2022年7月8日、安倍元首相は選挙運動中に銃弾に倒れた。岸田首相は、これを「国葬」にすると言っている。私は以下の論拠から《否》と主張する。簡単に説明する。
「国葬は天皇主権の時代の産物だ」
1926年に制定された国葬令は、大日本帝国憲法が日本国憲法に改定されたことによって失効した。しかし岸田政権は1967年の吉田茂元首相の「国葬」の前例があり、内閣府設置法第4条に「国の儀式」が定められており、可能だとしている。同法第4条は内閣の「所掌事務」の一覧であって、各所掌事務はそれぞれ法的根拠を受け、内閣が執行している。「国葬」は「儀式」だろうが、「国葬」を行う法的根拠がないのだ。わかりやすく言えば、空っぽのまま「国葬」と書いただけ。法律は国会審議を経て採決されなければ、法的根拠にならない。なお、内閣法制局が「これで問題ない」と言ったと報じられている。内閣法制局は法律に関するイロハすらわかっていない(政権のいいなり)ということだ。これでは安倍政権以来の法治主義の逸脱が進行し、政権の暴走が止まらないのだ。
「国葬」に対する反論は様々あるだろうが、私は《立憲主義》と《主権在民》に180度対立することだと考える。大日本帝国憲法はまさに「天皇主権」を掲げた憲法だった。第1条に「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」とあったのだから。主権が天皇にあれば、天皇を主語として価値判断できただろう。だが、日本国憲法は憲法前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し、ここにこの憲法を確定する」とある(憲法本文に「主権在民」はないのだが)。
だとすれば、誰か特定な人物を「国葬」に選ぶことは不可能だろう。一人一人の命は平等であり、人生も平等ならば、特別な人を選び出すことは、どうやったらできるのだろうか?
「安倍元首相の功績は?」
安倍晋三元首相にそれほど秀でた功績があっただろうか。岸田首相はこう言っている。「①憲政史上、8年8ヶ月の最長政権であること、➁東日本大震災の復興、アベノミクスによる経済再生、外交実績、③白昼に演説中に凶弾に倒れ国内外の哀悼・追悼が寄せられたこと」だと。
しかし①長きにわたって日本国憲法を様々な形で改憲手続きを経ることなく壊してきたのが彼ではなかったか。➁東日本大震災からの復興の課題は大きく、まだ復興を見通せる段階に至っていない。特に福島第1原発の事故・爆発からの復興は端緒にもついていない。汚染水の漏洩は続いており、海中に流す準備が進められている始末だ。アベノミクスも25年続く不況と格差の拡大が人々の生活を困難に追い込んでいる。外交はますます対米従属の姿勢を強め、沖縄の民意は無視されたまま、米日共同作戦が可能な段階に至っている。③は旧統一教会の問題をスルーし、賛美・協力してきたことが恨みを買う結果となり、どう考えても賞賛に値することではないだろう。海外から哀悼と言うが、事実を明らかにし、評価しなおすべきではないのか。
そもそも安倍元首相は立憲主義をまったく理解していないのか、これを掘り崩し、破壊する努力が目立っていた。立憲主義とは「人民の権利の保障と国家権力の制限を基本目的とし、基本的人権の尊重、国民主権、権力の分立といった原理を確立した」(浦部法穂著「憲法学教室」)ものであり、日本国憲法は天皇以下の公務員に「憲法擁護義務」を課し、国家権力に縛りをかけているのだ。最高法規である憲法と、法律の役割は違うのだ。
にもかかわらず、こうしたことを国会で審議もせずに決めるとしたら、岸田政権の聴く力は、党内力学にしかないということだろう。銃撃は明らかに民主主義に反する。だからこそ私たちは、民主主義とは何かを考えながら前に進みたい(20220721)。