2021年11月19日、普天間基地所属のMV-22が3機、那覇軍港に着陸と20日の沖縄紙が報じていた。20日、さらにCH-53が1機着陸したようだ。何が始まったのだろうか。
私は22日からの旅立ちに先立ち、この動向を確認しようとした。
モノレールの奥武山公園駅を下り、セルラースタジアム左手を行くと、那覇軍港にデカいRORO船が見えた。2021年11月22日 13:21
国道331を、垣花3丁目の高台に上がる。船はグリーンレイクだ。13:34
水陸両用装甲車などを積み込むようだ。13:35
同船の左端にランプウエイが下ろされている。RORO船とは自走して乗り降りできる船=自動車運搬船だ。グリーンレイクは米軍御用達の民間船だ。
オスプレイはどこだ? この場所だと、こちらが高すぎて見にくい。階段を下り、フェンス沿いに移動する。
オスプレイが3機。この画面には2機。13:44
VMM-265竜部隊 8220 00番機。隊長機だ。13:47
MV-22とバックにグリーン・レイク。13:47
右手にCH-53が1機。13:52
奥に一般の住宅があって、嫌な光景だ。警告板が、苦々しい。
オスプレイの背後に水陸両用装甲車。13:52
繰り返すが対岸は民間地であり、住宅も多い。手前も車がビュンビュン走っている国道だ。13:53
グリーン・レイクにトレーラーが上がる。13:53
当分オスプレイ等の積み込みはなさそうだ。私は那覇飛行場に戻った。
27日友から連絡が入った。まだ那覇軍港にオスプレイが3機いるというのだ。
帰宅後、新聞を読んだらこうだった。23日この4機はグリーンレイクに積まれ、24日出港。25日別の船が着き、オスプレイの代替機3機が陸揚された。
つまり、友が見たオスプレイと私が見たオスプレイは別の機体だった。これで納得だが、問題はそんなとこにはない。
ここは那覇港湾施設(那覇軍港)だ。主たる使用目的は「港湾施設および貯油所」となっている(「5.15メモ」)。この「5.15メモ」とは、沖縄が日本に返還された1972年5月15日に日米合同委員会で合意された沖縄県内の米軍基地の使用目的と使用条件を約したメモ。
しかし、米軍は、沖縄県(謝花喜一郎副知事)の抗議(11月26日)、那覇市(城間幹子市長)の抗議(11月29日)を無視。30日、オスプレイ3機は飛び立ち、普天間基地に向かったのだ。
那覇軍港にはヘリポートもない。先ほどの写真にもあるようにフェンスから数メートルのところに駐機していた(こちらは国道の歩道から撮影)。さすがに離発着したのはより中心部のオープン・スペースだろうが、市街地に取り囲まれている場所だ。県や市がやめろというのは当然だろう。米軍は事故ったときの保障すらしないのだ。
日米地位協定第2条にこうある。「合衆国は、日米安保条約第6条の規定に基づき、日本国内の使用を許される。個々の基地に関する協定は、第25条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない。(以下略)」とあり、第3条で基地内の合衆国の管理権を全てとしており、第5条で移動の自由、公の船舶・航空機の出入国、基地への出入権を定めている。なんとオール・フリーなのだ。
米軍は米軍の意志通りやるのだ、軍事優先だ、をこの76年間貫いているのだ。
オイ、こら!! 米軍にとって、日本国という「フェンス」はないのか。対等な相手として見ていないのだ。日本国は、そう見なされていないのだ。
こうしたなかで、ここ那覇軍港は浦添新港に移転の動きが活発化している。これを沖縄県は容認している。米軍は、今度は公然とヘリポートを要求してくるだろう。
因みに岩国基地(山口県)は、滑走路の沖合移転に伴い、岩壁が造られた。2012年、13年のオスプレイの搬入はここから行われた。また辺野古・大浦湾の新基地建設も岸壁を造る設計になっている。米軍はこうした便利さを求めている。戦争のための便利さだ。海外での侵略戦争にとって補給能力が第一義だからだ。
沖縄県、那覇市、浦添市は、これに協力するつもりなのか?!
この件に絡めてもう一点。那覇軍港は遊休施設だから、浦添新港の軍港も小規模にできるという説がある。こうした見解は、全く間違っている。現に(11月)那覇軍港のあちこちの作業ヤードに積み荷が置かれていた。満載状態だった(11月11日)。船の接岸数よりも、軍事物資の移動・保管能力が要求されている軍港なのだ。
さらにこうした大量の軍事物資を運ぶのは戦時に伴うものだ。基地群は、常に戦争に身構えている。たとえ、今、空っぽだとしても(あちこちでの演習に供えて多くの物資が置かれているのが現実)、いざ有事にどうなるか?! 今度の戦争は対中戦争だとささやかれており、琉球諸島を戦場に据えると言われている。
沖縄の、日本の行く末が危なくなっている。私たちは、この現実に真剣に立ち向かうべきだろう。