ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

「こんな世界に誰がした」と言わないために(20220322)

2022年03月22日 | 沖縄暮らし

 昨日は早朝から出て、瀬嵩(既報)と豊原に行った。歩いてみると、記憶が積み重なっているから思い起こすことや、新たな思いが沸いてくる。久しぶりに大浦湾に接したら、異物がたくさんいた。

 私は1967年から東京湾の江戸川河口の干潟を守る運動に取り組んだ。今でも決して忘れていない。干潟や池などが踏み潰されていったことを。干潟がH鋼で囲われ、サンドパイプで水分が排除されていった。湾岸道路ができ、デズニーランドができ、全く変わってしまった。2011年3月11日の大震災では液状化現象が起き、住宅街や道路は大規模に陥没。さもありなん。いくら科学技術が進歩しても、地球の変動にはかなわない。

 ここの埋め立ては軍事基地のため海(自然生態系)を潰している。戦争するための軍事基地だ。ロシアの戦争にかこつけて、「核共有」などとのたまう奴ら。米国の核兵器を共有して、脅しあい。巨大な核シェルターをつくって、隠れるつもりかしらないが、唯我独尊。アホだな。

 人間はロボットではないのだ。自然と隔絶しては生きられない。そこを全く理解できないようだ。だから私は容赦なくバカどもだと言うのだ。

 ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちが語ってきた「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ナガサキ」は核の使用を2度と繰り返して欲しくない、2度と繰り返さないという断腸の思いだ。

 それでも再び核戦争がおこりかねない現状の中で、私たちは震えているわけにいかないだろう。戦争を呼び起こすのは金儲けと人間の憎悪だ。しょうこりもない悪魔たち。感情だけで走ったら、人類は潰れる。

 だからこそ、私たちは自然から学ぶことが大事だと、私は考える。私たちは殺し合うために生まれてきたのではあるまい。既に乾燥化が進んで草が生えなくなったケニアの悲惨が報じられていた。気候変動なのか否かは私には判断しかねるが、事実は事実だろう。確実に自然環境は激変している。野生生物も家畜も人間も生きられない世界が広がっているようだ。

 このまま「こんな世界に誰がした?!」という状況を拡大していくのか? 核兵器の使用は論外だが、生物・人間が生きられない世界の拡大に、黙っていていいのか? いいわけがない。 

 この国は、大浦湾の珊瑚礁を踏みつけながら、「移植した」と基地建設に励んでいる。そんなでたらめを容認する環境等監視委員会なるもので、「問題なし」をもらいながらの茶番劇。「銭」が自然を人間を踏みつけていく。

 現場にこだわり、記録していくことは、どでかい問題に広がっていくんじゃないか。闘うこともそうした広がりに着目できなければ、虚しい。狭く煮詰めるのではなく、気持ちを重ねながら、信頼関係を創り出し、広く見ていかない限り、自滅していくだろう。

 現場から連想をひろげ、生物・人間が生き延びていける世界を創り出そう。せめて戦争ぐらいやめようよ。言葉だけでは虚しい。百も承知。万も承知。だからこそ、お互いに動き出し、協力し合うことが大切だ。難しいと諦めていたら、おしまいだ。

 人間は悩むからこそ美しい。陰と陽。



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