ブログにも書いたが、私は自分の蔵書等を只今整理中だ。その中から出てきた本に「安保と原発ー命を脅かす2つの聖域を問う」(石田雄著 唯学書房刊 2012年)がある。この2週間ほどで読んだ。せっかくなので、多少私が考えたことを綴る。
著者の石田雄さんは1923年生まれ。あの関東大震災の年に生まれたのだ。地震の中で差別的な集団心理が煽られ、朝鮮人等虐殺があちこちで起きたあのころ。1945年の敗戦時は22歳であり、青年将校だった。
私が過去に石田さんを知ったのは「日本の社会科学」(1984年)や「日本の政治と言葉(上下)」(1989年)を通じて、政治学者としてだった。2冊ともこ難しい論集であり、知識の整理にはなるが、それ以上の印象は残っていない。ただ昔も今も私が彼を無視できないのは、彼はベトナム反戦時代に「ベトナムに平和を!市民連合」に賛同・協力していた文化人のお一人だと記憶しているからだ。思えば50年あまり前のことになる。
しかし彼は老いて尚、ご自身の経歴を踏まえつつ、今だからこそ、語り続ける強い意志をもっている。2015年に「ふたたびの〈戦前〉ー軍隊体験者の反省とこれから」(青灯社刊)も出されている。今の若者達に戦争をさせたくないとの思いは、一途であり、揺るがない。私はこちらも読んでいた。
第1章「安保はなぜ議論されないのかー安保聖域化の歴史的分析」
本書のエキスが詰まっている章だ。極手短に語られているので、大事なこともうっかりすると読み飛ばす。
当時「聖域」とされていたことを、彼は戦時の「国体」から順々に解き明かす。敗戦時の天皇ヒロヒトにふれつつ、これがマッカーサーに置き替わっていったことも。そして置き忘れられた沖縄・台湾・朝鮮の植民地支配の問題を押し出している。対米従属という形に押し込まれたことも。60年安保の闘いが、基地・軍事を巡る問題から民主主義を巡る問題に押し流され、あげく「所得倍増」の経済問題にすり替えられ、すっかり安保は「聖域」されたのだった。
確かにそうだ。今更であるが、こうした問題を振り返ることなしに、一歩も前に進まない。誠にやっかいなことだ。逆に言うと、「聖域にされたから」という詭弁ばかりを問題にするだけでは、謎を解くことはできない。政治・軍事・経済の重層構造を読み込みながら逐一歴史分析を加えることが重要だろう。
一点、私が彼を評価するのは、戦後社会科学者にあって、沖縄を「忘れられた島」にしていないことだ。彼が、ここを外していないのは何故だろうか。沖縄を認識できる年齢(年齢そのものと、生きてきた時間が長く、後付けもできた)と、米国での研究・教育に身をおいたことが米国の沖縄資料にあたれたからだろう。
第2章「軍事的抑止力の危うさー殺人を命ぜられた者の体験から」
彼は、自身の軍隊体験から「国家の安全保障の危うさ」を考えている。ここが一般の社会科学者とは異なっている。また、上官と言われる人が、殺人現場から離れていることも、現代の軍事研究者が身を安全圏に置きながら語っていることも見抜いている。旧軍=皇軍と現代の軍隊との違いと共通点についても外していない。この中で、皇軍と海兵隊の組織の意外に見える共通点についても、看破している。
9・11以降の対テロ戦争についての三つの危機を提示している。①民間人が殺されることによる敵の増大、②兵士の人間破壊の危うさ、③報復のグローバル化、日常化の危うさ。彼は、戦争という遠い存在を、身近に迫る問題だと提起しているのだ。しかし壁は厚い。「聖域」が形作った壁が厚いのだろうか。
私は彼のこの3点を巡る視点を正しいと考える。この第2章でこそ沖縄の歴史と現実を組込んだ議論をしてほしかった。これを私の課題として受け止めたい。
第3章「市民運動の視点から見た歴史的展開ー『平和的生存権』という理念へ向けて」
本章の整理は市民運動を無意識のうちに価値付けすぎて、疑問点が少なくない。
①「みんなで民主主義の時代」(45年から60年代)
