ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】安倍「国葬」の真相と暗澹たる近未来を超えて(20220901)

2022年09月01日 | 考え直すために

(1)はじめに
 昨日、2022年8月31日の国会前で「国葬反対」の訴えがこだましたようだ。主催者発表4000名。「憲法9条を壊すな!実行委員会」主催。私もひとまずよかったと思う。
 ところで、この「国葬」問題の現場はどこだろう。先ず、日本政治の中心地「東京」だろう。しかしそこだけに留まらない。「国葬」とは国家主催の儀式であり、安倍晋三の「国葬」なのだから、安倍政治が影響を及ぼした津々浦々が現場となる。津々浦々から反撃していかなくてはならない。

(2)「安倍政治」とは何だったのか、それは過去形で済むことか?
 私は「安倍政治」という括りで自民党政治を批判する傾向に一貫して反対してきた。何故ならば、従来の自民党政治の「なれの果て」だからだ。腐っても自民党であり、安倍晋三首相の時代はその臭みが極大化したのだ。彼らの強みは、それでも権力を牛耳り続け、「強い政治」を達成したことだった。国会・法律よりも内閣・行政権の行使を強め、自治を貶め、情報公開を封じこめ、真っ黒な(黒塗り)政治を貫いた。警察官僚を内閣に抱え込んできた。特定秘密法保護法や、重要土地監視・規制法などの条文を空白のまま、政令政治に委ねる手法。
 軍事力を強化し、米国の軍事力ともっと緊密に、対中最前線を担うやる気満々の「島嶼防衛政策」。「防衛」とついているから、安心かと言えば、そうではない。真っ赤な嘘。「攻撃は最大の防御」の類いなのだ。「常続的警戒監視態勢」を整備している。「常に継続して警戒監視する」国になっているのだ。監視していて領空・領海に「敵」が侵入してきたら、迎撃し破壊する力をもつ。今や長射程のミサイルをもち、中国本土を攻撃する能力を持つと言っているのだ。2023年度予算の軍事費6兆円の値段はもっともっと高くつく。戦争への道が明確に準備されているからだ。
 繰り返し何度も言うが、その現場=戦場が沖縄・琉球諸島に設定されているのだ。日本の識者は「米中戦争はない」という。確かに米中が戦争を始めれば、核戦争のシナリオが動き出す。どちらが先手を打つのかなんとも言えないが、破滅への道に動き出す。だから起こらないというのだ。こうした見解に私は怒っている。それを着々と準備してきた事を無視しているからだ。「万が一に備えて」であれ、それなりの軍事力を備えれば、やる気になる輩が増える。その端緒を拓いたのは、2010年の民主党政権だった。皮肉、行政の一貫性。これを安倍政治が徹底して押し進めてきたのだ。
 米国と結託してきた安倍政治の酷さは、日本国が前線に立てば、日本は『非核の国』だから核戦争にはならないだろうという楽観論、欺瞞・無責任が横行していることにも現れている。『非核』(非核3原則=つくらない、もたない、もちこませない)といいながら、『米国の核抑止力』(圧倒的な核攻撃力で押さえ込む)に頼る国だ。ヒロシマ・ナガサキの被爆者たち(被曝2世、3世を含む)を冒涜しながら、やってきたのだ。
 ここでヒロシマ・ナガサキに触れたので、私は沖縄戦についても、ひとことふれておく。沖縄戦は国内で起きた「唯一の地上戦」だ。問題は多岐にわたる。最大の問題は「皇国」を守るために沖縄を踏みつけにした「時間稼ぎの戦争」だったことだろう。すでに一縷の勝機も失っていた時点で、「最後の一兵まで戦い抜け」という野蛮。沖縄に対する徹底的な差別。ウチナーグチをしゃべる人々を「スパイ」だと決めつけ殺すあり方。これは悪質な差別的な一部の兵隊がやったことではない。皇軍の公式な取り決めとなっていたのだ。皇軍がもたらした虐殺だ。こうした事実を未だに反省しない自公政権。
 それでも敗戦を決定できず、「核実験」としてのヒロシマ・ナガサキを迎え、ソ連軍の介入を得て戦争を終えるという無責任さは、類い希な歴史をこの国は歩んできたと言わざるをえない。私たち日本の民衆は、政治責任を問うことができなかったのだ。
 
 安倍晋三を『国葬』にすることは、こうしたことが(歴史の中に隠されてきたことも含む)、この国にとって誉れ高いことだと惜しむこと。ひとりひとりの「内心の自由」「思想信条の自由」を侵害するばかりか、日本国は安倍政治を賞賛し、これからも「安倍政治」でいきますよということになる。「国葬」を受け入れたら「安倍政治」は終わらない。

(3)私は「国葬」に反対する
 安倍の「国葬」とは、こうした安倍政治をこれからもということだ。この国が行った侵略を無視し、これからも「武力で平和を作り出す」という米国と一体で、《戦もできる政治》にむけて、「国葬」を起爆剤にするということだ。嘘とペテンと国会軽視、民主的な手法を一掃し、独裁への道を改めて公然と走り出す。
 岸田政権は、いつか来た道を行くのか?! 私は安倍『国葬』に反対する。民主主義とは単なる手続き論ではない。一部の者だけで決める独裁を抑え、民衆主権の政治を生み出していくことだろう。とってつけたように「人の声を聴く」と言った岸田首相らを私たちは疑い、自治と民主主義を育み、歩み出したい。沖縄は、この一端を担っていくだろう。
 希望は不戦・信頼・自然との共存にある、と私は考えている。新たな希望の道を共に育みながら歩みたい。
 



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