ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】五月晴れの中で(20230502)

2023年05月02日 | 沖縄暮らし

おはようございます。2023年5月2日(火)

 朝起きたら、友からメール。また別の友から5月15日行動のおしらせが入っていた。カラーのチラシが送られてきた。プリントするとインクが消耗すると思いつつ、プリント。

 明日は憲法記念日だ。こちら(既報)では、また別の友が発言する。岸田政権は戦争準備をしかけ、沖縄を真っ先に戦場にすることをしかけてきているのだ。これに対抗するために、何が必要なのかを考えたい。そうでなければ、私たちは生き延びていくことはできない。今と肉薄し、過去から徹底的に学ぶ。ここに尽きる。

 あの大日本帝国時代を懐かしむ連中が増殖している姿に私は呆れかえる。国家に仕え、個を失う時代に逆戻りか。「全体主義」とは正にこうした政治・社会を言うのだ。国家に仕える芸術などあり得ない。しかし過去の大日本帝国の時代はまさにこうなっていた。今再び、この道が明白に見えてきた。軍事一辺倒の国造りへ。情けない。

 日本国憲法は中途半端な改定だったが、天皇から個へという大改訂をやった。個が「国民」にくくられてしまい、それ以上発展できなかったし、主権在民も曖昧になった。一番の問題は過去から学ぶことが遠ざけられたことだ。民主主義が形骸化されていき、今やどうにもならなくなっている。こうした動きが加速したのは、私たちの怠慢もあった。

 だからこそ、個から、個と国家、民主主義を繋ぎ、生きる為の環境を繋ぐ新たな道を探るしかない。絶望の彼方に、自滅しか残されていない。

 ひとつだけ警告しておく。国家を一番とする権力欲は、止めない。結局、彼ら自身が、争いの中で食い合って自滅していくだろう。

 希望は不戦と対話だ。過去(の過ち)から何を学ぶかだ。欲望を抑えることなしに、争いを治めることも、平穏に生きることもできないと、私たちは知らなければならないのだ。



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