ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

市民と共に考える平和のための軍事研究(1)(20230329)

2023年03月30日 | ヤマヒデ企画

◎このレジュメは、2023年3月29日、会場:安慶名公民館で開催したうるま島ぐるみ会議での学習会に提起したものです。ごく一部訂正箇所があります。悪しからず。(ヤマヒデ ★無断転載を禁じます)

(Ⅰ)はじめにー平和のための軍事研究(軍事観察)を始めませんか
 
 沖縄県では、人々は軍隊に取り囲まれながら暮らしている。これは沖縄島周辺だけだった。それがこの10年余り、琉球諸島全域に押し広げられてきた。米日政府は、どうやら琉球諸島を戦場とする「新たな戦」(戦争態勢・体制)を準備している。
  私は1989年5月に初めて沖縄に来て、「安保が見える沖縄」を垣間みて以来、沖縄に着目してきた。「平和国家」を掲げ再出発したはずの「戦後日本国家」は、米国に頭を垂れ、アジア侵略を黙殺し、1983年「戦後政治の総決算」(中曽根政権)から「米日同盟」の道に歩み出した。それから40年の月日が経ち、私たちは今、どこにいるのだろうか? 
  この不分明な現実を紐解くために、私は、「市民が暮らしの現場から軍事研究を始める」ことを呼びかけたい。目からうろこが落ちることがあれば、幸いだ。
  なお、「平和のための軍事研究」と銘打つのは、立場をハッキリさせるためだ。ただの「軍事研究」では、好戦派だと勘違いされかねない。沖縄では軍事といえば忌まわしく、顰蹙をかいやすい。だからこそ、敢えて軍事について十分に知らなければなりません。軍事について私たちが遠ざけていたら、その隙に軍事力の強化と軍事機密を拡大されかねません。力を合わせて前に進めたら、幸いです。私たちが、若者たちが、これから生まれてくる人たちが、生き延びていくために。

(Ⅱ)ヤマヒデのプロフィール(本件に関わる範囲で)と、軍事に関わる問題意識

 ①1951年東京生まれ。就学前(1955年頃)から横須賀(軍港)のおじさん宅に春休み・夏休み・冬休みに泊まりがけで遊びに行っていた。そこで街中にあふれる米国海軍兵を見た(1960年頃までそうだった)。おじさんは、軍の艦船修理工だった。
 
②自衛隊との初遭遇は、1970年夏の奥日光国立公園でレインジャーのバイトをしていたとき。70年安保反対の闘いの直後。彼らは夜間行軍訓練で国立公園の中を土足で踏みにじり、食べかす(空き缶等)を全て捨てていた。バイトは、ゴミ拾いを主としていたから、嫌でも自衛隊のパッケージが目に飛び込んできた。ほぼ毎日複数箇所で彼らのゴミ拾いをさせられた。
  この2つが原点です。尚、私が政治に目を向けたのは、1967年から始めた自然保護運動から。そこに70年から始めた学生運動とダブっていく(本稿では割愛)。

③70年反安保闘争などの「スケジュール闘争」(そう呼ぶしかない程度のものだった)とは別に、私の反戦運動(当時はベトナム反戦)は、72年夏から秋に取り組まれた相模原(神奈川県)戦車搬出入阻止闘争が、大きな遺産となる。これはベトナム戦争で破壊された戦車・装甲車の修理・搬出を阻止しようと相模原補給敞の前に市民・労働者・学生が8月から11月まで座り込んで止めた。具体的な武器の再生産を抑えたのだ。その意義はベトナム民衆にも知れるところとなっていた。9月と11月に2度に亘る徹夜決戦に私も参加し、幾夜となく、平和のための広場の防衛に当たってきた(当時の私はノンセクト)。 
 
④1989年5月「沖縄に行けば安保が見える」と聴き、行ってみた。確かに一理あった。しかしその実相を私は深めてきたのだろうか。沖縄と日本の歴史の違い(分断)に幻惑され、統一した認識を確定しえていないと思えてならない。但し、日米地位協定が様々な密約の下に米国に都合良い解釈が横行していることは間違いない。
 それから34年の月日が流れ今に至る。2013年10月から名護市在住。

