑑賞するものとばかり思っていたが、香水から食用まであるらしい。それにしてもバラはいろいろと奥が深いなあ。昔、「バラけんか」は良くあったそうだ。あまりのめり込まずに遠くから眺めているのがいいですね。タカナシ乳業さん!ありがとうございました。ちなみに「期限がなく、いつでも鑑賞できますよ!秋にまた来てください!」と受付で言われた。タカナシ牛乳を飲むことにしようかなっと。(写真:バラ園)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バラ5

2014-05-24 18:46:23 | Weblog
バラ5
 H26.05.24 曇り時々晴れ
他に鈴木善幸元総理の奥様のマダムミチコ、鳩山元総理の奥様のマダムミユキの名称のバラもあるそうだ。常に品種が増え続けている。このような状況なのでバラの品種は数えきれないのが実態のようである。それにしてもよくもこのようなきれいな色を出すものだ。自然は凄い。でも「きれいなバラにはトゲがある」と昔から言われている。「きれいでないバラでもトゲがある」ので、最近は良くわからない。(写真:デズニーランド・ローズ。名札が出ていたのでわかった)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バラ4

2014-05-24 18:39:39 | Weblog
バラ4
 H26.05.24 曇り時々晴れ
 バラの分類方法にはいろいろある。原産地別の原種、オールドローズ(一季咲き、、豊かな香り)、モダンローズ(四季咲き、華やかな色形)、花弁の数、花弁の形などがある。たくさんの品種があるのはいろいろと交配を重ねて新品種が生まれてきているのだ。よく人名をつけたものがある。このバラ園にもクイーンエリザベス、カトリーヌ・ドヌーヴ、マリーアントワネット、マリアカラスなどがあった。また、バラには美智子皇后様の名前をつけてプリンセス・ミチコ、エンプレス・ミチコというバラがある。雅子様、愛子様は3つもあるそうだ。皇室関係の女性の名前にちなんだ名称が多いようだ。(写真:名前はわからない)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バラ3

2014-05-24 18:35:41 | Weblog
バラ3
 H26.05.24 曇り時々晴れ
 バラの品種は2,3万種以上あるそうだ。そもそもばらの原産地はどこだろうと調べたら、地球の北半球の温帯域に広く自生しているが、チベット周辺、中国雲南省からミャンマーにかけてが主産地で、ここから中近東、ヨーロッパへ、また極東から北アメリカへと伝播したのだそうだ。また南半球にはバラは自生していないそうだ。なお、日本にもバラの原種が自生していた。(写真:1本の木から6畳ほどの枝に花がいっぱい。カクテルに似ているが・・・。名前はわからない)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バラ2

2014-05-24 18:14:57 | Weblog
バラ2
 H26.05.24 曇り時々晴れ
 最近は毎日100人ぐらいは見学に来るそうだ。場所は相鉄線鶴ヶ峰駅から二俣川駅方面に線路沿いに歩いて10分くらいである。タカナシ乳業という会社で、牛乳を作っている会社である。広大な面積ではないが、いろいろな品種のバラが綺麗に咲き誇っていた。一般に公開してくれてありがたいことだ。ついでに牛乳をサービスしてくれるとなお良いのだが・・・(会社のPR向上になると思うが・・・)(写真:バラの名前は覚えられない)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バラ1

2014-05-24 18:10:58 | Weblog
バラ1
 H26.05.24 曇り時々晴れ
 バラの開花ニュースが話題になっているこの頃だ。近隣の会社が所有するバラ園に行ってみた。工場敷地内なので、受付で見学許可証をもらい首から下げて入園した。とても綺麗だ!満開といったところかな。バラは次々と咲くので、満開期間が比較的長いのであろう。約500本ということであったが、よくぞ管理してきれいに育てているもんだ。(写真:バラ園入口のバラのアーチ(トンネル))
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四季の森公園3

