♪大地一人のスカイツリー暮色♪

有料版/運命鑑定
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今日は、母の誕生日

2013-04-08 18:41:29 | 日記

今日4月8日は、ヒット大地の母の誕生日だ。

大正13年に、一人娘として生まれた。

 

名を、竹林トキ子と言った。

 

生家は、北海道の旭川市のお菓子屋。

裕福な家で、「ばあや」もいた。

 

少女時代は、ずっと軍国主義の中で育った。

旭川は、全国でも有名な軍都であった。

 

学校の成績はきわめて優秀で、

旭川高等女学校を首席卒業。

オール甲だった。

 

だが、女学生時代、母を亡くし、

また父も浪費家で、生家は少しずつ傾いていった。

 

女学校卒業後は、

小学校の教員となったが、

その後、ある大手電気会社で働いた。

 

その頃、短歌に興味を持ち、

死ぬまで、作り続けた。

 

26歳の頃、

九州佐賀市にいたヒット大地の父親と見合い結婚。

 

昭和30年まで、そこに留まった。

父は、工場を経営していた。

 

その後、一家で、旭川に、移り住み、

一年くらいしてから、北見市に引っ越し、スーパー経営を始めた。

 

しかし、一年くらいしてから、

性格の不一致で、夫婦関係が悪くなり、

母は、3歳のヒット大地を連れて、北陸の富山に家出した。

 

富山には親戚がいたのだ。

 

その後、金沢の老人ホームで、賄い婦をしたが、

結局、離婚し、

ヒット大地は、4歳で、母と別れた。

 

19歳のとき、ヒット大地、母と再会した。

 

ヒット大地、母と一緒に暮らしたかったが、

母にも新しい家庭があり、小さい子供もいたため、

結局、母とヒット大地は、一緒に住めなかった。

 

すごく残念だった。

 

その代わり、手紙のやり取りは、ずいぶんした。

 

母は、エッセーがうまく、

4冊ほど本を出版して、国会図書館に残っている。

 

エッセーによると、ヒット大地の子供時代は、

本当に誰にでも愛された・・・ということだ。

 

母性愛も急に、怖くなるほど、沸いて来たそうだ。

ヒット大地のオシッコを、ペロペロなめても平気とか、書いてあった。

 

その中の一冊に、ヒット大地の1歳のときの写真が載っている。

 

佐賀市で撮った写真だ。

 

ヒット大地、国会図書館に行けば、いつでも、

1歳の自分に逢える。

 

生存中は、お互いの家庭のことで、ごたごたがあった。

 

だから72歳心不全で亡くなった母を、看取ることはできなかった。

 

でも、現在の母は、霊界で、ヒット大地を心より応援してくれている。

 

ヒット大地、心身ともに健康で、こういうブログを書けるのも、

母のおかげもある。

(むろん、神様に感謝するのが一番だが・・・)

 

現在、母とヒット大地の絆は、誰よりも深い。

 

ヒット大地、母の影響で、短歌も作る。

 

~ 生きしとき 世のしがらみに 涙せど 

          死せる御霊に 思いは深し ~

 

 

 

 

 

 

 

 


とっておきの、世界的歌手?

2013-04-08 11:27:49 | 日記

今、世界中・・・とくに、アメリカとイギリスで、

大注目されている女性のシンガーソングライターがいる。

 

ロンドン生まれのAdeleだ。

 

アデルと呼ぶ。

 

1988年生まれ。

 

案外美人だが、超美人とは言えない。

 

彼女の歌は、女の気持ちを、

正直に告白する。

 

それがゆえに、世界中の女性の支持を集める。

 

日本で言えば、中島みゆきか。

 

失恋の歌が多い。

 

その中で、『Someone Like You(あなたに似ている男・・・・ヒット大地の訳)』は、泣かせる。

 

ヒット大地は、感動した。

 

彼女の歌のベストと言っていいだろう。

 

失恋の歌だが、

 

歌詞の出だしは・・・

 

昔の恋人が結婚したことを知らされる。

 

昔の恋人が理想の女を見つけたことを知らされる。

 

主人公の女は思う。

「きっと新しい女は、自分のできないことが、できるのだろう」

 

・・・この辺は、中島みゆきにソックリ。

 

だが、次が違う。

 

昔の男に会いたい!・・・と思うのだ。

 

招かれざる客であることは承知で、会いたい!・・・と思うのだ。

 

日本でも、こういうのは、よくある。

昔の女が、男の結婚式に現れる。

女は泣き叫び、修羅場を演じ、結婚式をぶち壊す・・・

 

だが、そういうのとは、違う。

 

『Someone Like You』の主人公は、とにかく、

男に、「自分のことを忘れて欲しくない」と思い続けたのだ。

 

「一度でも自分の顔を見てほしい。自分のことを、思い出して欲しい」

と、思い続けるのだ。

 

昔は、驚くほど楽しかったではないか!

輝き(glory days)に満ちていたではないか!

 

だから、この恋は、まだ、自分の中では終わっていないんだ。

 

だから、あなたに会いたい!

私のことは忘れて欲しくない!

 

会ったらどうするか?

 

男よ!心配することはない!

 

私は男に告げたい!

「将来私は、あなたに似ている男を見つけるだろう!

そして今、私は、あなたの幸福を願っているだけだ!」

 

ここら辺が、泣かせる。

 

最後に主人公は言う。

 

昔あなたが言った言葉を思い出す・・・・

「愛はすばらしいが、その代わり、ときどき、傷つくこともある

(Sometimes it lasts in love but sometimes it hurts instead)」

 

そして・・・・

「愛が、これほど、甘く苦いものだとは・・・・昔の私は知らなかった!」

 

Adeleは、母子家庭で育った。

2歳のとき、父親が、家を出て行った。

 

このあたりは、ジョン・レノンの生い立ちと似ている。

 

『Someone Like You』は、父親のことかもしれない。

 

Adeleの2011年1月発売のアルバム『21』は、

全英と全米で、アルバムチャート1位になった。

 

これからも、Adeleには注目だ。

 

 

 

 

 

 


学生運動を、すごくバカにしていたヒット大地

2013-04-08 02:33:02 | 日記

先日も、連合赤軍のことをブログに書いたが、

ヒット大地の高校生、大学のころ、

日本の学生運動は全盛期だった。

 

昭和40年代のことだ。

 

日本の学生は、非常にしばしば

学生運動を行っていた。

 

最初は、穏健に構えていた学生も、

ある日突然、

「我々は~、米帝国主義に~、断固反対し~」

などと叫び出すことも、ときどきあった。

 

また、「我々は~」と叫ばなくても、

普通の学生だって、しばしばデモに参加していたし、

さらには、他学校の学生運動を支援したりしていた。

 

過激派はよく「革命」という言葉を口にしていた。

「日本も、ソ連や中国のように、革命を成功させ、プロレタリアート中心の政府を作ろう!」

というわけだ。

当時、ベトナム戦争の真最中だった。

彼らは言った。

「ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)や北ベトナムも頑張っているから、

俺たちも、頑張ろうじゃないか!」

 

また徴兵制のアメリカでも、広くベトナムに反対する運動が行われていた。

いや、世界中で反戦運動が、行われていた。

またパレスチナ解放運動に同調する学生もいた。

そういう世界的な流れの中で、日本の学生も、世界に同調していたわけだ。

そういう意味では、日本の学生は、真の主体性がなかった・・・?

なお一般学生は、当時、「小ブル(プチブル)」と呼ばれていた。

「小さなブルジョワジー」という意味だ。

 

このころ、学生と高校教員は、よく議論をした。

高校生から、教員は「受験テクニックを教えるだけの、

文部省の飼い犬」などと呼ばれていた。

 

大学教授も、大学生に軟禁され、「自己批判せよ」などと詰問されていた。

今では考えらない事態だ。

(自己批判は、「総括」という言葉を使っていた)

 

そんな中、ヒット大地は、

完全なノンポリであった。

 

ノンポリとは「non-political」のこと。

つまり、「政治および学生運動には関与しない(または関心がない)」・・・という意味だ。

 

この言葉は、当時、非常によく使われていた。

 

ヒット大地は、本当に、完全なるノンポリであり、

アリンコの鼻クソ0.1mgほども、学生運動はしなかったし、

ノミのワキ毛一本ほども、政治活動とは無縁だった。

 

なぜか?

 

大きな理由があった。

 

ヒット大地、心の中では思っていた。

「確かに、学生運動で、ある程度、社会は変るだろう。

でも、革命なんて、絶対無理だぜ」

 

ヒット大地、「学生運動なんかしても、基本的に、世の中、変らない」と思っていた。

 

ただし、こうも考えていた。

「もしも学生たちが、本当に、労働者たちと手を結べば別だ」

 

そしてこうも考えた。

「学生と労働者の戦いが、日本の中産階級の共感を得れば、もっと変ってくる。

なぜなら、中産階級こそが、日本で一番人口が多い階層からだ」

 

ただし、中産階級の思いは、選挙で明らかになる。

とすれば、政権与党の自民党は、票を得るために、うまく中産階級に取り入って、

中産階級の不満を解消するだろう。

(つまり、中産階級が、革命に参加することは、ありえない!)

 

 

そして、ヒット大地は、最終的に、こう考えていた。

「もしも本当に革命を成功させたいならば、

中国・ソ連との提携が必要だ。

また自衛隊や警察の中にも、シンパを作らないとダメだ」

 

具体策も、ヒット大地、考えた。

夜中に、漁船で、海上に乗り出し、

中国やソ連から、大量の大型武器の援助を受けるんだ。

でも、ま、漁船程度じゃ、大した武器を運べないが、

少なくとも、こういうことを発想しない限り、

革命などは、夢のまた夢だ・・・こう考えていた。

 

ベトナム戦争も、そうだろ?

北ベトナムは、中国やソ連の援助があったからこそ、

アメリカと戦い続け、勝利できたわけだ。

ベトナムだけの力じゃ、天地がひっくり返っても無理だぜ。

 

ところが学生運動の実情はどうだったろうか?

 

なんとも滑稽なことに、

最も過激な集団のひとつ革命左派(京浜安保共闘とも呼ばれる)は、

交番襲撃で、警官から拳銃を奪うことを真面目に考えていた。

 

また栃木県の真岡銃砲店で、銃を奪うことを、

最大の武力闘争と位置づけていることだ。

 

悲しくなるほど、滑稽な話ではないか!

だろ?

 

警官からピストルを一個奪って、何になるというのか?

・・・しかも、これは失敗している。

 

銃砲店からの武器奪取は、まだ意味はあるが、

これだって、3人で行動したんだが、

得たものは、猟銃10丁、空気銃1丁、銃弾約2300発だった。

 

猟銃10丁を得て、何をするというのか?

かえって、こういうことをすれば、

警察の捜査や追及が厳しくなり、

自壊への道しか待っていないだろう。

 

ただし、爆弾の製造は行っていた。

これで大きな被害を与えたこともある。

三菱重工爆破事件などだ。

 

でも爆弾で、革命を起こせるとは思えないし、

爆弾の一番良くない点は、

一般市民にも、生命の被害を与える点だ。

 

これ、致命的な欠点だ。

 

サリン事件がオウム真理教団を崩壊に追いやったのは、

一般市民を犠牲にしたからだ。

 

そういうことに気づかなかった学生運動は、

本当に、バカだったし、哀れだ。

 

しかも、過半の学生たちは、エリート気取りで、

労働者を、同志ではなく、「自分たちに従うべき無知のオルグすべき者」と考えていた。

(オルグとは、「自分の組織に引き込むこと」)

 

・・・以上を、当時の流行の言葉で、「総括」すると・・・

 

 

また学生運動の過程で、死んでいった学生たち(または元学生たち)は、

なんとも残酷な言い方だが、犬死・・・と言わざるを得ない。

 

一番滑稽なのは、

ある種、毛沢東を気取っていた森恒夫(連合赤軍・,最高幹部)だ。

 

最後は、拘置所の独房で自殺したことは、

いかに彼が小心者だったかの証明だ。

 

彼(および永田洋子)がリンチ殺人を犯したのは、

革命とか正義よりも、むしろ個人的な恨みや好き嫌いや権力闘争に属するもので、

決して許されることではない。

また、自分の心の弱さや不安感を、他人に投射し、乗り越えようとする、

自分勝手な動機によるものだったとも言える。

(そんな森恒夫も、最後は、キリスト教に関心を示したという)

 

・・・などと偉そうなことを書いたが、
ヒット大地、学生運動に、憧れる部分も、少しはある。

 

それは、蟷螂の斧と言えど、

集団を作り、悪に歯向うことは、

正しい場合もあるからだ。

 

彼らが、命を懸けてやっていたということは、

いかに理想主義で愚かなこととは言えど、

憂国の純真な部分も、なくてはできない。

 

つまり体制側が、

国民を搾取しようとしていることも、

紛れもない事実なのだ。

 

なぜなら、「この世の富を皆で分ければ、

全員が幸福になれること」も、紛れもない事実だからだ。

 

ところが、小数の、金の有り余る奴がいて、

たとえば、秋元康のような男は、

ラスベガスのカジノで、一日、1億円以上!も、負けることもあるという。

 

実にバカげた話だ。

 

1億円あれば、ヒット大地、

毎日、5つの面白い真実のブログを書き、

その他、電話・メール相談や、講演活動・・・など、

朝から晩まで、24時間、

弱者救済に、まい進することだろう。

 

というわけで、

学生運動を全くしなかったヒット大地は、

基本的に、「群れることよりも、一人の活動が好きな人間」なのだろう。

 

そういうことも、反省もこめて、しみじみ思っている。

 

そして、もうひとつ・・・

少年のヒット大地はいつも思っていた。

「俺は、複雑な家庭に育って苦労した。

世の中が共産主義になっても、この人生問題は解決できないだろう。

つまり、共産主義バンザイと言う人は、ある意味で、

本当の人生を知らない幸福な人たちなのかもしれない。

あるいは、共産主義を利用して、権力を握りたい人たちも多いだろう」

・・・こう思っていた。

 

ヒット大地はいつも、「どんな人間でも救いたい」と思っていた。

(ま、当然、実際は、無理だということもわかっているが・・・)

 

世の中には、いろいろなタイプの人間がいるもんだね。