⑤基地・軍事ウオッチングは1995年頃から自衛隊の追っかけを始めた。自衛隊は、1992年のPKO派兵から海外派兵に触手を動かし、「専守防衛」の自衛隊が海外に目を向け始め、海外派兵可能な機材を揃えだしていた。この時期、私は「派兵チェック」編集委員会結成に関わる。96年頃から「輸送艦おおすみ」の追っかけ(2004年3月、室蘭港からイラクに出るおおすみを追いかけた)、98年、99年、自衛隊の北方機動演習(北海道へ)の追っかけなど。
  現場で自衛隊も軍隊なのだと知ることになった。

 ⑥補足:2つの事故について(私はこの2つの現場に行き様子を確認している)
 本項は補足。私が東京時代に身近に見聞きした2つの事故。1985年8月12日に起きたJAL123便ボーイング747機の「御巣鷹山」墜落事故(521名死亡)と1999年11月22日に起きた航空自衛隊入間基地所属のT33Aジェット練習機の墜落事故(乗員2名死亡)。
前者は余りにも不可解なことが多すぎる闇の事故。圧力隔壁が破損し墜落したと公表されたが、虚偽と思われる。相模湾上空で異常が発生したのだが、何故敢えて山の中に誘導されたのか? 最大限乗客・乗員の安全を守るためならば、海に着水すべきだった。まして長野県・群馬県上空は横田空域であり、米軍の許可がなければ入れない。謎は深い。米軍・自衛隊の関与が疑われている。
後者は、埼玉県・東京都など80万戸が停電になった。埼玉県入間川に演習機が高圧線に触れ、破損させ墜落した。乗員2名死亡。高圧線の復旧に一週間かかった。今ネットを見ると、パイロットが我が身を削って安全な場所に落ちた書き方をしており、美談にしている。事故原因の究明が優先されるべきであり、周囲の状況を直視すれば、この判断は窮余の一策としてベターだったとは言えよう。

⑦沖縄に暮らして実感した軍隊
  私が初めて辺野古を訪れたのは、1997年。2004年7月から辺野古通いを始め、沖縄に居を移す基礎を作る。13年11月、キャンプ・シュワブ演習場の沖縄高専の近くで低空飛行を繰り返すCH-53ヘリをじっと見ていて、閃いた。これは大きな閃きだった。私の第2次軍事研究(ウォッチング)が始まったのは、この日からと言えるだろう。「米軍は何故低空飛行をするのか?」―この明確な答えを見つけた。「戦争は無人島ではしない」からだ。兵隊は眼下(眼前)に住宅や学校があり、人が住む場所で軍事行動を行なうことのメリット。
  こんな演習ができる場所は、他にはあるまい。軍隊にとって、住民・人間を無視できる術を磨かない限り、効果的な殺戮・破壊を行なうことは不可能だ。
  「冗談じゃない!」。しかし目からうろことはこのことだった。ここから私は、彼らの行動基準を再認識し始めた。 

⑧私が与那国島・石垣島・宮古島に行き始めたのは、2011年6月からだ。契機はこの国の2010年12月の「防衛計画大綱」(民主党政権)を読んだから。「動的防衛力」を掲げ、「島嶼防衛」を打ち出していた。「琉球諸島を戦場にするって、本当か?」―冗談じゃない!!
  そして今、2023年3月。琉球諸島の波高し!

