今日(2013年10月26日)、
夕方買い物に行くと
コンビで若者たちが、忙しそうに働いていた。
俺は昔の自分を思った。
そう言えば、
俺も若いころは、
大人たちの愛情を求めていた・・・と。
若者は皆、大人の真の愛情を求めている!
一人でも、
自分を真に愛してくれる大人がいると、
「この人生、がんばろう」と思えるものだ。
だが、なかなか巡り合わない。
俺の両親は離婚した。
4歳のときだ。
20歳ころ、両親に、
離婚についての感想を尋ねた。
すると二人とも、
相手の悪口を言うばかりであった。
(ただ母親は、苦しい表情で、
「もっと我慢すべきだったかもしれない」と言っていたが)
そういう・・・とくに父親の姿は、
幻滅以外の何物でもなかった。
離婚した両親が、
互いに相手の悪口を言うのは、
子供にとっては嫌なものだ。
でも大人たちの事情もあるので、
それはそれでいいだろう。
でも一こと言ってほしかった。
「子供には罪はない。
離婚によって、おまえには寂しい思いをさせたな」
それで、若い俺は救われたような気がする。
人生、がんばろうと思えたと思う。
でも父親は、その一言が言えなかった。
母親の悪口を繰り返すばかりであった。
学校時代の教師の中には、やさしい人もいた。
でも卒業後、その教師たちの家に会いに行くと、
迷惑そうな顔をしていた。
そういう表情はすぐわかるもんだ。
若者はため息をついて思った。
「なかなか、俺を真に愛してくれる大人はいないもんだな」
でも俺はラッキーだった。
20代半ばで、神の愛に出会えたからだ。
神の愛は本物だった。
俺は救われた。
俺の魂はやっと平安を得た。
本物って、いい!
そう思った。
そういうことがわかっていたので、
俺が子供たちを教えていたとき、
彼らに本物の愛を与えようとした。
そして彼らもそれに応えてくれた。
今頃、彼らは、きっといい人生を送ってくれているはずだ。
なぜなら真の大人が愛情を知った子供たちは、
まっすぐ育つからだ。
でも・・・・と思う。
どんなに大人の愛が素晴らしくても、
神の愛から見ると、
てんで比較にならない。
地球と砂粒を比べるようなもんだ。
俺は今、しみじみ思う。
俺が大人たちの真の愛を得られなかったのは、
心の奥で、神の愛の・・・・
その、とんでもない深さを知っていたからかもしれない・・・・と。
若者よ!
どんなに、つらくても、
人生を生きなん!