2014-05-24 11:12:46 | Weblog
四季の森公園3
H26.05.24 曇り時々晴れ
北口広場からじゃぶじゃぶ池(水遊び場)、遊具広場、野外ステージと歩いてみた。この日も幼稚園児から小学生までたくさんの子供たちが遠足で来ていた。遊具、ジャンボ滑り台等子供たちにとっては格好の遊びの広場だ。みんな元気よく跳ねまわっていた。引率の先生の気配りは大変だな!
ハイキングコースは3コース(30分、50分、70分)あり、体力に合わせ、或いは見たいところに合わせて歩くことができる。田舎を思い出させる「ふるさとの森」もある。ちなみに最寄りの駅は、横浜線中山駅南口から徒歩約15分。車ならば中原海道沿い、「四季の森入口」標識(注:駐車料金:平日は無料、土日祝日は有料(1回普通車520円))。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四季の森公園2

2014-05-24 11:03:48 | Weblog
四季の森公園2
H26.05.24 曇り時々晴れ
 実はこの日、しょうぶ園の花の咲き具合を見に行ったのだ。残念ながらいくつかの蕾は出ている程度でまだ早いようだ。通りかかりの係員だろうか、「あと2週間ぐらいかな?」と言っていた。四季の森公園は、さくら、菜の花、しょうぶ、コスモス、紅葉等四季折々を楽しませてくれる。まあ何と言っても新緑の香はいいものだ。田舎育ちのオラには心が安らぐ。
 神奈川県には25の県立公園(都市公園)がある。四季の森公園はその一つである。自分の近くにある税金を利用した公園を大いに利用したいものだ!(写真:見ようによっては悲しそうな人面魚。橋を歩くオラにしばらくついてきた鯉。いったい・・・?)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四季の森公園1

2014-05-24 10:55:14 | Weblog
四季の森公園1
H26.05.24 曇り時々晴れ
 四季の森公園に行ってみた。広大な自然豊かな里山といった感じである。ウグイスやらの鳥の声、木漏れ日等、田舎の雰囲気を堪能できた。湧水があり夏には蛍が飛び交う。横浜の街の中にある貴重な田舎(?)だ。公園の中央部分は池になっており湧水がここに集まる。池には鯉、カメがたくさんいる。カワセミのポジション、カメラマンのポジションも決まっている。この日、カワセミ君は出張中か、望遠レンズの4,5人のカメラマン人はヒマそうにしていた。(写真:公園内の池。池の奥・中央がカワセミ、左側(畔の木の陰)がカメラマンのポジション)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畠山重忠公5(駕籠塚)

2014-05-16 09:47:46 | Weblog
畠山重忠公5(駕籠塚)
H26.05.14 晴れのち曇り
 重忠公の人柄は良く、英雄視され、鎌倉武士の鏡とされ、後々に語り継がれたそうだ。これらのほかにも「すずり石水」「矢畑・腰し巻き」「清来寺」「頼朝の鬢ガ池」(頼朝が立ち寄り髪を整えた)など史跡が多々ある。また帷子川(かたびらがわ)は、昔は今の平地ぐらいの所を流れていたものと思われる(親水緑道の高さから想像できる)。鶴が飛来していたらしく鶴舞橋もある(鶴ヶ峰の由来か?)。しばし、地元の昔々を偲んでみるのもいいものだ。暑い中、よくぞ歩いたなあ!(写真:駕籠塚。重忠公の妻が合戦の報を聞き駆け付けたが、重忠公の戦死を聞いて悲しみ、自害した。そして駕籠ごと埋葬された塚)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畠山重忠公4(六ツ塚)

