日本語の「田舎」という言葉は面白い。
ヒット大地は、少年時代、北海道に住んでいた。
その頃・・・ヒット大地、
「田舎」という言葉を、差別用語のように感じていた。
確かに、大東京や大阪や京都から見ると、
北海道は、すごい僻地に感じられた。
ヒット大地は、
「自分は、間違いなく、田舎者だ」
そう思っていた。
ところが、東京に出てくると、
ヒット大地は、よく尋ねられた。
「田舎どこ?」
「え?・・・(こいつ、俺をバカにしているのか?)」
そのうち、気づいた。
そうじゃなかった!
東京の人は、「田舎」という言葉を、
「ふるさと」・・・と同じ意味で使うのだ。
つまり、「田舎」という言葉に対して、
むしろ、いいイメージを持っていた。
特に、北海道に対して、東京人は、
好いイメージを持っていた。
理由があった。
ちょうど、その頃(昭和46年)、
日本の大都市は、公害で悩まされていた。
全国的にも、イタイイタイ病や、四日市ぜんそく・・・など、
深刻な公害問題が発生していた。
今でも思い出す。
東京の幹線道路は、真っ黒な排気ガスのトラックが走っていた。
東京を流れる神田川は、ゴミの川だった。
(その頃、かぐや姫の『神田川』が流行っていた)
また東京の住宅事情も悪く、おまけに昔は子沢山だった!
しかも三世代同居!
たとえばタレントの木の実ナナは、子供の頃、
6畳一間に親子6人で暮らしていた!
そういう家族は多かった。
その頃の東京は、汲み取り便所も多かった。
物価も高かった。
田舎でそこらに落ちているクルミが、10個200円くらいで売っていた。
蕗の薹(フキノトウ)も売っていて、「え、これ、食べられるの?」と思った。
北海道の道端には、蕗(フキ)や蕗の薹は、いくらでも生えていたからだ。
ってわけで・・・
東京人にとっての田舎・・・とくに北海道は、
「広々とした、空気のきれいな、いいところ」という、
いいイメージを持っていたのだ。
先日、「オッパイ」について述べたが、
「差別用語」は、とても奥が深い。
漫才師が、刑務所に慰問に行った。
いつもの「泥棒のネタ」で、笑わせようした。
しかし囚人は、誰一人も笑わなかった。
「片手落ち」や「四葉のクローバー」さえも、
差別用語になりうる。
言葉は、状況により、
「いい言葉」にも「差別用語」にも変わる。
現在、ヒット大地、大都会の東京に住んでいる。
しかし、同時に、「ものすごい田舎者」でもあるわけで、
おかげで、いろいろな人の気持ちがわかってうれしい。
石原慎太郎は、少年時代の一時期、
北海道の小樽に住んでいた。
そういう経験が、「東京の空気を、小樽のように、きれいにしよう!」
という運動につながったのだろう。
日本の指導者は、
都会と田舎の、両方の視点を持っていないといけない。
でないと、本当の意味で、日本を、良くできないぞ。