昭和35年4月30日のことだった。
岡山県岡山市の津島運動公園で、
直径30メートル、高さ20メートルほどの円盤状UFOが、
地上1.5メートルのところで、止まっていた。
そのUFOから、
宇宙人が一人、降りてきて、
すぐ近くにいた安井清隆(40代)の方にやってきた。
宇宙人は、銀色の飛行服のようなものを着ていた。
清隆は、特に怖いとも思わなかった。
なぜなら清隆は、約1週間前の昭和35年4月23日、
UFOと出会っていて、
そのとき、宇宙人からの指令を、
テレパシーとして受信していたからだ。
UFOから降りてきた宇宙人は、燐光色を発する宇宙服を着ていた。
顔は彫りの深い西洋人のような顔立ちだった。
身長は180センチくらい。
体型は、地球人と、非常に似ていた。
清隆は、握手しようと、手を差し伸べた。
宇宙人は、両手で、清隆の手を、温かく握り締めた。
実のところ、清隆と夫人の房子は10年以上も前からUFOを見ていた。
特に、衝撃的だったのは、
昭和32年11月7日の夜、皆既月食の日のことだ。
高校で地学を教えていた房子は、地学部員12名と一緒に、
皆既月食を観察していた。
すると、夜空を約20体ほどのUFOが、山から山へと、
弧を描いて、飛び交い始めたのだ。
黄色い玉のような光。
遠いものは点、近いものは円に見えた。
「皆、ビックリして、足を震わせていました」
と房子は語っている。
房子は、この事実を、学術雑誌『天文と気象』に投稿した。
すると、全国から、「同時刻、同じ光景を見た」という手紙が届いた。
(具体的には、横浜や長野松本市などから)
それから、2、3年間は、UFOは、しばしば岡山付近に飛んできたので、
多くの人々が、目撃することとなった。
林建設の小野大学は、写真撮影に成功している。
また岡山県と鳥取県の県境の岡山県真庭郡川上村白髪の人々は、
ほぼ全員がUFOを目撃した。
最初は妻の房子が主導で、UFO体験をしていたが、
そのうち夫の清隆も、UFOを目撃することになった。
それが昭和35年4月23日夜9時頃のことだった。
それは、全く理由のない、一種の衝動だった。
突然「空を見たい」という強烈な欲求が沸いてきたのだ。
彼は、妻の房子と、長女のレイ子(当時高1)を連れ出し、
南方小学校のそばの緑地帯で、
星空を見上げていた。
すると、円盤状のUFOが現れた。
清隆は興奮した。
(俺は、事前に、テレパシーで、UFOが来ることを知らされていたんだ!)
こう確信した。
そのときだった。
突然テレパシーがあった。
「北を見るんだ!」
北を向くと、赤く輝いた火の玉状のものが、ものすごい速度で飛び去るところだった。
その後も、何度もテレパシーを感じた。
そのとき、清隆は、新聞社や天文学者に立会いを求めたが、相手にされなかった。
そして、一週間後の昭和35年4月29日、清隆は、
「UFOが3機現れる」というテレパシーを受け取った。
そこで、清隆は、妻と、妻のかつての教え子4人に立ち会ってもらって、
夜空の下、待っていた。
すると、UFOが現れることは現れたが、1機だけだった。
しかも、すぐに消え去った。
(変だな・・・)と思い、しばらく待っていたものの、現れないので、家に帰った。
日にちが変わり、昭和35年4月30日の午前4時ころだった。
熟睡していた彼は、不意に目を醒ました。
誰かがドアをノックしたのである。
(こんな夜中に誰だろう?)
・・・そう思って、ドアを開けてみたが、誰もいなかった。
もう一度、布団にもぐりこんだが、またドアのノックの音だ。
不思議なこともあるもんだと思いながら、清隆は外に出てみた。
空を見て、驚いた。
3機のUFOが三角編隊を組んで、旋回していたのである。
彼は、家に戻り、パジャマから背広に着替え、戸外に飛び出した。
彼は叫んでいた。
「予告どおり、3機だ!」
3機は、清隆を誘導するかのように、ゆっくりと、
市の北部に移動した。
そして津島運動公園あたりで、2機が、どこかに飛び去り、
1機だけが、公園に舞い降りてきたのだ。
さて、こうして宇宙人と初めて出会い、握手をしたのであるが、
以下の驚くべき、宇宙人との会話の内容は、
秘密性が非常に高いので、有料版に載せざるを得ない。
ぜひご容赦願いたい。
なお、以上の話は、具体的地名、また雑誌、人物など、
現実に存在するものであり、
また日付も正確であり、
それだけに、間違いのない事実であると、ヒット大地は判断したものである。