2014-05-16 09:14:16 | Weblog
畠山重忠公4(六ツ塚)
H26.05.14 晴れのち曇り
 北条時政(北条政子(頼朝の妻)の父、初代執権)は、重忠公を幕府に背く謀反者として討伐を企てた。そして重忠公を鎌倉に呼び出すことになった。この時、北条義時(時政の次男、後に2代執権)は重忠公の討伐に反対したが、やむなく鎌倉幕府軍として兵を出した。重忠公は鎌倉行きの途中で義時の鎌倉幕府軍の大軍と戦うことになった。その戦場が鶴ヶ峰、二俣川付近である。幕府軍は数万騎(現在の万騎が原に布陣)、重忠公は134騎。勝ち目のない戦であったが、「陰謀などない!」と唱えつつ潔く戦い戦死した。(写真:六ツ塚(薬王寺内)。畠山重忠公ら戦死した一族郎党134名を六つに分けて埋葬した塚)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畠山重忠公3(鎧の渡し)

2014-05-16 09:05:41 | Weblog
畠山重忠公3(鎧の渡し)
H26.05.14 晴れのち曇り
 ちなみに、頼朝は相模川にかけられた橋の供養に出かけた帰り道に落馬したのが原因で亡くなったと言われている。その死の間際に重忠公を枕元に呼び、頼朝亡き後の子供たちのことを頼んだそうだ。その後、強い指導者を失った鎌倉幕府は、北条家が絡んだ権力争いとなった。この権力争いに重忠公が巻き込まれた。(写真:鎧の渡しの跡。昔は舟を使って渡るほどの幅が広い川(今の帷子川)であった。武士は鎧を脱いで歩いて渡ったことから「鎧の渡し」となった。重忠公の首洗い井戸もこの付近にあった。旭区役所の裏側)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畠山重忠公2(首塚)

2014-05-16 09:03:43 | Weblog
畠山重忠公2(首塚)
H26.05.14 晴れのち曇り
重忠公は、源義経と共に平家との戦いで功績を遺した。その後、義経が頼朝と対立して京を追われることになる。これをかくまった奥州藤原氏を打つために頼朝は奥州征伐に旅立つが、この時の頼朝の命で先陣を切ったのは畠山重忠公であった。(写真:重忠公の首塚。旭区役所の裏側)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畠山重忠公1(畠山重忠公碑)

2014-05-16 08:58:04 | Weblog
畠山重忠公1
H26.05.14 晴れのち曇り
 暑い!関東、東北の一部で真夏日とか。我が地元、鶴ヶ峰に残る史跡の畠山重忠公を訪ね歩いた。以前から気になっていたので、今日はその探訪である。重忠公は、菅谷(埼玉県比企郡嵐山町)を本拠としていた。重忠公は源頼朝に大変な信頼を受けた。平家との戦いでは源義経と共に一の谷の合戦「ひよどり越え」等で活躍した。その後の鎌倉幕府を開設に力を尽くした武将である。しかし、頼朝亡き後、鎌倉幕府の執権を握った北条時政の策略で戦死したが、その戦場、戦死場所が鶴ヶ峰付近である。(写真:畠山重忠公碑。水道道と厚木街道の交差点。いつも通っている場所だが、車なので・・・)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緑のカーテン2

2014-05-15 09:17:50 | Weblog
緑のカーテン2
H26.05.13 曇り
 今頃の時期のゴーヤには、水をやりすぎると根が弱くなる、或いは枯れさせてしまうことがある。出来るだけ水をやらずに、根が水を求めて成長する、いわゆる丈夫な根を作ることが大切だそうだ(人間と同様、「若いうちは甘やかして育てるな!」だそう)。また、ゴーヤは6,7葉で親づるの芽を摘むのである。後に葉の付け根から子づるが出てくる。この子づるに実がなるのである(親づるを伸ばしても絶対に実がならないらしい)。去年は、2本の苗で、孫づる、ひ孫づるから実をとったが、かなり収穫があった。今年は6本なのでゴーヤが主食になりそうだ。なお、ゴーヤは雄しべが7~8割、雌しべ2~3割で雄しべの競争率(?)が激しい・・・。人間の世界でなくてよかった!?(写真:我が家のゴーヤ。もうすべて親づるの芯芽は摘んだ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする