ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

どうもどうも、ここが正念場でございます(20210611)

2021年06月11日 | その日暮らし

 ここ数日、身動きとれず。頭も別件に追われていました。今朝はその後片付けと今後の対策。まだまだ続きます。

 晴れていたのに、突然の雨。けっこうな大降りです。菅首相、G7サミット(英国コーンウォール)やらにでかけてしまいましたね。国会を6月16日までといいながら。それにしても彼らのオリンピックへの執念はすさまじい。「国民の命と安全」を掲げながら、やるという態度は馬鹿げています。現に医療は逼迫して、要入院でも受け入れてくれる病院がないところも続出しているようだ。コロナで死ぬのも何ですが、他の病気やケガを放置され殺されるのも、たまったもんじゃない。こうした現状でやるというのだから、ズレすぎています。

 あの加山雄三(歌手)すら聖火ランナーをおりるとか。小柳ルミ子(歌手)が都知事を批判したり。ここまでくると様々な人が声を上げ始めています。それでもやめないのか。カネ・カネ・カネなんでしょうが、政権・政権・政権なんでしょうが、私が危惧することはもうひとつ。小中高校生への動員を初めとして、国家動員を当然視する、ありかた。戦争への道の予行演習だと思います。

 「前へ倣へ!」は戦前からの伝統です。

 私は1964年の時、オリンピック動員をお断りしました。というか、中学一年、私立だったので、いかずにすんだ。

 菅首相、党首討論で懐古話を披瀝したそうです。しかしやるんだったら、ネタが一般論過ぎませんかね。東洋の魔女(女子バレー)、アベベ(マラソン)、へーシンク(柔道)。私ですら知っている話。懐古話で今現在の問題をはぐらかせると思っている浅はかさ。

 東洋の魔女と言えば、大松監督のしごきと根性論、アベベと言えば3位になった円谷幸吉(自衛隊)のその後の自殺、へーシンクと言えばその後のプロレスへの転向など、麗しさでくくれないものもありました。何事にも光があれば影がある。1964年当時の日本は、東海道新幹線の開通にみられたように、高度成長の黎明期。しかしそれは同時に自然破壊と公害の先駆けとなる時代。冗談じゃない。菅首相が言うことは、大きな影を隠す史観です。

 64年と言えば、トンキン湾事件(64年8月)を米国が興し、ベトナム戦争に参戦する。これまたジェノサイドと呼ばれた生態系丸ごとぶち殺す戦争に至る。米国の「神髄」でしょうが、これに従属してきた日本。そして沖縄がベトナムへの最大の攻撃拠点になっていく。

 今は装いたくても、ドレスアップできる着物がない。だからこそコロナ禍との心中を図る「国民」をつくりだしたい。そこまで私は考えてしまう。

 あの1930年代からの15年戦争の渦中、「兵士の命は鴻毛より軽し」と言っていたお国柄だったのだ。今、再びそうした方向に向かっているのではありませんか。

 昨日歩きながら考えていた。1970年の私は大学生。70年安保を闘いましたが、沖縄がベトナムへの攻撃拠点になっていると、殆ど感じていなかった。近代史と国境の壁を超える思考が余りにも乏しかった。大学では福祉経済論の自主ゼミをやっていた(71年頃)。担当の先生のお名前をまだ思い出さないのだが、人間が生きることを基礎にした経済学(マルクス経済学ではない)を思考していたのだった。今やそうしたことすら完全に葬られている。2000年代に入って以降、新自由主義の文字通りの刃が光っている。

 このままいくのかね? 否・否・否、ここが正念場です。



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