現在、世界中で、いろいろな悲惨な戦いが起こっている。
その一つが、イスラム教の問題だ。
イスラム教国では、どんな抗争が起きているか?
答えはこうだ・・・
キリスト教徒、ユダヤ教徒との抗争を初め、
現政権への不満、共産主義者との連携、民族問題、反政府勢力など、
さまざまな血で血を洗う抗争が行われている。
これ、悲惨の一言だ!
イスラム教国の抗争の特徴は、
自爆テロが多いことだ。
繁華街や公共交通の中で、
自爆し、多くの死傷者を出すんだな。
ヒット大地は、若い頃から、一貫して、予言していた。
「イスラム教の問題は、
今後の世界史で、ものすごく大きな問題になる!」
そして、その通りになっている。
イスラム教の問題で、一番大切なことがある。
これは、誰も指摘しないので、ヒット大地が言わざるを得ない。
ヒット大地は昔、イスラム教を信仰し、
コーランを熟読したんで、
よく分かっているんだよ。
以下、ずっと昔に、ある場所で発表したものを、そのまま載せる。
文体は、昔のままだ。
分かる人は分かるだろうが、
これが、今世界で、一番の根本にある問題なんだ!
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最後は殺されても言いたいこと 大地一人
昔の私の文章に、
「自分は、主な宗教はぜんぶ、渡り歩いた」・・・
と書きました。
私が生まれたのは浄土真宗の家・・・
20代でキリスト教の洗礼。
一時コーランを読み感動・・・
自称イスラム教徒でした。
その他、禅宗は大好きです。
毎日利用しています。
日蓮宗もとてもよく理解できます。
法華経は大好きな経典です。
新興宗教の天理教は、何となく親しみを覚え、
その他、神道も日本人である以上、
理解できます。
以前にも書きましたが、
中学一年生の時、
高貴な仏像を思い浮かべて、6個のサイコロを振ると、
「111111」とか「112233」の目ばかり。
要するに、仏像には深い意味があるからでしょう。
なお現在私は、どの宗教にも不即不離の関係にあります。
つまり「私の宗教」を信じている・・・というのが真実です。
現在、私は思います。
オウム真理教などのカルト以外は、どんな宗教を信じていいし、
それを否定するのは、偏狭な人だと。
ところで、過去にいろいろな宗教と接していると、
それぞれの欠点もよ~くわかります。
ただし欠点は長所にもなっています。
たとえばキリスト教の「処女懐胎」。
これは実際に不可能なこと。
でも、それを信じることは、
みだりな性行為を予防する効果があります。
日蓮宗は、排他的な宗教ですが、
これだって「自分の精神」を集中できる長所につながります。
・・・ところが、欠点が大きくなりすぎると、
矯正も必要かなと思います。
たとえば「原理主義」・・・
(原理主義って何?
答え・・・「啓示書に一字一句従う」をテーゼとしています)
しかし、これはそもそもおかしいわけです。
なぜなら・・・
もしも私たちが自分の子供に注意をするとき、
冬ならば・・・「厚着をしなさい。風邪をひくから」
夏ならば・・・「薄着をしなさい。熱中症になるから」
・・・と言います。
つまり、TPOにより別のことを言うのが、
本当の親の愛情です。
にもかかわらず、2000年、1500年前の啓示の書に、
一字一句、忠実に従っていれば、
本当に「冬に薄着をして、風邪をひく」でしょう。
コーランを熟読し、深く感動したのですが、
ところどころ、とても気になりました。
たとえば「一日5回お祈りをせよ」と書いてありますが、
アッラーの神様は「旅行中などは、気にすることはない」・・・とおっしゃいます。
万事、このような調子であり、
アッラーは、大変慈悲深い神様なのであり、
「神を唯一信仰せよ」とか「男女平等」とか
基本テーゼさえ守れば、
TPOにより、細部は無理して守ることはない・・・
とおっしゃっているように私は理解しました。
細部とは・・・
「豚肉を食べるな」とか「4人まで妻と結婚できる」とか
「女性は顔を隠すのがいい」とか「一日5回お祈りをせよ」
とか「飲酒をするな」とか・・・などのことです。
たとえばワインは身体にいいもの。
しかも南欧ではブドウを放っておいても、自然とワインができます。
「これを飲むな」とアッラーの神様がおっしゃるはずはないと思いました。
ロシアの寒冷地では、凍え飲まないと、凍え死ぬこともあります。
ところが砂漠の地では逆です。
多量にワインを飲めば、脱水症状。
死んでしまいます。
一時が万事この調子であり、
コーランの細部規則は、
「7世紀ころのアラブ地方の住民に対しての規則である」
・・・と、私は結論付けました。
セポイの反乱(1857年)は、銃に豚の脂肪を使ったことから発生。
皮膚が薄い豚は、砂漠には似合わない生き物。
でもドイツや日本などでは、
生きるためにどうしても必要な家畜でした。
豚肉を、100%厳密に拒絶するのは、
すばらしいコーランを貶める結果になります。
女性が顔を隠すのも、
暑い砂塵の地では、必要なこと。
でも、これを全世界に広めるのは、いかがなものでしょうか?
仏像を壊す・・・タリバンたち・・・
仏像は砂漠では必要のないものですが、
森の中では必要なもの。
私が少年時代、仏像を思い浮かべると、
サイコロの「111111」が出た理由がここにあります。
原理主義者に申したいです。
コーランはTPOをわきまえて、理解すべきです。
すると、イスラム教の素晴らしさが、
もっと世界中の人々に、理解されるのではないでしょうか?
(私自身、今でもイスラム教は大好きです)
以上のことは、どんな宗教にも当てはまります。
原理主義者たちが、宗教をダメにしている部分もあると思います。
でも過去にこんなことを言う人は、殺されました。
「コーランは一字一句。絶対だ!」
「聖書は隅々まで絶対に正しい!」
過去、何と多くの人たちが命を失ったことでしょう。
日本でも、大学教授が殺されています。
しかし私は、この世に生を受けた愚かな凡人ながら、
自分が正しいと思うことは、言います。
言いたいことを言わない人生とは、
どんな意味があるでしょう?
いつまで経っても、
馬鹿げた宗教戦争が続くのは厭です。
神様は決して戦争を望まれるはずはないのであります。