「『日本が平和国家をめざすために皆が力を合わせるべきだ』という同調性に根ざした民衆運動が、なかば自発的なものとして支配的になった」とは、なるほどと思うが、当時の様々な軋轢を軽視過ぎていないか。
安保改定阻止国民会議から「声なき声の会」もいささか手前味噌過ぎる。
②「一人からの民主主義」の時代(1960年代~70)
「個人の自発性に根ざしたベ平連の運動」を上げることに、私は異議を挟むつもりはないが、同時期に起きた激しい党派闘争(共産党系対反共産党系、反共産党系諸派閥間の党派党争)が持った無意味・意味を再考しないと前に進まないと私は考える。
「一人からの民主主義」がもしも成熟しており、徹底していれば、その後の悲惨なできごとは、起きなかったかもしれない。人間とは余りにも弱いものなのだ。
③「それぞれの民主主義の時代」(70年代以降) 反差別、戦争責任という個別課題への転換とあり、積極面をあげてくださっているが、70年代から80年代こそ、ベトナム反戦が消え、暴力的手段の突出や内ゲバで運動は破綻していく。市民運動も主体的な転換に失敗していく。生き残ったのは公害反対などのごく一部に過ぎなかった。
④「いろいろな人が手をつなぐ民主主義」(今日の課題) 中でも差別に反対する人権の主張、戦争と平和に係わる行動と歴史的責任の問題は、確かに今日まで重要な課題であり続けている。
しかし1994年から95年の歴史的な転換点の政治的意味を押さえておかないと、大変な時代になっている事を見失う。95年の村山政権の誕生は、戦後民主主義の末路ではなかったのか。94年の小選挙区制と、消費税の導入という新自由主義への水路が引かれていったのだ。そこに加担した社会党。こうした隙を突いてきたのが「反日」を語る勢力であり、「自己責任論」の横行だ。むろんこうなったのは、1983年から始まった「戦後政治の総決算」=中曽根行革が総評労働運動を解体に追い込み、社会党の支持基盤を破壊していったことがある。
だからユニオンやNPO・NGOのめざましい活躍を取り上げ、平和的生存権を謳うだけでは、対抗軸になりえないのだ。経済の中に社会が空洞化した今、どうしたらもう一度社会を密なものに取り戻していけるかを見ていかない限り、沖縄も消費されるだけかもしれない。
このコロナ禍で見えてきたことを手がかり、足がかりにしていくことが、一つの可能性を見いだせるかも知れない。
むろん私が言いたいことは、100歳になろうとしている彼の責任を問うことではない。あの60年代末から70年代を闘った私たちの責任こそを問うべきだ。
結章 安保と原発にどうむきあうかー命を大切にする見方から
安保と原発の類似点を語り、「すべての人の命が尊重される世界をめざそう」というのは容易だが、この75年間で原発に象徴される「科学」が推進され、原発村が堂々とできていたのだ。こうした積み重ねが官僚制を確固たるものにし、権威を裏打ちし、無関心を煽ってきたのではないのか。安保で言えば、いつのまにか「力による平和」が表舞台にせりあがっていたのだ。むろんそこには差別が貫ぬかれている。今日の沖縄に対する差別は、歴史的に作られてきただけではなく、今日的な意味合いも加味されているのだ。
補章 2011年9月11日に思うー世界的危機と克服への希望
この章で補足を幾つかあげている。最後に「希望はどこかにあるものではなく、自分の意思と行動によりつながりを作ることで生み出されるものと私は信じている」としている。厳しい指摘だが、そのとおりだろう。信じて頂くのではなく、私たちの自分の意思と行動にかかっているのだ。
最後に開沼博との対談があるが、これは省かせて頂く。
こう読んでくると、「命を脅かす2つの聖域を問う」ことは、簡単でなく、①植民地支配を改めて具体的に掘り起こし、②安保や原発の周辺にある人々の生存権の危うさを考えることなしに、空洞化した社会を再定義することは不可能ではないか。愚直に一歩一歩やる以外に、ないだろう。
私の未熟さが故に、本書を十分に読み解けていないが、皆さんの議論の契機になれば、幸いです。