私が沖縄を訪れたのは1989年5月が最初だった。このとき私は37歳(誕生日前)。私は1951年生まれだから、1972年の「沖縄の日本復帰」のことを知っている(?)。1972年5月15日の「安保粉砕!沖縄返還協定粉砕!ベトナム反戦!」(当時のスローガンはこうだったか、正確さを欠く)のベトナムに平和を!市民連合のデモに私は参加していた。しかしこの日から17年間もの間、沖縄と正面から向き会わずに生きて . . . 本文を読む
昨日(2021年3月22日)の沖縄2紙に、ひめゆり平和祈念資料館が2度目の改装されるので、3月22日から4月11日まで休館になるとでていた。
私が一番最初にひめゆり平和祈念資料館に行ったのはいつのことだったんだろう。はっきりと覚えていない。一番最初に来た1989年5月にはまだ建設途中だった。だからこの後なのだが、1990年のことなのか、92年なのか。資料を堀り返せばでてくるが、記憶にない。た . . . 本文を読む
「コザ暴動ー50周年記念」が開催中だ。那覇では12月11日~13日に行われた。コザ展が今行われている。私も見に行くつもりだ。出展写真家:平良孝七、比嘉康男、国吉和夫、比嘉豊光、照屋寛則、 feat.前原洸大会期:2020年12月15日から20日 11:00-18:00会場:ミュージックタウン音市場、ギャラリーラファイエットシンポジウム:19日13:00-音楽広場パネリスト:佐渡山豊、照屋 . . . 本文を読む
私の今回の旅のメイン・ターゲットは善通寺駐屯地の第15即応機動連隊だ。ここに軍隊が置かれたのは、第11師団に遡る戦前のこと。しかし善通寺はもちろんもっと、もっと古いお寺様だ。どんなふうに「共存」しているのか、張り合っているのか、理解しがたかった。 今の善通寺市は1954年にできたが、思えば自衛隊が創設された年であり、市政と自衛隊の歴史は一緒なのだ。否、旧軍からの繋がりで言えば、軍隊の方が古いわけ . . . 本文を読む
今日は2020年9月2日。9月2日を何の日だか即答できる人は、どれだけいるのだろうか? 1945年9月2日は大日本帝国が連合国に降伏した日だ。因に有名な8月15日は、「終戦の詔書」を天皇がラジオで公表した日にすぎないのだ。 以下、降伏文書を紹介する。署名したのは、日本代表:重光葵(まもる)外相、梅津美次郎(よしじろう)参謀総長。連合国各国代表者「下名(引用者註:「かめい」ー自分をへりくだって言う . . . 本文を読む
Ⅰ:辞意表明に見る本音 安倍晋三氏が8月28日、首相を辞めると会見した。私は、沖縄、軍事・安全保障の問題から彼が何をやってきたのか整理しようと資料を読み直し始めた。そうすると色々と気になることが思い出されてきた。 先ず28日の会見要旨を確認する。冒頭に【辞意表明】(略)、【今後の対応】(略)、【自民党総裁選】(略)について語り、【課題】を挙げている。「(北朝鮮による日本人)拉致問題をこの手で解決 . . . 本文を読む
日航123便墜落の真相を考える-青山秀子著「日航123便墜落の新事実」(河出書房新社刊)等を手がかりに(上)Ⅰ:1985年8月12日~35年後の今 私は1985年8月12日夕刻・夜間のことを未だに忘れることはできない。この日夕刻、日航123便、ボーイング747が行方不明となり、ダッチロールしていると報じられ、挙げ句に墜落現場は2転3転した。御巣鷹山と報じられたのは何時のことだったか? 当時の私はま . . . 本文を読む
毎年疑問に思っていた。米軍は沖縄を撃滅し占領し、さらに原爆を落とした。力(武力・技術力・経済力)の差を見せつけたのだ。さすがの天皇ヒロヒト以下の大本営もギブアップ。時は1945年8月14日。8月15日に公式に降伏を認めた。45年9月2日に降伏文書を交わした。沖縄の日本軍(石垣島・宮古島に残存していた部隊)とは45年9月7日に交わした。 米国・米軍はこれで戦後世界を展望していった。対ソを想定した動 . . . 本文を読む
色々と書こうと、それぞれの資料を出していると、何列もの山ができてしまい、収拾がつかなくなる。書き上がる前に新たなテーマが出てきて、困ったものだ。自分の頭の回転が遅いのは今更如何ともしがたいが。同時に何冊かの本を読もうとして、整理がつかなくなり、混乱することも度々ある。Ⅰ:アンタの大将 アンタの大将は国会の開会を10月かねと薄ら笑い。上官の命令は朕の命令だといいたいのか? この国はいつから独裁国家 . . . 本文を読む
昨日、安倍首相は広島にいた。1945年8月6日の被爆から75年の広島平和記念式典に出席していた。 彼の発言を拾いながら、ウソの国を追放し、私なりに核廃絶をめざしたい。中国新聞20200807から転載。「75年前、一発の原子爆弾により廃墟と化しながらも、先人達の努力によって見事に復興したこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています」 . . . 本文を読む