4/12 16:20 ルビーは天使に戻りました。
今年1月のルビー
元々天使だったルビーは、私たちのために天から舞い降りてきてくれました。
この話は下の過去の記事をどうぞ。
お店をたたむと決めてから、金銭的にも精神的にも苦しい日々でした。
子はかすがいと言いますが、私たちにはルビーがかすがいでした。
本当にルビーのお陰で12年間頑張ってこれました。
車がなく、コロナということもありいろんなところに遊びに行けなかったのが心残りです。
4/12の前日の夜、ルビーの右足が浮腫んでいました。
あの細い脚が、ぶよぶよになっていたのです。
脱腸の後の膨らみにも水が溜まっていたので(手術後水が溜まるのが早かったです)
翌朝、水を抜きに行こうと決めていました。
寝る前に少しぼーっとする作用のある痛み止めの座薬を入れたのですが、夜中は息が荒くじっとしていられないようで、ヨロヨロとあちこち移動するので、付いて回り一晩中身体を撫でていました。
朝方少し寝れたかな。
朝になると脚の浮腫は、まだ残っていたもののびっくりするくらい取れていました。
もうルビーは食欲もなく、立っていることがしんどそうな状態でした。
先生に昨日からの状況を説明して、痛くないように苦しくないように、そして食欲が出るように処置をお願いしました。
注射を打ってもらい水を抜いてもらうと楽そうな顔になり、立ち上がりました。
犬の顔色ってわかるものなんですよね。
ルビーは今晩から明日が山場かなと思い、また仕事を休むことになりそうだったので、午後から出勤しました。
何となく夜までは持ちそうだと思ったのと、もし死に目に会えなかったとしても、死に目に会うことが大事なことじゃない、となぜか思えたので。
相方さんは1回メールで状況報告をくれていましたが、帰ると相方さんが玄関で待っていて私をハグしたので、玄関で大声で泣きました
まだ体が温かかった。
ルビー、間に合わなくてごめん。
私の帰りを頑張って待っていてくれたのに、遅くなってごめんね。
でも大好きな相方さんの腕の中で、苦しまずに息を引き取ったそうなので良かった。
夜は、私と相方さんの間に置いて寝ました。
次の日の朝、寒くて目が覚めました。
私はベッドで壁側に寝ているのですが、ルビーはいつも私と壁の間に入って来て寝ていました。
相方さんと私の間ではなく。
相方さんは体温が高いから、ルビーも体温高いし暑いんだろうと思ってたんです。
でも、そうじゃなかった・・
私が寒がりだから、冷え性だから、私を温めるために私の側で寝てくれてたんだ。
それに気づいて朝から号泣してしまいました
起きてからルビーの着ていた服、とくに最近着ていた冬物を中心に箱に詰めたら、ルビーの匂いがする香り箱が出来上がりました。
なんか分身を作ったみたいな気がして嬉しかった。
そしてルビーが入る大きさにした箱に初めて買った服を敷き、伯母に絣で作ってもらった1回も着てない夏用のコートをかけ、花を入れてお昼くらいに市の火葬場へ持って行き荼毘に付しました。
お友達が大好きだったから、みんなと一緒の方がいいかなって。
帰って来てからはあまり何かやる気にならず、何かにつけて思い出しては泣いてグダグダ過ごしました。
翌日起きて朝の支度をしている時ふと、子供が独立して家を出て行った後ってこんな感じじゃないのかな、と思いました。
私は子育ての経験がないからわからないけど、結婚して2人での生活が始まり、子供が産まれて子供との生活になり、子供が結婚して家を出た後また夫婦2人の生活に戻りますよね。
一緒に暮らせなくて寂しいけど、子供が元気で仲良く幸せに暮らしていてくれたらいい、みんなきっとそう思っていると思います。
ルビーもそう思えば辛くないな、と。
会えないけど、お友達と思いっきり走り回って楽しく幸せに暮らしているなら、それでいい。私たちが寂しさに耐えればいいだけだから。
だからルビーは死んだんじゃなくて、遠いところで生きてる。
そう思ったら、とても気持ちが楽になりました。
宗教って、こんな感じで生まれたんだろうな。。
相方さんは「ボクはたくさん可愛がってもらったから、あとは自分がいることで出来なかったことを2人でやって仲良く暮らして」ってルビーは言ってると思うって。
しばらくはやっぱり泣いて暮らすと思うけど、そのうち懐かしい思い出になると良いなぁ…
これからは休みの日に2人でルビーと歩いた道を散歩しようと思います。
そうじゃないと、相方さんは特に引きこもりになりそうなのでね
ルビー、ありがとう
また会おうね
今年1月のルビー