ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

「遺骨-戦没者310万人の戦後史」を読んだ(20210322)

2021年03月22日 | 本の紹介・書評

 遺骨を巡る問題は、沖縄から見ていれば、かなりクローズアップされてきたし、そもそも問題が蓄積されている。しかし日本全体ではどうなのだろう。そう思っていた矢先に、岩波新書の「遺骨ー戦没者310万人の戦後史」栗原俊雄著 2015年を見つけたので読んでみた。

 著者は毎日新聞の記者さん。戦艦大和、シベリア抑留、遺骨とあの戦争を巡って取材されてきたようだ。本書は、①首都東京・足下の遺骨、②激戦地・硫黄島で、③沖縄・広島・長崎の死者たち、④遺骨収容の戦後史、⑤戦没者慰霊の国際比較、⑥日本の「戦後」を問い直すの構成で、総括的に調べている。戦後70年の時点での報告であり、これを読みながら私は、以前の海外での遺骨調査の報道などを思い出していた。

 紙幅の問題があろうが、読んでいておもしろくない。資料価値はあるが、それでどうしたの、という気分に留まる。戦没者の遺骨問題は、言うまでもなく、アジア太平洋戦争を起こした結果だ。その結果が、どこに、どんなかたちで、いまだに埋もれたままになっているわけだが、結果からであれ、その原因を探りながら考えなければ、ニュートラルになるのは必然だ。戦争の惨状は姿を現してこない。

 沖縄で今起きていることは、語り口は穏やかだが、人々の心の底に「命どぅ宝」があり、過去のことも今現在の問題と否が応でも繋がっている。沖縄戦の経験と切り離されていないし、今現在の基地問題とも切り離せないのだ。事は遺族だけの問題ではない。というのか、沖縄にいれば、自分は遺族でなくとも、すぐ隣に遺族がおり、関係が濃い。戦争と向き合う機会も多い。物質としての骨を超えた魂であり、生き方が問われてくる。

 「戦争を知らない子どもたち」世代の私は、現在の遺骨問題(鉱山開発の中で踏みにじられている)からこれからの戦争を考えなけえばと思う。国家のために死ねば「英霊」になるという国家・宗教観を打破できなければ、同じ事が繰返されていくだろう。遺骨と遺骨を巡る問題の中で、私たちひとり一人の生き方が問われているようだ。

 



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