2024年1月1日(月)私は那覇空港12:05発の神戸行きに乗った。神戸空港着は13:55の予定だったが、15分ほど遅れた。つれ(東京在住)との待ち合わせは15時三宮のホテルロビーだ。同ホテルに着いたのは15時30分頃。私が先についたのだった。部屋に入り、荷物を置き、テレビ(NHK)をつけた。その直後に地震速報が出た。16時10分過ぎに神戸の地も揺れた。能登半島志賀町震度7、のきなみ6や5強。正月早々にかよ! 19時30分過ぎまで私たちはテレビを見続けた。
私は能登半島に、1970年と71年の夏に行っている。冬の河北潟に、ガン・カも類を見に行った。燃え尽きた輪島の朝市をかって楽しみ、輪島のお祭りに偶然出くわし、太鼓の音に歓喜した。忘れがたい地域なのだ。だからといって、何もできない今。
2日、私たちは、宿から六甲布引ロープウエイに乗るところから始めた。六甲には3つのロープウエイがある。一番東が六甲ケーブル、真ん中に摩耶ロープウエイ、西に布引ロープウエイがある。神戸と言えば、六甲山のイメージが強い。高尾山が標高600mジャスト。六甲は約700m。私がこの布引を選んだのは、宿から近く徒歩で行けるという安直さ。ハーブ園ぐらいならば、観光地らしい嫌らしさは少ないだろう。摩耶には天上寺があり、参詣客が多いだろうと、敬遠。一番東側の六甲ケーブルは、有馬温泉に繋がるが、私はこの案を避けた。調べたら有馬温泉は豊臣秀吉が有馬の湯に浸かっていたらしい。私は一般的に武将を好まないが、奴は朝鮮侵略を始めた(1592~1598年)張本人だ。琉球との関係もあるのだ。
たかが観光でも、私は無駄な観光はしたくない。もしも私が有馬温泉に行くならば、それなりの下調べをして、秀吉研究の一環で行くならば価値はあろうが、半端に行って、嫌な感じを抱きながら戻ってくるのは、気分が悪いだけだ。秀吉の朝鮮侵略は、個別の問題を超え、日中戦争時代の「3光作戦」(焼き尽くし、奪い尽くし、犯し尽くすという「3光」)の起源だと言われる程の悪辣な虐殺の記録に繋がっている。そんな秀吉の心を癒やしたのが有馬温泉なのだ。連れ合いには、大浴場のある宿を選んだので、ご容赦願うしかない。
まずは出発。徒歩20分ほどだった。片道1130円。
10:42 ロープウエイの中からなので、ガラスの反射は避けられない。
混まずに乗れた。
中継駅。10:50
ガタガタガタンと回っていく。ロープウエイに乗るのは何十年ぶりか。いつ、どこだったか? 記憶の彼方。
10:56 山頂駅。布引ハーブ園。
ハーブ各種の匂いが微かにあり、ハーブ等の展示もあった。レストランなどもあるらしいがパス。
庭園で。10:56
何だろう?
? 10:56
下り始める。
11:26 ハーブの一種。ハーブとは匂いを楽しむ植物の総称だそうだ。
何故かアブラナ科の植物が多いようだ。11:28
11:34
こちらはバラ科。蕾に焦点を合わせた。11:38
ハーブ園。畑の如く。この時間、影をさけられない。11:42
正月も働いている人が居る。耕作者。
11:43 ロープウエイの下。モクレンか?
クサボケ。11:49
冬の花。久しぶりだ。
寒椿。11:51
海側が南。ここいらは大阪湾。対岸は岸和田市辺りか。12:01
私はこの辺りの土地勘ない。
下に神戸市街がみえてきた。高いビルが沢山あるね。12:01
広場ふうの所。
複雑に回っている。12:04
六甲山系中腹から見た神戸の街。12:29
展望はいいね。
そういえば、神戸の埋め立て地は、六甲山系の山を崩してやったんだったな。要するに市街化=都会化は、自然破壊を伴うのだ。忘れてはいけないことだ。
12:29 巨大なクレーンが林立している。左(東)側。
中継駅の下からが滝道。
木陰に見えたが、細い滝。12:42
細いが案外長いわ。13:05
13:06 お茶屋さんでコーヒーを飲みながら撮影。懐かしい光景だ。私が見たのはどこだったか。奥多摩(東京都)か。
お馴染みのお客さんらしい人とお店の人が新年の挨拶を交わしている。
私も昔は正月に山に入っていた。40年ぐらい前。
13:08
滝を見上げながら下りていく。
滝壺。2段の滝だ。13:12
13:15 明と暗。
下る。案外急だった。
このへんは、照葉樹林帯だ。冬でも葉が落ちていない。沖縄にいるとこれが当たり前なので、撮影時、特に気がついていなかった。13:21
新神戸駅(新幹線)を見上げて。13:37
このあと、ランチにした。異人館方面をパス。