ヒット大地、
先日、自分のブログ順位が4位になった・・・と書いた。
(その週のブログ順位は、全体で15位だった)
しかし、俺はうれしくもなかった。
偶然だと思ったし、
そんなことよりも、俺は、
一人でも、現実に困っている人を助けたいからだ。
それが、俺のブログを書く目的のすべてだ。
現在は、必然的に、急降下で、100番台になっている。
大変、結構なことだ。
読者数なんて関係ないからだ。
それにしても、今日はとても気持ちのいい一日だった。
なぜなら、宇宙人や霊界人にコンタクトを取ってみると、
「ヒット大地よ!今日のブログは最高だったぜ!」
と褒めてくれたからだった。
「神様=イトーヨーカドー」というアナロジー、
とても、わかりやすかった・・・とのことだった。
俺のブログは、多くの宇宙人や霊界人に読まれている。
なぜか?
その理由は・・・こうだ。
60歳にもなって、
地球という特別汚れた惑星の中で、
純粋に、神を真剣に信じている・・・
それが実験的に、成功するものなのかどうか?
・・・・大変興味がある・・・とのことだった。
いわば、ドブの中で、鮎が生きるようなもので、
普通は絶対無理なのだが、
いろいろ努力して、しかも、自分ばかりでなく、
他人も助けようと頑張っている、
そんなヒット大地を、応援したいとのことだった。
これが15歳とか20歳とか、そういう年齢なら、可能だ。
でも、60歳で頑張るのは、普通は絶対無理・・・と彼らは思っているらしい。
そしてまた、俺のブログの現実の読者たちも、
宇宙人や霊界人には、よく知られているので、
きっといいことがあるに違いないと、俺は思っているんだ。
だいたい、宇宙人とか霊界なんて書いた時点で、普通の読者は逃げてゆく。
「こいつ、アホか」と思うだろう。
でも、そこで踏みとどまって、読んでくれている。
そういう読者には、何か、すごくいいことがあるような気がしてるんだ。
ところで、俺は今日、とてもいい気持ちになりながら、
愛というものについて、再度、じっくり考えてみたんだ。
それは「愛されるよりも、愛する方が、5倍、尊いのではないか!」ということだった。
子供のころのヒット大地を思い出してみる。
すると、「すごく愛されたかった!」って思う。
すごく複雑な家庭だったんで、「愛されること」が、
「自分自身の心の安定」にも、つながったんだろう。
その後、30歳くらいまでは、
「愛する」よりも「愛される」気持ちの方に、
より快感を感じていたように思う。
でも30歳くらいで逆転したように思うんだ。
その大きな理由は、神の無限の愛を知ったからさ。
神を知り、
「未熟な人間なんかに愛されても仕様がない」
と思うようになったんだ。
人間の愛は、限定的で、ある種、幻想だ。
「人間に愛され続けるためには、ある程度、演技を続けなければならない」し、
たとえ、人間に愛されても、
人間のパワーが大したもんじゃない以上、
その愛自体も、大したことがないような気がしたんだ。
ただしそれは俺が男だからであって、
女性の場合は、「愛される喜び」が、「愛する喜び」よりも、
少なくとも、40歳くらいまでは、大きいと思うんだ。
それは女性の愛が、受動的な面が大きいし、
出産・育児という大仕事もしないといけないので、
仕様がないと思う。
でもさ、本当の大人の女性ならば、そのうち気づくだろうな。
「愛する喜び」の方が、「愛される喜び」より、
ずっとすばらしいし、倫理的にもすばらしいものであることに気づくだろう。
たとえば、マザーテレサの愛だ。
無償の愛を続けること、それって、一見難しいが、意外に楽しい。
生きている喜びが、ふつふつと沸いてくると思うんだ。
しかも愛する喜びには、余裕がある。
なぜなら相手がどう思おうと
「自分は、その人を愛し続けるんだ」と思えるんで、
精神的に主体性があり、すごく楽だからだ。
俺は短大で教えている頃、
学生たちを、愛し続けた。
その愛は、本物だった・・・と思う。
彼女たちも、それに応えてくれた。
今振り返っても、あのときの主体的に与える愛は、いい思い出なんだ。
その人の幸福を、心から望むこと!
勝手に、その人を愛し続けること!
そして見返りは求めないこと!
ホンマモンの愛って、それで、いいんじゃないだろうか?
そして、そういう心境になれたとき、
・・・つまり、人を愛する喜びを知ったとき、
人間として初めて、
「ホンマモンの男」や、「ホンマモンの女」になれたということなんじゃないだろうか?
もちろん、他人に愛されることも、一つの誇りだ。
嫌われるよりは、愛された方がいい。
でも俺は、思う。
「愛されること」よりも、「愛すること」方が、5倍、尊い!・・・と。
そして、
「愛されること」よりも、「愛すること」方が、5倍、精神的にも安心できる・・・
こう思っているんだ。
その人が恋人を作ったら、メゲル?
ノー!
それは彼または彼女の自由じゃないか!
その自由な彼または彼女を愛したんだから、仕様がないぜ!
だろ?
俺はその人を、俺流で、いつまでも、静かに愛し続けるつもりだ・・・
それでいいと思っている。
だって、主体的に愛することって、楽しいんだもん!
俺にとっての「愛する、その人」とは、間寛平だ!
・・・もちろん、ウソだよ、ハハハハ。
でも、秘密でいいよね、その人の名前は。
俺は、すでに結婚したその人を、ずっと愛し続けるつもりさ・・・
遠くから、その人の幸福を願ってさ・・・・
うん、これでいいし、俺は幸せだよ。
寛平流に言えば、アヘアヘ・・・なんだ。
アメマ~ってか・・・ハハハハ。