ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

何を今さら、否、今だからこそ(20210126)

2021年01月26日 | 米軍/自衛隊

(1)何を今更

 陸自がキャンプシュワブに常駐するとの話しが出た。私は何を今更だと思っている。ここから説明したい。何故かと言えば、事は2006年に遡る。この年、沖合い案は、撤回された。そしたら2ヶ月後に、今の沿岸案が出てきたのだ。このタイミングは沖縄の海兵隊のグアム移転が出てきた頃だ。司令部要員8000名等をグアムに移転すると。そうすると、ここに造っても誰が使うのだろうかとの疑問が湧いてきた。

 グアムに移転するのはグアムが格段に広いし、中国との距離も約3000キロ離れ、遠くなる。その後、分散配置案も出てきた。こうなると、新基地を造っても誰がそこを使うのかを私は考えるようになった。

 2010年の日本国の防衛計画大綱に浮上したのが、「琉球諸島防衛」だった。ミサイル部隊を配置しても、「島嶼奪還作戦」という以上、それを担う部隊が不可避となる。そこにでてきたのが、①全国に配置する「即応機動連隊」と、②佐世保の相浦に配置するという水陸機動旅団だ。これはキャンプシュワブにいる同型の水陸両用装甲車を使った部隊だという。しかし佐世保の水陸機動連隊だけでは些か後方であり、前進拠点として沖縄島の新基地に来ることが想定される。こうなれば、年に何回かの共同演習に留まらない共同演習が可能となる。

 こうして私は新基地建設の本音は日米共同使用だと考えてきたのだ。「島嶼防衛」=対中戦略というならば、与那国・石垣・宮古島・奄美大島の部隊だけで対処できるはずがない。そこに連なる大きな軍事的なネットワークを構築できなければ、絵に描いた餅なのだ。しかし本気でやれば火傷する、否、火傷では済まなくなるだろう。

 だから私は、この10年来、危険だよと警鐘を鳴らし続けてきた。だが芳しい反応を得られなかったのが実情だ。この後、三上智恵さんの映画「標的の島 かじかたか」や軍事評論家小西誠さんの「オキナワ島嶼戦争」(社会批評社 2016年刊)などの指摘が続いてきた。またジョン・ダワーさんとガバン・マコーマックさんの共著「転換期の日本へーパックス・アメリカーナかパックス・アジアか」(NHK出版 2014年刊)を私は2016年に読んだ。この本を読んで私は知性というのはこういうことかと納得したものだ。

(2)今だからこそ

 この報道を政府は真っ向から否定しているようだ。沖縄防衛局も沖縄の自民党の国会議員も。そんなこと言ったらヤバすぎますよね。沖縄の中の反発が拡がり、それが全国に拡大しかねないからだ。軟弱地盤に阻まれ、予定通りできるかいなか分からぬ中で、政府・防衛省は賭に出ている今、そんなことに振り回されたくないのではないか。

 他方、玉城デニー知事は、これまで自衛隊問題については容認の姿勢が顕著だった。島々の自衛隊基地建設について正面からの批判を避けてきた。米軍の那覇軍港の浦添への移設すら推進の立場なのだから、私とはかなり距離がある。

 しかしその知事がこの報道を知り怒っている。「全く聞いていない。認められない」(1月25日)。「我々が求めているのは実質的な負担軽減だ」、「自衛隊と海兵隊が基地を共同使用するということが前提となっているのでは、県民感情からしても認められない」と述べたそうだ(沖縄タイムス)。これでは「日米特別行動委員会(SACO合意ー註:1996年12月合意)を再点検する必要がある」と当初からの変遷を批判した。またMV22オスプレイの導入も隠されてきた、と前例にも触れている。

 まっとうな見解だと私も考える。ただし、一歩深めて考えて欲しい。「共同使用するのは何故なのか?」、「島嶼防衛」構想を含めて、正面から再検討し、島々の住民との意思疎通を図って頂きたい。SACO合意の再検討も当然必要だ。時代は変わり、96年4月の安保再定義から生じたSACO合意と、それを含む1997年米日軍事指針から2015年の米日軍事指針の改定が時代の変容を如実に示しているのだ。

 これは私も、私たちも問われていることだ。この報道を手がかりに考えを深めていかなければ、大きな転換点にたちうちできないだろう。

 

 



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