⑨蛇足―私は「南西諸島」なる言葉を使わない。その心は「日本国家中央」からみた命名だからだ。「南西諸島」とは、琉球諸島、大東諸島、薩南諸島、尖閣諸島を含むそうだ。いいえ、島はそれぞれの島(シマ)から考えるべき。そこに平和の原点があると私は考える。国家の身勝手な呼称を私は認めない。
 
(Ⅲ)私たち(沖縄県の)市民が軍事(基地・軍隊・武器・弾薬等―経済・軍事技術・交通・資源等―歴史と軍事法制)を学ぶ意味 (以下レジュメ)

 ①国土面積の0.6%の沖縄県に70%の在日米軍基地がある現実。今日に至ってもこの事実は、日本は米国の属国であることを物語っている。そこから様々な問題が起きている。
○構造的な沖縄差別を克服していくことが不可欠。

➁基地被害の予防策、事後対策を立てる際に知っておくと役に立つ。無関心ではいられなくなる。

③沖縄が戦場となる可能性が出てきた今日、知らんぷりは不可。沖縄を戦場にさせない取り組みへ繋ぐ。
○住民の命の営みを守るため、事前に予想を立て、観察し、検証し、対処すべき。
○住民は軍隊等に追従しない、追従させない。

④米日両国、米日両軍との交渉等において、役立つ。実効力の向上。何も知らなければ、騙されかねないし、嘗められる。

⑤そこに暮らしている住民・市民としての命の営みのために学び、国防を「国の専権事項」とするこの国・保守首長の対応を打破していく。―住民自治・基本的人権―

〈註〉〈命の営み〉―私の造語。Life=「命、暮らし」と別立てで訳されているが、これを分けて考えてきたことが根本的な間違いだろう。命ある者(他の生物を含む)は同時に暮らしを営んでいる。能動的な理解。その両者を統一的に立てることができる状態を「生きている」と言えるのだ。日本国憲法第25条(健康で文化的な最低限度の暮らしの確保)とも関連。

(Ⅳ)政治と軍事の関係を如何に捉えるのか?
 
〈日本が「民主国家ならば」〉
①日本国憲法を最高法規とし、「国民主権」の下で政治が行なわれているはずだ。3権分立。―立憲主義。
●安倍政治は、何故長く続き、今に継続されているのか? 

➁しかし、日本国憲法に「国民主権」(本来は「主権在民」)は前文にあるだけ。本文第1章「天皇」条項に「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と、過去の絶対的天皇制の時代を不問にし、象徴天皇制をもちあげるために「国民主権」が語られている。「国民主権」とは真逆の転倒が組み込まれていることに殆どの人は気づいていない。
戦後「日本人」の主権者意識が未だに脆弱なのは、戦前の「臣民」意識から戦後を分かち、明確な民主国家を築けなかった「日本人」(日本民族)の歴史的な限界に起因。
 また、絶対主義的な天皇制を旗印にした軍隊と特高警察による弾圧、国家神道、皇民教育などによって、徹底的に従順に生きることをたたき込まれた「皇民」の悲哀。並列的に語るのは不適切だが、特攻死、集団強制死の温床。
 「一般的に長いものに巻かれていたのではない」と私は考える。「国民性」は作られる。

③52年4月28日の日本国の講話=「独立」が沖縄等を切り捨て、米国の施政権を認め、実質米国の占領統治(軍事支配)を認めた。同時に別室で第一次安保条約締結。この沖縄の分離は、沖縄に対する差別ばかりか、この国の支配権力者にとって、主権在民・基本的人権・平和主義を形骸化していく基礎となり、経済成長まっしぐらに進んでいった。
 また、当時の日本の「革新勢力」の誤り(歴史の再検証が必要)。

④朝鮮戦争を契機として、1950年警察予備隊、52年保安隊、54年自衛隊の創設・改編。全てGHQ・米国からの指示で再軍備が始まる。沖縄では基地の強制接収の時期と重なる。軍隊の暴力性=本質。

⑤しかし私たち「やまとんちゅ」は、日本国と沖縄のこうした光と影の関係に無頓着だった。沖縄差別の上に立った意図的な無視と、分断・支配との対抗をトータルに捉えることができなかった。

◎参考:「『基地・軍隊』と私たちの安全」(派兵チェック編集委員会編著 緑風出版1998年刊―ヤマヒデも執筆。)

