ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】わじわじする日々(20241012)

2024年10月12日 | 沖縄暮らし

おはようございます。2024年10月12日(土)晴れてました

 10日の那覇軍港からの報告は成果なしから、一転して、げんなりするような話になった。ただですら英語は苦手な私だが、目の調子が悪く字が読めず、ますます翻訳もままならず。考えれば考えるほど、嫌な不気味な事態が迫っていることを憂慮する。何がRESOLUTIONなのだろう。「不屈」といっても「撃滅する為の不屈」であり、私たち沖縄の人々は、米日共同作戦において、撃滅される側に置かれているのだ。わじわじしてくる。

 そうした昨夜執筆中に、日本原水爆被害者団体協議会が、ノーベル平和賞を受賞したとの朗報が入ってきた。来年8月で被爆80年を迎えるのだが、50年前に佐藤栄作元首相が「非核3原則」で、ノーベル平和賞をもらったという冗談(皮肉)みたいな話を思い出した。あれから50年が経ち、非核3原則(もたず、ツクラズ、もちこませず)が崩れそうな今日、改めて考え直すべきだろう。

 そもそも「もちこませず」は、米軍艦の寄港にノーチェックなのだから、事実関係は分からない。「もちこまない」よねの暗黙の了解にすぎない。ツクラズも怪しく、真にそうならば、原発をやめるべきだ。プルトニウムの貯蔵・再処理も当然やめるべき。危険が一杯の事業があちこちで継続・強化されようとしていることが大問題だ。

  被団協がノーベル平和賞を得たのは、嬉しいことだ。やはり、身を挺した長年に亘る彼ら彼女らの訴えが、形になるからだ。ヒバクシャにとって、80年と言えばどれだけの長さなのだろう。亡くなった方々を思えば、個人としても組織としても、やりきれないことばかりだろう。身体の痛みや、心の痛みを抱えながら、それでも絶望することなく歩まれてきただろう。敬服するしかない。ノーモア・ヒバクシャの声を不屈にしていくのは、私たちの責任だ。生きる為の不屈。

 そしてノーモア被爆者の声は、民族を超え、国境を超えて共鳴していくべきだろう。国家という枠組みに縛られなければ、できるはずだ。私が2012年に対馬に行ったとき、日露戦争(「日本海海戦」:1905年)で撃沈された船から地元の漁民達は、敵味方関係なく救出したという碑を幾つも見た。海に生きる男達の心意気はまだ健在だったのだ。国家などによる白黒を分けるあり方に断じて否と、私は言い続けたい。

 今核戦争が起きたならば、想像を絶することになる。否、起きてしまえば想像力ごと破壊されてしまう。核による威嚇が叫ばれ出している今こそ、私たちは核のない世界にもどろうではないか。そして戦争を引き起こさない世界を構想していきたい。人間はこれほどの破壊力を手にしてしまったことは否めない。戦後80年間、私たちは飛躍的に自滅への道を歩んできた。にもかかわらず、こうした事への想像力がポンコツのままだ。人間は進歩していない。

 どうしたらいいかって? 己が先ず生き始めることからだろう。わじわじすることからしか始まるまい。そこからしか絶望しない人になれないだろう。道は遠く険しいようだ。



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