ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

「お答えは差し控えます」という政治(20210127)

2021年01月27日 | 暮らしと政治

 おはようございます。今朝の沖縄タイムスの「大弦小弦」(吉田央記者)を読み、私は凍り付いた。冒頭「子は親の背中を見て育つ」から始まるのだが、後半に「菅さんが寝かしつけの読み聞かせ動画を配信したら、子育て支援になる」とあり、私は寒々しくなった。無論、皮肉だと100も承知しているが、図書館員として子どもに読み聞かせを散々やってきた私は、これほど愛のない奴が読み聞かせをやることじたいを想像できないのだ。

 更に吉田さんは、こう続ける。「『どうしてお耳が大きいの?』と尋ねる赤ずきんちゃん。おばあさんに化けたオオカミが『お答えは差し控えます』。話しが先ず眠気を誘いそうだ」と結んでいる。

 しかし私には話が眠気を誘い出すよりも何よりも、この設問に今現在進行形の政治を当てはめて考えてしまう。「お答えは差し控えます」を乱発している菅政権だから、私は凍り付くのだ。コロナ禍の問題でもそう。ましてオリンピック開催を至上命題に掲げている菅政権は、開催か否かの判断を先送りしながら「お答えは差し控えます」。こうした結果の積み重ねの中で、如何なる事態に向かっているのだろうか? それでも菅自公政権は安泰だと過信しているのだろうか? 否、その過信の風船が爆発寸前となり、ますます愚を重ねているのではないだろうか。

 ここから些か話しがそれる。軍事とは機密。黙って、隠して、ウソつきながらやるものだ。「お答えは差し控えます」は従前からの公然の秘密。沖縄に於ける史実に立ち入って考えれば、なるほどと思うだろう。また戦前の軍部独裁政治でも同様だった。戦後も、そもそも1952年のサンフランシスコ平和条約(「日本の独立」を果たした)に安保条約がくっつけられたのも、米国の政治に吉田茂(首相)が一人別室に呼ばれ、単独で調印したのだった。こうして沖縄の施政権は米国に留め置かれた。戦後日本の政治は、初めから民主主義とは無縁だったのだ。

 そして今明らかにされてきた辺野古・大浦湾に強行しつつある新基地建設の陸自との共同使用も同様だろう。岸信夫防衛大臣は、26日の記者会見で「シュワブの共同使用により、水陸機動団を配備することは考えていない」と否定している。2015年の制服組同士での「合意」についても、「陸自内の様々な検討について、逐一お答えする事は差し控えたい」としながら、「共同使用の検討は、従来から防衛省内でも私の指揮監督の下で、省一体となって進めている」と説明し、文民統制上の問題はないとの見解を示している。

 ここにも不都合なことは隠し、ごまかしながら「共同使用の検討」を進めていることを示唆し、正当化しようとしているようだ。正に火のないところに煙は立たないのだ。

 玉城デニー知事は共同使用は二重の負担になると、反対だと明言している。沖縄は、過重の米軍を押しつけられてきたが、そればかりかウソの政治を米日両政府によって、押しつけられてきたのだ。私たちはこの点をこそ、直視していかなければならないはずだ。

 このウソの政治に私たち「日本人」も、向きあわなければならない。そこから賢い生き方ー人類として生き続けられる生き方ーをたぐり寄せなければならないのではないか。

 私が言うのは気恥ずかしいが、愛のある生き方は、他者と自己への誠実な生き方で決まる。子どもへの読み聞かせを嘗めたらいかんのだ。



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