〈日本国憲法解釈史の中の自衛隊・軍隊〉

①日本国憲法第9条
「[戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認]日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」(1947年5月3日施行)
と明解だった。

➁1950年から再軍備が始まるー「戦力」に関する政府統一見解(52年11月第4次吉田茂内閣)
●「戦力」とは、近代戦争遂行に役立つ装備と編成を備えたもの。
●「戦力」とは、人的に組織された総合力である。兵器そのものは戦力の構成要素だが「戦力」そのものではない。
●第9条2項の「保持」とは、我が国が保持の主体である。そこでアメリカ駐留軍は、アメリカが保持する軍隊であるから第9条とは無関係。
○軍事力(=戦力)とは、人員と組織、武器・弾薬、意思と能力(指揮権)+法制と予算が合体して成り立つ。兵器は人員と不可分。
○米軍との関係を無視し、「戦力」外として、「保安隊」として再軍備に邁進しだす。

③54年12月「戦力」概念を改め、憲法第9条➁項の「戦力」を「自衛のため必要な最小限度を超えるもの」に変更
●自衛隊の膨張が始まり、2014年の安倍政権の「集団的自衛権の合憲化」は、この「自衛のための戦力」を前提に行なわれた。
●随分遠くに来てしまった。欲の皮が厚くなった者は、罰を受けるだろう。(私は無神論者です)。

参照:「護憲派のための軍事入門」山田朗著 花伝社 2005年10月刊

〈基本的整理として〉
自衛隊(SDF)は、政府がどう言おうとも殺傷力、破壊力、制圧力がある武器を備えた軍隊。
●ここから「安保3文書」に至る道を私たちはどう総括すべきなのか? 
○私たちの軍事研究はここのところもチェックしていく。

(Ⅴ)敢えて問うー沖縄の市民も軍事を余りしらないのは何故だろうか?―私たちの課題

●参考資料:「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」矢部宏治著・須田晋太郎写真 2011年 書籍情報社刊―本書のタイトルは、売らんかなの態度が鼻を突く(ヤマヒデ)。
 
◎私なりにアトランダムに挙げてみる。
 ①基地と隣り合わせの日常の生活
●見たくない壁-見えない壁(この悪循環)
●声を上げる負担の大きさ
 ➁お金による心の支配
 ●基地関連経済  
●行政の補助金等
 ●貧困
 
③人脈・地縁による心の支配
 
 ④米軍と自衛隊が分離されて考えられてきた
 ●「悪玉」と「善玉」の二元論。

⑤沖縄差別によるまやかし
 ●「沖縄は基地で得をしている」、「沖縄が基地を負担するのは当たり前」など(どこがあたりまえか!!)。

⑥国家による軍事機密
 ●米日地位協定―日米合同委員会
 ●様々な密約
 ●特定秘密法
 ●重要土地規制法
 ●マスコミ支配(沖縄の2紙はマシだが、中央政府の情報量が少ない、天皇問題などをタブー視しているなど、問題点あり)
 ●ほか

⑦現代の軍隊は点・線・面を電子的に繋ぎグローバルに展開されており、点だけ観ていたのでは、包括的に捉えられない。
 ◎点としての認識を広げ、全県・全国・グローバルネットワークが必要
 ◎不戦の環。
 
⑧「命どう宝」という生き方は、個人の生き方の次元に留まり、基地・軍隊を総括する役割を果たしているのだろうか?
○女性たちを中心とした軍隊慰安婦問題、今日の性暴力問題などの蓄積を活かしたい。 

(Ⅵ)次回に向けてーここから始めよう
①うるま市内と、周辺基地の存在・動向を問い直す。

◎◎◎◎

 以上です。私が軍事研究を始めて28年(但し、2005年から2012年まで沖縄に追われていた)を振り返り、その背後と、未来を想起し、何のために軍事研究が必要なのかと、まとめてみました。掘り返すべき論点は多数あります。私は、論争的にでななく、具体的に掘り下げていきたいと考えています。それこそ市民と共に。



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