ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

私は、「写真を撮る人」でやっていく(20220412)

2022年04月12日 | ヤマヒデの歩み

 既報のことだが、私は2021年8月1日、辺野古テント村を抜けた。すっきりしたつもりだったが、思うように動けなかった。自分なりにやってきたつもりだったが、どうしても周囲の人たちとの関係は、後ろ向きになっていた。別に遠慮することもないと思うのだが、私本来の非社交性が「開花」。

 で、どうしたらいいのか、私に何が欠落しているのかを考えてきた。辺野古テント村が私たちスタッフを支えてきたところがあり、そこを私はきちんと考えていなかった。それはお互いの信頼関係が支えてきたのだが、相手にはその自覚が全くないままだ。

 やっていることは、2021年8月からと、2022年4月半ばからと、どれだけ変わるか分からないが、別紙のように私は整理した。可能な限り、改めて関係を一人一人と作り直して、やっていきたい。

 どうぞ宜しくお願い申し上げます。

以下「リーフレット」から転載。

写真を撮る人(自然・報道・芸術・記念写真・ほか)  フォトプラザ・ヤマモト
フォトグラファー 山 本 英 夫  

連絡先:携帯電話=(番号略) Eメール=pzyamahide@lemon.plala.or.jp
名護市在住

ブログ日々更新中=「ヤマヒデの沖縄便りⅣ」

【日々の活動の中から】―ご依頼を承ります
◎写真撮影を通して、事実をお伝えし、対話し、皆様方と考え、解決に向けて歩みたいと念じております。
①基地建設の動向などを住民の目線から調査し、主に軍事面から実態の解明に努力します。
②基地周辺の自然環境への悪影響について記録し、共有します。
③沖縄・琉球諸島の海辺と森の自然を記録し、お伝えします。
④基地・平和ガイド
⑤ほか、ご相談に応じます。
⑥写真の販売(はがき判―1000円、2L判―1500円、A4額縁入り12000円など。送料は別)
⑦絵はがき(辺野古3種類、与那国島―各500円)栞(1枚300円、4枚組セットで1000円)の販売
⑧講演会
⑨その他企画

【プロフィール】1951年東京生まれ、松林と原っぱと畑に囲まれていた世田谷育ち。1964年の東京オリンピックを前に激変していく様に仰天。1965年より野鳥観察を始め、1967年東京湾江戸川河口の干潟・野鳥を守る運動に参画。1989年5月初めて沖縄を訪れ、「基地の島」に衝撃を受けた。以降、沖縄通いを始める。1997年、辺野古・大浦湾の新基地建設の動きを知り、2004年から撮影の定点とした。その成果をもって、東京で写真展を繰り返してきた。2010年末の防衛計画大綱に掲げられた「島嶼防衛」に衝撃を受け、2011年以後、与那国島・石垣島・宮古島に通い出す。
 2013年10月、名護市に居を移し、同時に辺野古テント村(運営:ヘリ基地反対協議会)のボランティアスタッフとなる。2021年夏、主宰団体等との信頼関係が崩壊、離脱した。
 2022年4月、私は、「写真を撮る人」としての足下を固め、あらためて出直します。70歳にして、迷いながらの再出発だが、皆様からの暖かいご支持を得られたら幸いです。(2022年4月12日)

【沖縄に係わる私の基本姿勢】

①沖縄と向き合うのは、私と私たち「日本人」が自戒し、再生したいがため
 32年間私が沖縄と関わる中で気づかされてきたことは、私たちの無知・無関心・不勉強が沖縄を「基地の島」に固定化させ、加担してきたという事実だ。「平和憲法」と言われてきた日本国憲法は、第1章「天皇」から始まる。日清戦争以来繰り返されてきた侵略戦争を問わない方便としての天皇制。また、沖縄は、「皇国の防衛」のために焼き野原にされ、沖縄民衆はスパイだとして、惨殺された。また「集団自決」に追い込まれていった。この頂点に君臨していたのが、「神聖にして犯すべからず」の天皇だった。だが、日本国憲法第1章を「天皇」が占めている。戦後77年、沖縄の「日本復帰」50年が経過しても米日核安保体制が日本国憲法の上位に君臨し、民主主義が死に体となっている。おかしくないか!! 
 私が自分世代の責任を問うならば、1960年代末から1972年のベトナム反戦運動の中で、この国と切っても切れない沖縄の現実を「異国」だからと視野に入れていなかったことだ。これは欺瞞では済まない。懺悔の値打ちもないとはこのことだ。だからこそ、私は沖縄と関わり続けていく。如何に微力であろうとも。

②沖縄と係わるのは、地域の、地球の自然を守るため
 私は沖縄に住み始め、沖縄の自然に新たに出会い直そうと考えている。琉球諸島の島々は地球上で唯一無二の温暖で湿潤な亜熱帯の海と森の環境を構成しているからだ。しかしなかなかかなわない。

 私はなんとか島々の自然を間近にみたいと思うのだが、「基地の島」に閉ざされたままだ。大浦湾の海草やジュゴンは、その最大の被害者だ。
 このまま「基地の島」に縛り付けられたままでは、琉球諸島の自然は、生き延びていくことはできなくなるだろう。シマに生きているのは、私たち人間だけではないと、私たちは知るべきだ。
 人間が生み出した近代科学技術は原爆や原発を頂点に取り返しのつかない破壊をもたらしている。気候危機が叫ばれる今も、人間は「万物の霊長」などという思い上がりを克服しようとする気配は、大国の中からは生まれ出ていないのだ。

③沖縄と係わるのは、「島嶼防衛」なる戦禍をもたらす事態を避けるため
 日本政府は、2010年の「防衛計画大綱」確定後、内々に中国を敵視する政策に転換した。米国は、対中戦争を準備しながら、これまで日本に「地域限定戦争」の先鋒を務めろと言ってきた。このための準備は沖縄島・琉球諸島ばかりか、日本列島各地でも様々に進んでいる。米国は対中戦争を遙か遠くから地域限定戦争に押さえ込むと考えてきたが、2021年4月の米日首脳会談で「台湾有事」まで飛びだした。また、2022年2月24日から始まったロシアによるウクライナ侵略戦争は核の脅威が示唆されている。
 『台湾有事』となれば、この国は与那国島から北海道まで瞬く間に戦時体制に覆われる。琉球諸島を戦場にすると想定されているが、昨年8月、勝連半島に対艦ミサイル基地が造られると報道されている。事は琉球諸島全体に及び、アジア全体に波及していくだろう。
 私は「反米」主義者ではない。如何なる国の大国主義・覇権主義に対しても、明確に反対していく。沖縄を戦場にするような事態を私は全力で止めたい。取り返しがつかなくなる前に、侵略の歴史を凝視し、不戦を掲げ、生きていこう。諦めたらおしまいだ。希望は不戦にしかないだろう。(2022年4月12日)

 

 

 

 

 

 



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