(1) 本日の沖縄タイムス等によれば、共同通信社が7月30日、31日に実施した世論調査結果によれば、以下のことが明らかになった。
内閣支持率は前回(7月11日、12日)から下がり、51%(63.2%)に、不支持率は29.5%に上がったという(22.4%)。そして国葬「賛成」を「反対」が上回ったのだ。賛成:17.9%、どちらかといえば賛成:27.2%。どちらかといえば反対:27.2%、反対:29.8%だった。まとめれば、賛成45.1%、反対53.3%だ。
この数字は、極めて重要だ。参院選で自公が安定多数を占め、改憲派が3分の2を占めた直後のことだし、岸田政権が「国葬」を決めた直後の数字だ。銃撃事件(2022年7月8日)からも日が経っていない。岸田内閣を支持する人にも「どちらかといえば反対」の人が少なくないということだ。
また、国葬に関する国会審議が必要という人が61.9%、必要だと思わないが36%だったのだ。これも重要な数字だろう。
(2) ここには岸田政権への評価のみならず、この国の歩みを危惧する人たちが出てきたと見ることもできるだろう。これは、安倍政権以降の自民党と統一協会の蜜月ぶりへの「いくらなんでも?!」が重なっているだろう(同調査は、「『世界平和統一家庭連合』と政界との関係を解明する必要がある、80.6%。ない:16.8%、わからない・無回答が2.6%」。
部外者から見れば、摩訶不思議な関係であり、ごく当然の民意の現れだろう。国会議員は改憲派が3分の2を占めても、本件については、ここを明らかにすることが重要だとしているのだ。
非道な銃撃事件が私たちの目の前に「旧統一協会」の実態と本性を浮かび上がらせ、安倍自民党による票の差配までこの組織が関与してきたことが明らかになってきた。これはいくらなんでも、ちょっと待ってと思う人が増えるのは当然だろう。
(3)民主主義とは、何だっけ? 今、この国が転がり落ちようとしていることは、「民主主義」の崩壊だ。岸田内閣に「国葬」をお任せすれば、民主主義まで捨ててしまうことになるだろう。私たちにとって、安倍元首相と民主主義は、どちらが重いのだろうか? いささか不謹慎であり、単純に比較することもできない事柄だが、政権が銃撃事件を「民主主義を守れ」と喚いてきたからこそ私は比較してみたくなる。8年余りの長期政権の間に民主主義の根幹といえる「立憲主義」を掘り崩してきた安倍元首相ではなかったか。一方、「戦後生まれかけた民主主義」は、300万人の国民の死者と海外での2000万人にのぼる殺戮を経た上でも未完のままだ。因みに靖国派は帝国軍人の死者だけを奉り立て、海外侵略による死者を一蹴してきた。日本政府は非軍人(民間人)の戦死者への国家補償を殆ど回避してきたのだ。
(4)大日本帝国憲法下の天皇主権から、1947年に日本国憲法となり、「主権在民の国」に変わったはずのこの国で、内閣が勝手に「国葬」を決める事は憲法違反と言うべきだろう。一部の識者は、法的根拠はなくても閣議決定でできると主張している。しかし国葬を執り行うことは、内心の自由、言論・表現の自由を押さえ込むことになる。人々の内心・言論をまとめたいからこそ、「国葬」にするのだろう。政権による国葬は、「異論」を排除・抑圧していく。明らかに民主主義を潰していく事になる。
(5)この先に何が待ち受けているのか、私たちはよくよく考えなければなるまい。この道は安倍元首相のこの国への多大な「貢献」が大きな口を開いている。嘘偽りの答弁、公文書の破棄・書き換え、立憲主義の破壊、原発の再稼働、対外戦争への道、米国の核抑止力への依存から核兵器の保有(?)、歴史修正主義(過去の見たくない歴史を消去・書き換え)の全面化等々。
(6)安倍元首相の「国葬」の陰に、自民党内の力関係の軋轢もあるだろうが、私たちに重要なことは、2000万人と300万人の死者に向き合い、植民地支配に向き合いながら、改めて民主主義をつくりだしていくことだろう。「民主主義って何だ?!」の先を考え抜くことが私たちに求められているだろう。今みたいにごちゃごちゃやっているばかりでは、この地球環境は人類の生存を保障しないまでに破壊されていくだろう。否、破壊しているのは誰だ?
私たちは過去の歴史と、未来の狭間で押しつぶされそうになっている。ここを突破するためには、私たちは過去から学び直す労を避けられまい。